日本伝統音楽研究センター

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京都祇園祭り 南観音山の囃子

凡例

日本語要旨

0 はじめに

1 概況

2 担い手

3 曲目と笛の旋律パタン

4 囃子の機会

5 楽器とその奏法

6 演奏の実際

7 口唱歌・譜

8 伝承過程

9 囃子の変遷と意味付け

10 南観音山における囃子の特色

謝辞

文献資料

音響資料

映像資料

English summary 英語要旨

 

 

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4 囃子の機会

ここでは、囃子方の活動について、祭礼を中心にみていくことにする(日程・時間等については、主に2005年の実見にもとづく)。

毎年1月5日に、南観音山保存会および町内会の関係者があつまり(囃子方も有志で参加)、新年賀詞交歓会を料亭でおこなう。祭礼に関する報告などもあり、半年後の祭礼をみさだめての親睦をふかめる機会となっている。

毎年3月に囃子方会の幹事会を開催している。この席で、その新入りの承認など、その年の囃子方に関する様々な事柄の方針がはなしあわれる。

5月の最終日曜日に、保存会の有志で「愛宕山詣り」をおこなう。これは、天明の大火(天明8年(1788)で被災したことをきっかけに、火伏せの神として信仰をあつめている愛宕山大明神に、火難除けをいのる行事としてはじまったものである。かつては祇園祭りの山鉾町で広くおこなわれていたが、現在保存会の構成員全員を対象(有志)としておこなっているのは、南観音山だけである(毎年30名程が参加)。以前は、行司役を中心とした人々だけであったが、昭和62年(1987)年からは囃子方も参加するようになり、平成元年(1992)年からは、神前で奉納囃子もおこなうようになった。当日は愛宕山大明神において、祈祷の後、まず行司役が「只今より、南観音山及び南観音関係者一同の火難清浄及び家内安全・無病息災を祈願し、愛宕山大明神の御前にて、祇園囃子を奉納致します。」という口上をのべ、太鼓方の「ヨーイ ソレ」の掛け声で、囃子を開始する。はやす曲目は、「〈神楽〉―〈藤〉―〈地囃子〉―〈一番〉―〈於福〉―〈百足〉」である。

愛宕山詣りにおける奉納囃子
〔写真3〕 愛宕山詣りにおける奉納囃子

7月1日は「囃子方の吉符入り」および「二階囃子の稽古」の初日である。百足屋町会所で、夕方におこなわれる。囃子方の吉符入りでは、まず囃子方代表幹事および保存会理事長から挨拶があり、その後、新人の披露や諸連絡がある。平成2年(1990)頃までは、終了後にはお蕎麦が仕出しでふるまわれ、大人はそれで一杯やっていた。

会所でおこなう二階囃子の稽古の期間は現在、7月1〜7日であるが、10年前から出囃子の関係で4日を休みとしているので、実質は6日間である。かつては、行司役が回章をまわし、出欠をとっていた(百足屋町史の写真〔百足屋町史編纂委員会 2005:195-198〕参照)。稽古は表通りに面した12畳の「けいこば(稽古場)」でおこなう。それにつづく6畳の「ぎょうじだまり(行司溜)」は、行司役や町内の役員の席となっており、かつては囃子方がそこにたちいることはできなかったという(会所の構造についての詳細は、〔京都大学工学部建築学教室建築史研究室編 1975〕を参照)。20分はやし、10分休憩するというパタンで、1日に4回稽古をおこなう。全日程で、囃子全曲の稽古をおこなえるように配慮をする。また、稽古終了時には、必ず全員で打ち合わせをおこなう。かつては、その日の練習終了後、鉦に水をはり、太鼓をぶらさげていた。

百足屋町会所の二階平面図
〔図〕 「百足屋町会所の二回平面図」([京都大学工学部建築学教室建築史研究室編 1975]より許可をえて転載、禁再転載)

二階囃子の稽古の連日、おやつ券をくばっている(7月20日まで有効。なお、かなり昔には、袋にいれた菓子をくばっていたという)。かつては、栗橋というお菓子屋さんで菓子や蕎麦と交換することができた。これをためておいて、鉾のミニュチュアを毎年1つずつあつめるのが、二階囃子の稽古の楽しみであったという。また以前は、練習の後、囃子方の吉符入りでのこった酒で、大人は一杯やっていた。さらに、16日には仕出しがふるまわれた。

二階囃子の稽古
〔写真4〕二階囃子の稽古

二階囃子の稽古終了後の打ち合わせ
〔写真5〕二階囃子の稽古終了後の打ち合わせ

7月13日は「曳き初め」である。新町通りの北観音山・南観音山・放下鉾は、昭和41年(1966)年から合同で曳き初めをおこなっている。午後3時に会所を出発し、放下鉾町の際までひくと、今度は北へあがり、三条町にさしかったところで会所までもどる。所要時間は1時間程度である。曲目の選定は、その日の太鼓方の裁量であり、戻りの番外集の中から適宜選択してはやす。

7月13〜16日は「お山囃子」である(かつては、「鉾の上の囃子」とよんでいた)。日をおうごとに、開始時間が早くなる。13・14日は午後7時から、15日は午後6時30分から、16日は午後5時からとなっている。20分間はやし、10分間やすむというのを1単位とする。囃子方のローテーションは鉦のみきめ、太鼓や笛はきている人で調整する。この日の夜に、新町三条下るの店からとる鰻丼の振る舞いが昔からあり、囃子方の楽しみになっている。

7月16日の午後9時前〜11時頃にかけて、翌日の巡行の晴天を祈願する、「日和神楽」をおこなう。南観音山の場合、かえってきてから囃子方が「あばれ観音」にも従事するので、他の山鉾より早くでる。以前は、放下鉾町をとおって、四条通りをすすんだが、4、5年前から、後の祭り時のコースをたどるようになった(コースの詳細は、〔百足屋町史編纂委員会 2005:543〕を参照)。昔のことをしっており、楽しみにまっていて、よろこんでくれる人も多い。曲目は基本的には〈日和神楽〉であるが、太鼓方の判断により、適宜他の曲(戻りの番外集)もおりこむ(曲目名の伝達は、太鼓方の口頭による)。また、途中で振る舞いがあった場合は、お礼の囃子をはやす(現在は、〈於福〉)。日和神楽にいっている間、お山囃子が寂しくなるので、現在は2部体制にして、子供を中心にしてお山囃子も通常にはやしている。町内にかえってくると、山にのこっていた囃子方との合同演奏となり、最後は〈日和神楽〉をはやして、拍手の内に日和神楽の行事は終了する。

日和神楽:お旅所での奉納囃子
〔写真6〕日和神楽:お旅所での奉納囃子

かつては、囃子方が「日和神楽」にでむいている間に、町内の年配者(さらに昔は住み込みの番頭等)が「あばれ観音」の行事をおこなっていた。しかし、昭和40年代の終わり頃から、人手がたらないということで、日和神楽からかえってきた囃子方が、「あばれ観音」も担当することになった。その準備から実施(3班体制)、観音の飾り付けまで従事するので、その負担はかなり大きく、観音の飾り付けがおわるのは午前0時をまわる。

あばれ観音
〔写真7〕 あばれ観音

観音の飾り付け
〔写真8〕 観音の飾り付け

7月17日は「山鉾巡行」である。前述のように南観音山では、巡行時の曲目はほぼきめられている(曲目の選択については、「3.曲目と笛の旋律パタン」の「曲目の構成」の項を参照)。渡りは最も重要視されており、ベストメンバーでのぞむ。途中2回程、辻回しの準備で山がとまっている時に、山下の梯子から5、6名単位で囃子方の交代をおこなう。巡行の最後には、町内直前、蛸薬師通りをすぎる辺りで、再びヴェテランの囃子方に交代し、〈壱番〉―〈横〉―〈流し〉にはいり(〈横〉で調整)、山がとまった瞬間に〈百足〉にはいる。そして山が完全にとまってから、〈日和神楽〉をはやす。10年以上前から、その後町内の行司役の挨拶と、巡行に参加した全ての人々・町内の人々・見物客による「三本締め」をおこなう。巡行からかえった後、囃子方には弁当がくばられる。以前は、弁当をたべながら反省会をしていたが、現在では反省会は他日となっている。

山鉾巡行(太鼓)
〔写真9〕山鉾巡行(太鼓)

山鉾巡行(鉦)
〔写真10〕山鉾巡行(鉦)

山鉾巡行(辻回し、笛)
〔写真11〕山鉾巡行(辻回し、笛)

7月18日には慰労会である「足洗い」が、ホテルの宴会場などでおこなわれる。かつては各役の責任者だけが参加していたが、現在では囃子方・作事方・曳き手・町内の人々など、祭りの運営にかかわった人々が全員招待され、盛大なものとなっている。7月18〜23日にかけて、「御旅所奉納囃子」をおこなう。これは囃子をもっている山鉾のAB2つのグループが隔年でおこなうもので、6月に連絡がある。また、7月24日は花傘巡行に参加する(10年に1回)。

また、8月に囃子方幹事があつまり、その年の祭りの「反省会」をおこなう。また、毎年12月には、20歳以上の囃子方が全員参加して、忘年会をもよおしている。

なお、二階囃子の稽古とは別に、平成2年(1990)から、9月から6月にかけて、毎月1回(おぼえやすいので、山鉾巡行の日である17日とさだめている)、「研修会」と称して、会所で囃子の練習会をもっている(5・6月は、祭り間近ということで、24日(旧後祭りの日)にもおこなっている)。かつては、大方の囃子方は、祭りがおわると1年間全くあわないというのが常であった。町内在住の人が大多数であった頃ならいざしらず、現在の囃子方の在り方では、顔をあわさないというのではコミュニケーションにかける面があるし、囃子の習得・上達も、二階囃子の10日間だけではやはり無理があるということで、こうした会をおこなうようになった。囃子方有志を中心にお茶やお菓子の世話をし、会所を和菓子屋にかりてもらっていることもあるので、その店の菓子を購入して供している(費用は保存会持ち)。

また、平成13年(2001)から、これとは別に、「大人の研修会」を同じく会所で、不定期におこなっている。これは20歳以上の人が対象であり、自由参加である。毎月17日におこなう研修会では、どうしても子供の鉦の練習が中心となる。これに対して、太鼓や笛の練習をしたい、あるいは囃子におけるいろいろな問題点を検討したい、復曲をおこないたいといった要望から実施している。同時に、祭りに関する様々な事柄を相談するミーティングの機会ともなり、また終了後必ず懇親会をおこなっているので、重要なコミュニケーションの場ともなっている。

大人の研修会
〔写真12〕大人の研修会

祭礼以外の機会に囃子をはやすことを、「出囃子」とよぶ。基本的には、伝統芸能の会などの公的な機会で、飲食がはいらない場合としている(そうした際の曲目の構成については、「3 曲目と笛の旋律パタン」の「曲目の構成」の項を参照)。また、外部への協力としては、御所南小学校および御池中学校で、総合学習の一環として、囃子の学習への指導をおこなっている。地域の学校における、地元の伝統文化にふれる試みとして、注目される。

出囃子(2006年6月17日、京都文化博物館にて)
〔写真13〕 出囃子(2006年6月17日、京都文化博物館にて)

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