日本伝統音楽研究センター

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京都祇園祭り 放下鉾の囃子

凡例

日本語要旨

0 はじめに

1 概況

2 担い手

3 曲目と笛の旋律パタン

4 囃子の機会

5 楽器とその奏法

6 演奏の実際

7 口唱歌・譜

8 伝承過程

9 囃子の変遷と意味付け

10 放下鉾における囃子の特色

謝辞

文献資料

データベース

音響資料

映像資料

English summary 英語要旨

 

 

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9 囃子の変遷と意味付け

囃子の変遷
長老の回想によれば、かなり以前の放下鉾の囃子のテンポは現在の倍近く遅く、囃子をしながらねてしまった程であったという。昭和4年(1929)年に録音されたSP録音をきくと、録音時間の制約を考慮しても、こうした指摘がうなずける、テンポの遅さと緩急をききとることができる(特に〈兎〉)。同様に、(財)祇園祭山鉾連合会・京都市観光局文化財保護課が1968年に作成した録音テープをきいても、当時より現在の囃子の方がテンポが速い。またこれらの録音からは、かつての囃子では、太鼓の強弱の打ち方がはっきりしていて、メリハリや抑揚があることがうかがえる(以上、「音響資料」参照)。

また、昔の囃子方には我か我かという人が多く、「俺がやらへんと、囃子はなれへんのや」という思いが強かったという。

かつては、笛方は外部の人がやとわれる形で参加していた。そうした人々は、「どこそこの祭りで笛をふいていました」といって売り込みにきていた。大方市内在住の人々であり、昭和40年代には、まだそうした人々が3人程いたという。ただ、そうした人々には態度や囃子の内容に問題があった。たとえば、笛方の出席がとても悪く、曳き初めなど笛方が誰もいないということさえあった。また囃子に自信がない上に、どこでもやすめるので、手をぬくこともしばしばであったという。「囃子はやはり鉦からやらないとあかん」とおもったと、ある長老はのべている。

囃子方にとってかつて、巡行中に鉾の上から粽をなげるのが大きな楽しみであった。「粽がほうれるから、囃子方になった」という人も多かった。大体1人あたり100〜200束をもちこみ、中には300、600束という人もいた。粽は全体で数千束という有様であった。粽をなげることに夢中になるあまり、囃子がとまるといったことはざらであった。かつて囃子方の長を経験した人は、囃子方達が粽投げにあまりに熱中するので、「鉦をまくようなことをしてくれるな」と苦言を呈したこともあったと述懐している。

意味付け
放下鉾の囃子方には、「祭りはたのしむことが大事である。観光客のためではなく、自分達もたのしんで、本当の祭りになる。自分達が楽しくなければ、人にもたのしんでもらえない」という信念がある。だから、たとえば囃子方の指導者達は、宵山の際に子供達にも、「夜店にいってこい。ただし、次の囃子の番の人に、どこどこにいってくるといっておきなさい」と指導している。管理ではなく、把握をせよということが重視されているのである。

「祭りを伝承していくためには、お町内や鉾の関係者、囃子方が、同じ意識をもって努力する必要がある。囃子だけをやりにきているのではなく、祭りをささえているんだという意識を子供達にうえつけたい。そのためには、放下鉾やその囃子に誇りをもってもらえるようにしなければいけないし、鉾や囃子方には楽しい雰囲気がないといけない」と指導者達はかたる。

また、担い手達は、子々孫々同じことをくりかえすことが、自分達の使命であるとかんがえている。つなぐこと、すなわち次の世代にわたす役割の重さを痛感している。そのためには、祭りや囃子はある程度ひらかれている必要があり、囃子の後継者をそだてていくためには、放下鉾を一層しられたものにして、より多くの人々があつまる所にしなければいけないという思いが指導者達にある。つまり、囃子をつづけることが何より大事であり、そのためには改革が必要なのである。そして、のこしていかなくてはいけない事柄と、先につづけていくためには変化させなければならない事柄とのバランスをとることが大事であると主張する。

囃子の伝承に関して、囃子方も高齢化しており、また社会的に子供の数が減少している昨今、子供をふやすことが急務であるとされる。一方、最近の子供は、塾や受験などで忙しく、昔のように何が何でも鉾にのりたいという気持ちをもった子供の数が少なくなってきているのも実情である。しかしながら、子供の数をふやして、囃子方の総数を何とか50人までにもっていきたいと指導者達はかんがえている。

こうした思いから、放下鉾では近年、前述のように、インターネットによる囃子方の公募や、二階囃子の見学会の実施、さらには二階囃子期間中の幼稚園児達の招聘などを通じて、囃子方の希望者の掘り起こしに尽力している。

また、囃子を練習する環境をととのえることにも力をいれている。昔は、囃子方の子供の数が多く(50名程もいた時期があったという)、年長者達の中には、練習にいっても楽器がまわってこなくてすることがなく、つまらなかった思い出をもっている人達がいる。また、昔の年長の囃子方は、1回太鼓の前にすわったら、後輩にかわってくれるということは無かった。したがって、太鼓の練習をする機会はなかなかめぐってこなかった。そこでそうした事柄をいわば反面教師として、練習用の太鼓を2個から4個にふやしたり、鉦を新調して10個にするなどして、楽器にふれる機会を多くつくっている。

囃子では、協調性が何よりも大事であるとされる。「自分は囃子はできる、だけどおしえへん」というのではこまるという。また、年長者と若い人々の間の交流も重要であり、若い人々も上下関係を大事にしている。なお、上下関係というのは、実年齢ではなく、囃子方にはいった年代にもとづく。放下鉾では、年寄りの囃子方がいることにも意味があるとかんがえている。年寄りの話をきける人がのびるとされ、指導者達は、若い人達が挨拶をするかしないかを常にチェックしている。囃子とは、礼にはじまり、礼におわるとかんがえているからである。

放下鉾の囃子方では、平等な雰囲気を信条としており、子供も大人も祭りを、そして囃子をたのしんでいる。その意味で、前述した、二階囃子終了後における全員での会食を特に大事にしている。子供達の名前をおぼえ、交流をはかることができるとても良い機会だからである。また、囃子の終了後の様々な機会に、囃子方の寄り合い所などにおいて、成年の囃子方有志によっておこなわれる懇親会も、囃子方間の親睦に役だっている。

囃子方のうち、「鉾にのっている優越感、ステイタスを感じる。この仲間でワイワイやっているのが楽しい」などとかたる人々は多い。ある囃子方は、「やっぱり囃子が好き、鉾自体が好きである。鉾の欄縁にすわっていると、どっか優越感を感じる。今後100年後に、囃子がどうなるかをおもうと、責任感を感じる」という。さらに、現在最長老の囃子方は、「えらばれた人間としての自覚をもつことを子供達にはおしえている。鉾の上にのって、下をみおろすのは快感である。普通のお寿司でも、鉾の上でたべればどれだけおいしいことか。鉾にのる楽しみというのはそういうことなのである。えらばれて、浴衣をきて、囃子をちゃんとはやせるということが、人生で1番の楽しみである。鉾にのらなくなるといったことは想像できない。80歳になった現在でも、6月になるとうきうきする」と述懐する。

また別の囃子方は、「私のかよっていた幼稚園も小学校も中学校も、少子化のため統合され、無くなってしまいました。自分の住まいも6年前に今のマンションにたてかえ、町並みもすっかりかわってしまいました。その中で、子供の頃からかわっていないのは、『祇園囃子』かなあとおもいます。少し気障な言い方をするならば、心の故郷とのようなのになりつつあります。鉾の懸装品や鉾の数、それぞれの鉾の鉦の音はそれぞれ新調したので、かわってしまいましたが、お囃子だけはかわっていません」ともかたる。こうした思いが祭礼を、そして囃子の伝承をささえている。

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