日本伝統音楽研究センター

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凡例

日本語要旨

0 はじめに

1 旧下桂村と桂地蔵前六斎念仏の概況

2 桂地蔵前六斎念仏の民俗芸能誌

3 桂地蔵前六斎念仏の特質

4 桂地蔵前六斎念仏における伝承

謝辞

文献資料

音響資料

映像資料

英語要旨

 

 

桂地蔵前六斎念仏 その特質と伝承をめぐってトップへ

2 桂地蔵前六斎念仏の民俗芸能誌

衣裳

楽器の奏者は、浴衣に足袋姿である。芸物の演目では、それぞれにあった衣裳が用意されている。特に、〈土蜘蛛〉や〈娘道成寺〉の衣裳は、壬生狂言や歌舞伎舞踊のそれを模したもので、華やかなものとなっている。以前の衣裳は、地元の有力者であった風間八左衛門氏が寄贈したものである。

土蜘蛛の衣裳
〔写真13〕 土蜘蛛の衣裳

下桂は衣裳が豪華なことでしられており、「金襴緞子の衣裳が多く、衣裳に力を入れているところは、桂の誇り」〔江馬・井上 1953:76〕といわれていた。現在の衣裳は、国の重要無形民俗文化財の指定をうけた際に新調したものである。

かつては、中路万次郎氏が、衣裳方として衣裳に関する事柄一切をとりしきっていた。楽器や衣裳の保管は、かつては青年会の集会所である歓喜寺で、そこが廃寺になってからは、町会の集会所でおこなっている。

習得の過程と口唱歌

稽古は、前述のように、かつては8月1日からであったが、夏になると、畠で口の中でぶつぶついいながら、鍬を肩にたたいて練習したという。また、青年会にはいって最初の2年間は、太鼓は最も基本の〈四つ太鼓〉でさえうたせてもらえなかったので、稽古では太鼓のかわりに、〈獅子太鼓〉の碁盤乗りで使用する碁盤をうって練習した。笛は、稽古の期間、個人の家に習いにいった。

六斎念仏には、全ての曲の太鼓類にいわゆる口唱歌(節、文句ともいうが、正式名称は無い)があり、それをおぼえないとうてないとされる。芸物の曲をおどる人もおぼえる。口唱歌さえおぼえれば、後は見覚えでもよく、もし太鼓などの動作が不確かになった場合でも、笛がなったらそれにあわせることができるという。

口唱歌は、よくみられるような「テンテントコトコ」といったものだけではなく、引用した種目の詞章などをそのまま使用している場合もある(そしてこのことにより、引用種目の同定が可能になっている。後述)。口唱歌は本来は口頭伝承されるものであるが、前述のように、昭和11年に復活した際、それを文字化した『桂六斎念佛台本書』(昭和11年9月1日、謄写版)が作成された(〔芸能史研究会 1979:160-169〕に全文が掲載されている)。

 

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