日本伝統音楽研究センター

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京都祇園祭り 南観音山の囃子

凡例

日本語要旨

0 はじめに

1 概況

2 担い手

3 曲目と笛の旋律パタン

4 囃子の機会

5 楽器とその奏法

6 演奏の実際

7 口唱歌・譜

8 伝承過程

9 囃子の変遷と意味付け

10 南観音山における囃子の特色

謝辞

文献資料

音響資料

映像資料

English summary 英語要旨

 

 

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0 はじめに

筆者らは、1997年度から1999年度にかけて、京都府の文化財保護課が実施した京都府民俗芸能緊急調査に参加し、祇園囃子の調査をおこなうことができた。残念ながら、その際は時間的な制約から、詳細な調査・報告は四条通りの一番東側からの3ヶ所(長刀鉾・函谷鉾・月鉾)のみとなった〔田井・増田 2000〕。そこで筆者らは、京都府の調査の終了後も、個人的な形で調査を継続することにした。ほぼ毎年1ヶ所ずつ調査をすすめ、将来的には、祇園祭りにおいて、囃子をはやしているすべての山・鉾・傘鉾の調査を実施する予定である〔田井・増田 2004、2005a、2006〕。

本稿は前回の北観音山にひきつづき、2005〜2006年におこなった南観音山の調査報告である。祇園祭りでは、昭和40年(1965)まで、前祭り(7月17日)と後祭り(7月24日)とにわかれて山鉾巡行がおこなわれており、後祭りで囃子をはやした山鉾は、北観音山と南観音山の2ヶ所のみであった。両者は明治時代前までは隔年毎に巡行しており、前回と今回の調査報告により、その囃子の共通・相違点が明らかになることであろう。また、南観音山の母体である百足屋町は、町民自らが大著の町史〔木村万平他 2005、百足屋町史編纂委員会 2005〕を刊行するなど、町への意識が高く、町組織のまとまりが大変に良い。そのことは祭りの運営にも大きく作用している。さらに、祭りをささえる財団法人南観音山保存会や南観音山囃子方会においては、他に類をみないひらかれた運営方針をもっていることが特筆できる。本稿では、囃子に関する基本的なデータを提出すると共に、そうした面にも注目することにしたい。

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