上野正章
『日本音楽の性格』が発売されると、控えめながら雑誌には広告が踊った。
『日本音楽』誌は彙報欄にも出版案内が掲載された。
本社顧問田辺尚雄氏の高弟吉川英士氏の新著『日本音楽の性格』が発刊された。吉川氏は田辺氏の後を継いで東京大学文学部及び東京音楽学校に於て日本音楽史講義を担当せられる篤学の青年である。本書は凡ゆる角度から日本音楽の性格を検討し、洋楽との長所短所を縦横に論及したもので日本音楽家の必読すべき名著である。(定価180円 送10円日本音楽社取次) 。(*12)
滝遼一と渥美清太郎による書評も発行されている。渥美は『日本音楽の性格』が出版された直後に『演劇界』誌に、滝は1951年に『東洋音楽研究』誌に掲載した。
渥美は、「若い学者で、これほど邦楽を愛し、擁護してくれる人があるかと思ふと限りなく嬉しい」(*13) と率直に出版を喜び、同時に、このような高度な内容が若い青年にとってちゃんと理解されるのかということに気をかける。しかしながら滝の評は、「氏の論は肯首しうる点が甚だ多い例へば宗教思想との関係、用語の歴史的変化、また日本人の自然愛などは私も考へてゐた所であつて、非常に面白い」(*14) と評価するものの、「併しその論は極めて表面的である」(*15)と苦言を呈す。滝の「私も考へてゐた」という文章は、『東洋音楽論』(*16)を念頭においていると考えられる。日本音楽ではなく東洋音楽全般について論じた書物であるが、東洋音楽の特色を議論する項目の中に吉川の議論と重なる部分がある。
ところで、この書物の出版から程なく東京芸術大学邦楽科問題が発生し、吉川は邦楽擁護派の先頭に立って闘うことになった。そのため、本の広告もそれに関連したものになった。
そして、本書はその後、品切れ、絶版になってしまう。予告された本篇が出版されることは無かった。事態が変化したのは、出版後30余年も経ってからのことである。ドイツにおける翻訳出版が行われ、それが機縁となり、復刊されることになったのである。
幻の書物として多くの人々に渇望されながらもなかなか入手出来なかった『日本音楽の性格』の再刊は、大歓迎をもって迎えられた。たとえば上参郷裕康は新聞書評において、復刊本なので出版時の背景を考慮して読む必要があるとした上で、類書が無く再版の意義が極めて大きいと記し、「本書は、いわば音楽の『日本美の再発見』である。広い視野に立ったその論述は、音楽を超えて文化論の一種でもある。音楽研究者必読の書でもあると同時に、広く日本文化論に興味を持つ方々に是非読んでいただきたい書であると思う」(*17) と評価する。同じく小島美子は雑誌の紹介欄で、この書物が高く評価されながら絶版が長く続いていたことを指摘し、出版を歓迎する。「著者が若い日に、伝統音楽に対する知識人たちの偏見に憤りを感じて、その美学的解明のりだされた気迫も、当時の空気も、そのままに感じとれて、私はそこが吉川氏の日本音楽研究の原点であったことを、改めてひしひしと感じさせられている」(*18) 。また、舘野善二も、本書が日本音楽の美学を提示したことを歓迎し「共感を覚えるとともに、広く、この本が読まれることを、邦楽を愛する一人として、希った」(*19) と記す。ただし、舘野は最後に「日本文化論にもなっている本書は、著者によれば試論であり、序説であるという。一日も早い本論を、期待したい」(*20) と記しているが。また、『季刊音楽教育研究』誌において樋口昭は、「本書は、日本音楽の精神面、美学面からの最初のアプローチであろうが、今日まで、本書を越える研究は成されていないように思われる。その意味で、本書は、先生ご自身、音楽学界のいずれにとっても、大きな記念碑であるといえよう」(*21) と評価するが、他方彼も、「三十年前とは、音楽の在り方も相違し、音楽のとらえ方も、多様化した現在、私達は、現代における日本音楽の性格を、再考することが必要なのではないか」(*22) と問いかけ、「著者の新しい論の展開を、期待しているのは、筆者ひとりではないだろう」(*23)と呼びかける。日本音楽の泰斗への長年にわたる活躍に対する敬愛を込めた賛辞と、改訂版ではなく再版されたことに対する思いが交錯している。
まとめ
再版後吉川は、『日本音楽の美的研究』を発表し、晩年には『三味線の美学と芸大邦楽科誕生秘話』を著す。両方ともタイトルに美学を謳っているが、多くの読者から待ち望まれていた『日本音楽の性格』の本論ではない。吉川自身も「シューベルトは《未完成交響曲》を一曲遺しているが、私は一体『未完成日本音楽の美学』を何冊書くことになるのだろうか!?」(*24)と記し、仕事が進まないのを忸怩たる思いで受け止めていたようである。「卆寿までに書き上げる自信はないが、白寿までには何とか−と思っている」(*25) と記している。しかしながら本が完成することは無かった。
再版からさらに30年近く経た現在、『日本音楽の性格』を再読すると、日本と日本人の変容が著しいことに気付かされる。当時だれもが当り前のことだと考えていた、先祖代々日本人は日本国に住んでいるという考え方が揺らぎ始めている。風土や自然環境も大きく変わり、それに対する接し方も変化しつつある。改訂や本論が叶わなかったことが推し量られる。しかしながら、そもそも昭和前期の東アジアの情勢を思い浮かべてみると、多くの人々はまったく当り前のように大陸に国内旅行に出かけ、移住し、日本人の領域も急激に変化しつつあった。様々な風土の土地が日本の領土に組み入れられ、音楽研究者達は東洋音楽の探究に深い関心を抱いていた。
終戦直後に出版されたこの書物が昭和期を通じて強い支持を得たのは、だれもが昭和前期を忘れようとし、近代日本以前を美しく思い浮かべたいという気持ちがあったからかも知れない。