■日時 | 2007年2月1日(木)午後2時〜4時 |
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■担当 | 久保田敏子(企画)、竹内有一(ナビゲーター代行) |
■協力 | 亀村正章 |
前回の「声を使った芸を聞く」を受けて、地歌箏曲界で名人と謳われた盲目の音楽家・ 富崎春昇の至芸を聴きます。当センターにあるSP音盤と、別途入手した音源の中から、地歌三弦での弾き歌いで、三味線組歌破手組「京鹿子」、手ほどきもの「海老」、端歌もの「閨の文」、謡曲もの「八島」を、箏曲の弾き歌いで、箏組歌「菜蕗」、古今組「千鳥の曲」、地歌の語りものともいえる繁太夫物の「橋づくし」(『心中天網島』)、作物「寛闊一休」、「都十二月」などから適宜選んで聞き、名人の俤に迫り、その魅力を探ります。(久保田)
企画を立て選曲を行った久保田が欠席のため、当日のナビゲーターを竹内が代行した。
伝記・事典・レコードアルバム等の記述を手がかりに、富崎春昇の人と芸について振り返り、別記する一覧のような曲目を聴いた。伝記資料に人柄を象徴するような写真がいくつか掲載されていたので、プロジェクターで投影して紹介した。
春昇の芸の特徴の第一は、繁太夫節など貴重な伝承曲を、師の宗順からよく伝えたことである。それは、覚えがよいが忘れるのも早い、という短所を努力で克服した成果であった。その美声については、元来の音痴を厳しい稽古で改善したのだと芸談に伝える。また、楽器に関わる工夫にも積極的に取り組んだ。糸の太さ、撥の形や大きさ、駒など、九州や他流もよく研究して工夫したという。谷崎潤一郎等の詞による新作にも恵まれた。繁太夫が縁で東京に移住したことにより、大阪在住時代のさまざまな苦労や努力が功績として認められ実を結んだ、強運の持ち主でもあった。(竹内)
◇地歌・歌もの
◇箏曲・歌もの
◇地歌浄瑠璃もの・作もの
◇富崎春昇による芸談(一部演奏あり)(出典未詳)
約20名