研究活動

共同研究「詞章本とその出版に関する研究」(2006年度)

2006 | 2005 |
竹内有一

研究代表者

竹内有一

共同研究員:

井口はる菜(滋賀大学非常勤講師)、小野恭靖(大阪教育大学教授)、久保田敏子後藤静夫、竹内道敬(元国立音楽大学教授)、龍城千与枝(早稲田大学大学院博士後期課程)、 谷垣内和子 (東京芸術大学非常勤講師)、 配川美加(東京芸術大学非常勤講師)、 松岡亮 (立命館大学 COE推進機構客員研究員)、山崎泉(日本大学非常勤講師)、山根陸宏(天理大学附属天理図書館司書)、 吉野雪子(国立音楽大学非常勤講師)、渡邉浩子(大阪音楽大学非常勤講師)

コンセプトと目的

詞章本とは、うた本・謡本・稽古本・正本・浄瑠璃本・段物集・丸本など、音楽芸能の詞章を記した資料を、包括的に呼ぶものである。曲節譜が併記されていることが多いので、譜本と称される場合も多い。分野や流派、年代や目的ごとに、多種多様な形態で展開しているが、近世以降は整版印刷によって広く流布したことが最大の特徴であり、音楽芸能とその実演者・受容者にさまざまな影響を及ぼしてきたといえる。

詞章本については各分野で研究が進められ、詞章本を活用した研究成果も少なくないが、諸分野を横断的に概観しながら、詞章本そのものについて、あるいはその出版について包括的に検討された機会は多くないようである。本研究会では、各専門分野からの報告を軸にしながらも、分野ごとの視座に留まらず、諸分野を横断的に眺めることを第一の目的とし、次のような視点や課題を共通の意識として携えながら、詞章本に関わる基礎的な研究を進めたい。


  • 各分野ごとにみられる独自の特色は何か、分野を越えて共通する特色は何か。
  • 出版物としての詞章本の受容とその文化的役割や社会的意義について。
  • 文学・演劇・美術など、関係分野の出版物との関連性について。
  • 版元に関する情報整理(データベース作成に向けた準備)。
  • 写本による流布と刊本による流布、それぞれの特徴と差異について。
  • 曲節譜を記す音楽的資料としての特性や限界について。
  • 詞章本に関係する用語の歴史的用法や用語法の整理。
  • 詞章本の所蔵先や新出資料についての情報交換、所蔵機関への探訪や史料熟覧等。

経過報告

*第1回研究会
2006年6月10日(土)13:30-17:00、日本伝統音楽研究センター合同研究室1
テーマ:「江戸期歌謡の出版をめぐって」

(1)研究発表:小野恭靖「教化(きょうけ)の歌謡―出版・絵画・流行(はやり)歌謡(うた)―」
江戸期に行われた多種多様な歌謡のひとつに、教訓的な内容を歌って庶民を教化(きょうけ)する歌謡群がありました。今回の発表ではそれらを「教化の歌謡」と呼び、その代表的な作品の出版状況や絵画化の問題、さらには流行歌謡との関係について言及してみたいと思います。つまりは、詞章本とは別世界にある江戸期歌謡の出版の実態及びその周辺について考察を加えたいと考えておりますので、皆様方の様々なご専門の観点から御教示をお願い申し上げます。(小野)
(2)自由討論(コメンテーター:久保田敏子)
(3)研究短信「昨年度の研究活動について」(全員)


報告:
藤田徳太郎氏が定義した「教化歌謡」を広義に捉え、「教訓的な内容を歌って庶民を教化する歌謡群」を「教化の歌謡」と称す小野氏の観点から、江戸期の歌謡の一分野における出版物について研究発表が行われた。近世邦楽の詞章本のように、大衆向けの商業形態が整った分野での出版とは異なり、限られた階層の学問の分野で求められた出版形態については、現時点では明確な記録をたどることは難しい。とりわけ、白隠慧鶴とその弟子筋に当たる心学関係者の動向は、特に上方の商人階層における出版文化をたどる上で示唆にとみ、教化に関わる歌謡作品群の資料を示しながらの考察に対して、同じ江戸期の歌謡文化でありながら、享受者はもとより、地域やジャンルによって様々に変容する出版形態の差異などを中心に、自由に意見が交換された。(龍城千与枝)


*第2回研究会
2006年7月30日(日)13:30-17:00、日本伝統音楽研究センター合同研究室2
テーマ「宮古路・豊後系浄瑠璃の詞章本出版 その1」
(1)研究発表1:根岸正海(ゲストスピーカー、国立音楽大学非常勤講師)
「宮古路節の研究と正本」宮古路国太夫(豊後)を流祖とする多くの流派は上方では「国太夫節」、江戸では「豊後節」と呼ばれ、通常「宮古路節」と総称されている。しかしながら、上方においては各流派の活動には、少なからず差異もあり、独立性・独自性を見ることができる。それらを明らかにするには正本の検討が不可欠であることもわかっている。今回は、宮古路節正本の特徴と、そこから得られる情報について概説する。(根岸)
(2)自由討論1
(3)研究発表2:竹内道敬「新内『明烏』の成立ほか」
(4)自由討論2


報告:
研究発表1では、宮古路節研究のエキスパートである根岸正海氏が、まず、「豊後節」か「国太夫節」か「宮古路節」かという音曲名に関する定義付けを丹念に行い、その後、宮古路節正本(段物集・薄物正本)出版の動向とその特徴に関する概説を行った。これまで紹介されることのなかった新出正本も提示され、その中に番付未見の正本もあったのはまことに貴重であった。宮古路節正本に関しては義太夫物の多さが非常に目立つが、この両者の関連性や伝承形態について、今後よりいっそうの考察が必要になることであろう。
研究発表2は、新内「明烏」成立に関する発表。始めに宮薗「夕霧由縁の月見」からの趣向取りを説明した後、「明烏」の原拠になったと考えられる「けいせいこんたんの枕」の内容を検討、さらには豊嶋国太夫直伝の「明烏」正本を考察しつつ、「けいせいこんたんの枕」の作者である神崎助丸、(節付を行った)桑岡仲太夫、豊嶋国太夫、鶴賀若狭掾は同一人物ではなかったかとする大胆な仮説が提示された。(山崎泉)


*第3回研究会
2006 年 9 月 3 日 ( 日 ) 13:30 〜 17:00、 日本伝統音楽研究センター合同研究室2
テーマ「地歌・箏曲をめぐって」
(1)研究発表1:
谷垣内和子 「地歌箏曲の詞章本の性格について」
(財)宮城道雄記念館所蔵の「吉川文庫」中の地歌箏曲関連資料を中心に、その概要について報告します。その過程で、地歌箏曲の「詞章本」の出版形態に見られる特色や、機能などについて触れ、他の種目の詞章本との相違点や共通点など、メンバーの方々と共有できる話題に展開したいと考えています。(谷垣内)
(2)研究発表2:
山根陸宏「箏組歌本の成立における『流儀』―天理図書館蔵吉田文庫の資料を中心として―」
箏組歌本に関しては、地域性や流派による差異が大きく、その内容は、流派の別によって非常な差が生じるとされる(平野健次・久保田敏子「箏組歌本と砧物―音楽文献学的考察としての試論―」『東洋音楽研究』第30・31・32・33合併号、1970年)。今回は天理図書館蔵吉田文庫に含まれている『箏曲大意抄』の版本、写本などを素材として、箏組歌本が箏組歌の「流儀」を要素として組み立てられていることを中心に述べたい。
吉田文庫本『箏曲大意抄』版本は、刊行された元の姿ではなく、冊の単位を越えてさえ、一定の規則により、丁が(曲順が)入れかえられている。これは、江戸生田流の曲順配列=伝承上の組織立てに同感できない所蔵者がならべかえたもので、ここには箏組歌における「流儀」の意思がどのようなものかが、明瞭にあらわれている。同じく吉田文庫中の『箏曲大意抄』写本と松岡雄淵書写『三曲奥飛燕并五段』などにより、箏組歌本写本はどのように利用されたかについての事例を提供したい。(山根)
(2)自由討論(コメンテーター:久保田敏子)


報告1:
まず研究発表1においては、谷垣内研究員が(財)宮城道雄記念館所蔵の「吉川文庫」(吉川英史氏旧蔵資料)の概要を述べられ、この文庫資料のうち、地歌箏曲に関連のある資料を拾い上げて、地歌箏曲の詞章本が抱える問題点を発表された。特に、地歌の詞章本は何度も増補改訂されるなどして、見かけの上では同じ資料のようでも、内容まで完全に同じであるとは限らないものが多く、刊記の有無にかかわらず、その本来の姿を特定するのは難しいことを示された。
出版状況に関するデータを表示しづらいという点は、地歌箏曲の詞章本の性格をよく表しているが、そこが問題点でもある。この研究発表によって、今回はやはり、目の前にある資料が持つ性格を表すのにもっともふさわしい書誌表記の方法は何かという問題が、この研究会に突き詰められることとなった。また、他の種目と共通する話題として、書誌データを収集整理する際に必要な用語の統一と整理が、今後必要となるであろうという意見も聞かれた。


休憩をはさんで、研究発表2では、山根研究員が天理図書館蔵吉田文庫に含まれる『箏曲大意抄』の版本、写本、松岡雄淵書写『三曲奥飛燕并五段』などの資料を提示しながら、特に吉田文庫本『箏曲大意抄』版本の綴り方の問題を中心に発表された。組歌の伝承過程においては、その教習段階を表す「表・裏・中・奥」などの区別があり、それぞれの区分にどの曲が分類されるかということによって、流儀による伝承の違いが顕著に見えるものである。
吉田文庫本『箏曲大意抄』版本は、印刷された丁数通りではなく、版本の冊の単位をこえて、曲順を入れ替えて製本し直されている。これらをふまえて、山根研究員は、その改編された曲順が、この版本の元の所有者が伝承した流儀の教習順を表しているのではないかと考察された。

研究会全体としては、日本伝統音楽研究センター所蔵の地歌箏曲関連資料のほか、研究員諸氏が個人蔵の貴重な資料を持ち寄ってくださったことにより、同名資料であっても版によって相違があることを、実物を見ながら確認することができ、大変有意義であった。(井口はる菜)


報告2:
伝音センターに所蔵される約30点の地歌・箏曲の歌本が、今回はじめて竹内有一によって一覧表として提示された。林喜代弘・和田一久氏からの寄贈品が多いこと、稀覯本はなく、「千代のしらべ」「新千代の寿」「歌曲時習考」の流布本が多いことが、現時点での特徴である。今後、センターのWebを活用して、書誌的調査の成果を公表していきたい。また、鈴木由喜子氏より、京都府内の某機関で整理と公開準備が進められている地歌・箏曲の資料について、その概要と寄贈者について報告をいただいた。(竹内有一)

報告3:
自由討論で検討された用語に関するメモ

【刊・印・修】 これらの用語は、一冊の版本の成立事情や、版木の入れ替えや彫り直しといった事柄について、少ない字数で適確に表現できる術語として、目録をはじめ論文等での共通語として、本研究会で有効に活用したいと考えている。もちろん重要なことは用語法そのものよりも、版本に関する情報を、いかに正確に、誰がみても誤解のないようにわかりやすく伝達し共有するか、という点である。

【詞章本】 「詞章本」とは、多くの分野で使用されている歴史的用語によらない、総合的な呼称として、必要な文脈の中で使用するものである。本研究会の中心的な視座を捉えた言葉として、研究会の名称にも使用している。ただし、種目別の声楽譜の視点でいえば、「歌本」「浄瑠璃本」「謡本」といった呼称のほうが、近世に遡る一般的用語として、最も無難な汎用性の高い言葉であり、通常の文脈ではできるだけ後者を使用したいと思っている。奏法譜を記すなど楽譜の性格の強い版本や、曲の解説や由緒を中心に記した本などは、個別に適確な呼称を用いるべきだろう。

【正本】 劇場系音楽では、開曲時の詞章と節付を正しく公開し、あるいは偽物と区別するという意識があったために、正統の本、正しい本という意味あいで、「正本」という歴史的呼称が用いられたと考えられる。この語は、その字義に即して用いるべきで、濫用すべきではないだろう。たとえば、幕末の吉勘や富士政の刊行した江戸長唄や清元の詞章本は、たとえ表紙にそう謳われている場合でも、これらを「正本」として認識してよいか、といった問題が絡んでくる。つまり、どのような出版物であっても、当該曲の著作者・初演者・伝承者等が、その流派の正統な出版物として認識しているかどうか、留意しておく必要があるだろう。また、「丸本」「段物集」は、義太夫研究者の間で定着してきた語であるが、これらについては、近年報告されている新しい研究成果を参照していきたい。(竹内有一)

*第4回研究会
2007年1月8日(月・祝)13:15-17:30、日本伝統音楽研究センター合同研究室1
(社)東洋音楽学会西日本支部第232回定例研究会と合同開催
テーマ:浄瑠璃本の出版システムをめぐって
1)研究発表1:竹内有一「豊後系浄瑠璃本の事例報告」
豊後系浄瑠璃のうち、江戸三座を中心に展開した豊後三流の事例を報告する。初演と出版の関係、稽古本の再刊・再印の事情を検証する。
2)研究発表2:神津武男(早稲田大学演劇博物館、ゲストスピーカー)
「義太夫本の事例報告」
義太夫本(義太夫節の浄瑠璃本各種を総称)について、種類と名称およびその性格を概観する。いわゆる丸本・稽古本・段物集を、上演記録として活用する場合に留意すべき問題について、報告する。
3)自由討論 司会:井口はる菜 出席:共同研究員11名、東洋音楽学会会員約20名


要旨1: 豊後三流の浄瑠璃本研究は、竹内道敬・安田文吉・根岸正海らの先学によって成果があげられてきた。今回は、常磐津稽古本「忍夜恋曲者」(1836初演曲)を例に、版木の彫り・刷り・修正・組合せといったレベルでの精査にもとづいて、浄瑠璃本の版本としての基本的性格を再検討する必要性について提言を行った。

まず、豊後三流の稽古本の刊年は、奥付の版元およびその住所によって推定される、と考えられてきたが、版本成立事情に即して、より正確に言い換えるならば、奥付の版元およびその住所は、版木の彫られた<刊>年ではなく、さしあたって版木が刷られた<印>年を判定する材料にしかならない。奥付・表紙を欠いた後綴本が多く現存するという現状を考慮すると、奥付を有する諸本の精査をベースに、常に、本文の版木の版面や丁付けを細かく点検して、奥付を欠いた後綴本を排除せずに丁寧な考証をしなければ、もっとも初刊に近い版本を見いだすことができない場合も多いのである。  

事例紹介した「忍夜恋曲者」稽古本は、常磐津正本版元の伊賀屋およびその版株を1860年12月から受け継いだ坂川屋によって、木版で再印・再刊が続けられた。版木が摩滅に耐えられず、覆刻(被せ彫り)や模刻による再刊が繰り返され、現在確認できただけで、9種類の版木が存在したことが判明した(私による約30の所蔵機関・約3000件の常磐津本の書誌調査に基づく)。木版による再刊に際しては、上演や稽古の実情に即して本文内容が改変されることはほとんどなく、内題下の直伝者名や奥付の連名等によって「直伝の正本」であることが継続的に掲示された。それらと著作権の意識との関連性など、音楽の伝承や浄瑠璃本の出版物としての性格を考える上で、興味深い事柄といえよう。

なお、「正本」という語は、単に木版の詞章本というほどの意味合いで研究者によって濫用されることも多いが、版元や流派が正統な本であると認定していると考えられる場合についてだけ、そう呼称すべきであると考える。
(竹内有一)


要旨2:こんにち「丸本」「稽古本」の語は、前者は作品全体、後者は作品の部分、を収録した本との意味で通用するが、近世期の用例とは、ずれている。

明和七年刊『義経腰越状』四段目のみの単行七行本内題に「四段目の丸一段」、刊年未詳『芦屋道満大内鑑 狐別れの段』六行本の表紙に「芦屋 丸 四の口」と記す。これらの例をみれば、一段全部との意味であり、初段から最後段までというに限らない。また丸本は近世期、包紙では一貫して「大字稽古本」と名乗った。もとより稽古本は、所収単位を含意しない語である。

大坂浄瑠璃本屋の出板目録、嘉永三年刊『五行・四行/浄瑠璃外題目録』は、巻頭に「七行通シ本目録」を補った第一次改修本の題簽角書に「通本・抜本」と掲げる。同書に基づき、丸本を「通し本」、稽古本を「抜き本」と呼ぶべきことを提唱している。

また段物集は、「道行揃」と呼ぶべきである。「段物」「道行」とは本来、「節事」「景事」と並んで作品構成部分の音楽的性格を示す用語である。『増補宮薗集都大全』巻末の「浄るり物目録」の分類では、『音曲東西丸』を「道行景事揃」、「段もの計集一冊」を「音曲段物揃」と、収録内容に応じて呼び分ける。

十八世紀中葉、宮古路節・宮薗節に段物集(段物揃と呼ぶべきだろう)があったにも関わらず、同時期の義太夫節には段物集が出ず、道行揃しか行なわれなかった。これは『今昔操年代記』にいう、「道行、四季」(の景事)などの公開はするものの、「段物」は限られた弟子にしか許さないという稽古の伝統を反映したものであろう。  

発表者は「通し本」の所在調査・書誌研究を進めている。すでに所在の明らかであった九八機関(宮本瑞夫氏「正本所在目録」(『義太夫年表近世篇』所収)と『古典籍総合目録』の所載分)のほかに、一七二機関にも所蔵され、一都一道二府四一県におよそ二万千冊余が残る。往時の浄瑠璃本の隆盛を想うべきであろう。  

通し本調査の成果のひとつは、板元研究の基礎となる点にあると考える。今後進展するであろう、義太夫節現行曲(人形浄瑠璃文楽の現行本文)の成立時期に関する研究においては、抜き本は主要な典拠資料となる。無刊記が原則である抜き本であるが、板元の活動時期からその刊(開板)や印(摺次)を特定することが可能である。通し本の残存数から推定すると、抜き本は数万の単位で残るはず。これを上演記録として有効に活用するためにも、通し本による板元研究を充実させたい。所在等御教示ください。
(神津武男)


報告1: 研究発表1では、竹内有一氏によって、豊後三流の浄瑠璃本における劇場初演本から稽古本への出版システムが報告された。稽古本については常磐津「忍夜恋曲者」を十例挙げ、出版の実情が、版木流用の流れや覆刊の頻度、本文に意図的な修正はほとんどないこと、奥付の版元名や住所は更新されることなど具体的に示された。並べてコピーするとどれも同じように見える稽古本にすべて違いがあることを確認し、流布の状況などを認識する良い機会となった。  

研究発表2では、神津武男氏によって、まず義太夫節浄瑠璃本の種類と性格が概観され、いわゆる「丸本」「稽古本」「段物集」をそれぞれ「通し本」「抜き本」「道行揃」と呼ぶとする神津案がその根拠と共に説明された。また、そのうちの稽古本を中心に、上演記録として活用する際に知っておくべき実際の上演との関わりが、いろいろな事例を基に具体的に報告された。  

その後の自由討論では、東洋音楽学会西日本支部定例研究会との合同開催ということもあって活発な意見交換が行われ、網羅的に資料調査する方法として浄瑠璃本の写真入り名刺を用意するといった神津氏の工夫も披露された。今回の浄瑠璃本に関する二つの発表は、これまであまり行われなかった稽古本についての研究成果に負う所が多く、すべての詞章本に等しく資料的価値があるとする神津氏の言葉と共に、浄瑠璃以外の分野の詞章本研究にとっても大きな励みとなった。
(配川美加)


報告2: 研究発表1で報告した「忍夜恋曲者」稽古本の諸本について、一度は自分でその存在を確認しておきながら、当日の報告に漏らしてしまった史料があった。もっとも初刊に近いとみられる版木を解明する上で、新たな手がかりを与えてくれる史料なので、お詫びと事後報告を兼ねて、この場で紹介しておきたい。  

当該本は、国立音大竹内道敬文庫に近年新たに所蔵された2本(04-0977、04-0978)。同文庫目録(その十一)43頁の書誌によれば、2本ともにいがや勘右衛門の奥付をもち、前者はいがやが神田鍋町に所在した時の印本、後者は神田鍛冶町に所在した時の印本である。神田鍋町の住所表記は、天保6年頃から嘉永元年までに相当するので、印年が判明する同本の稽古本としては、もっとも古いものになる。  

早速、1月中旬に同館で原本を確認させていただき、その結果、この新出の2本同士が同じ版木を使っていること、そして、この2本の丁付け表記は、研究発表で紹介したB板と同じであることがわかった。新出本の紙焼き写真は未入手のため版面の詳細な検討ができていないので、新出本がB板と同じ版木を使っているのか、それとも覆板関係にあるのか、といった点については、今後の検証を俟たねばならない。  

いずれにしても、この新出本の存在により、A板とB板の先後関係や、あるいはそれぞれの覆板の関係については、もう一度見直す必要がある。再刊を重ねる稽古本の版木検証の難しさをあらためて思ったが、短期間でこれほど多数の再刊を繰り返した曲目は限られているので、ある意味では特殊な事例とみるべきであろう。
(竹内有一)


※今後の活動については追ってお知らせします


最終更新日:2007/08/02 | 公開日:2007/07/19