7 口唱歌・譜
祇園囃子は基本的には、口承されてきたものであり、体でおぼえると同時に、既にしめしてきたように、口唱歌も重要な役割をはたしている(「5 楽器とその奏法」参照)。一方、譜も補助的な意味で使用されるようになってきている。
南観音山につたわる最古の譜は、『南観音山囃子符音』(大正12年(1922)7月、町内所有、手書き)である。これは手書きで10冊作成されたもので、現在町内には1冊のみが現存する。基本的には鉦譜であり、一部に太鼓・笛の口唱歌を記載したものである(百足屋町史に全ページがカラー写真で掲載されている〔百足屋町史編纂委員会 2005:201-214〕)。
以前は、譜は個人でもつものでは無く、町内でみせてもらうものであった。それを覚書に、鉛筆を利用した判子などをつかってうつすことで、囃子をおぼえたものだという(後述する記号の△印は割り箸の先をけずったもの、○印は鉛筆のキャップを使用した)。現在でも、『南観音山囃子符音』をそうして個人的にうつした譜本がいくつか存在する(〔百足屋町史編纂委員会 2005:215〕参照)。
その後、囃子方の目片國三氏が、『南観音山囃子符音』を参考にして、めくりの譜を作成した(現在でも、囃子の稽古時には、これを使用する場合がある)。昭和40年代になると、それを元に、『南観音山祇園囃子音符』(南観音山保存会 祇園囃子部会、青コピー)が作成された。これも鉦譜であり、内容は『南観音山囃子符音』とほぼ同じである。
やがて、平成2年(1990)に、囃子方の幹事会で、囃子の定着化の意向がしめされた。一方、笛の楽譜の必要性もたかまってきており、このようなことから囃子方の加P年男氏が試作した譜(『南観音山祇園囃子』、平成3年(1994)、ワープロ作成)を元に、公認の完成版を作成する作業が加P年男氏を中心に囃子方幹事会ですすめられた。こうして完成したのが、『南観音山祇園囃子』(平成11年(1999)、南観音山囃子方会、ワープロ作成)である(百足屋町史に全ページを掲載〔百足屋町史編纂委員会 2005:216-259〕)。これは鉦・太鼓・笛の総譜であり、能の8分割譜を参考にして、目盛り付きの小節区切りのある楽譜となっていることから「間」の表記が可能で、囃子の構造もよく理解できる労作である。現在これが、教本として使用されている。
『南観音山囃子符音』や『南観音山祇園囃子音符』では、鉦の打ち方を記号化した鉦譜となっている。そこでは、三角印(▲)や丸印(●)などの記号とその位置によって、鉦のうつ場所や打ち方を表記している。たとえば、●で鉦の凹面の真ん中打ち(口唱歌では「コン」と表現)をあらわし、▲とその位置で、縁の下部における跳ね打ちおよび払い打ち(「チ」および「チン」)、縁の上部打ち(「キ」)をしめしている。譜にはまた、掛け声や囃子言葉、タイミングや間合いをとる際の参考になる笛や太鼓の口唱歌の一部、および様々な注意書きもしるしている。その際の太鼓は、四角印(■)ももちいている。