2 桂地蔵前六斎念仏の民俗芸能誌
担い手
桂地蔵前六斎念仏は、桂六斎念仏保存会が組織される以前、15〜25歳までの男子が属する、下桂青年会(かつてはわかじゅ若中とよんだ)が担い手となっていた。青年会には25歳までくわわるが、六斎をおこなう人は35歳位まで所属していた。六斎は義務であり、六斎をやらないと桂の人間ではないとまでいわれ、仕事を途中でぬけてでも六斎に参加した。また、素行不良などの理由で除名されると、床屋に「○○は除名」と張り紙をされ、大変な不名誉であったという。組織は大きく、太鼓方・鉦方・笛方・踊り方にわかれる。六斎念仏は笛が基本であるとされ、指導権は笛方にある。運営費の大方は、棚経(後述)の際のお布施でまかなっている。
かつては、青年会の上の者(世話頭)が、ワカイシュ(若衆)に「六斎をやってくれ」とたのみにいった。入会の際には、酒やするめなどのつまみをもって、ワカイシュのあつまっている集会所(歓喜寺、後に廃寺になってからは地蔵寺)に挨拶にいく。その際には親についてきてもらったという。
初めてはいった者は2年程、茶番(見習い)をつとめなければいけなかった。その仕事は、荷物持ち・衣装方・茶汲み・会費の徴収などである。茶番がおわると、各種の役をふりわけられる。太鼓の基本的な演目である〈四つ太鼓〉の太鼓をうたせて適性をみた。それがうまくいかないと、「お前は踊りをしろ」ということになる。獅子舞をおこなう者は、逆立ちしてあるけないといけないといわれ、それをためされた。このようにして、それぞれの適性に応じて、「お前は○○の役」という風に、先輩から各種の踊りや楽器の役をわりあてられることになる。一番不器用な者には、〈猿廻し太鼓〉の縫いぐるみのサルがあてがわられ、何をやってもだめな人(ごろまという、役にたたないスイカの意)は、いつまでも荷物持ちをさせられた。
なお、茶番の時期でも、場合によっては〈豊年踊り(かっぽれ)〉や〈お公卿踊り〉、〈猿廻し太鼓〉などの簡単な踊りは演じることができ、それを通じて適性をみることもあった。太鼓・鉦・笛については、先輩からいわれる特定の楽器のみを担当することになり、持ち替えというのは基本的に無い。太鼓はうまくうてない者には、太鼓の上下の動作だけをさせることもあったという。