京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター

京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター

 
日本伝統音楽研究センター > 伝音アーカイブズ > 祝言としての〈翁〉・〈高砂〉 > 【出演者インタビュー】 吉阪一郎氏に聞く#2

祝言としての〈翁〉・〈高砂〉

【出演者インタビュー】 吉阪一郎氏に聞く#2

4 〈翁〉のテーマ性

インタビューに応じる吉阪氏と聞き手の北脇・荒野

インタビューに応じる吉阪氏と聞き手の北脇・荒野

関本:〈翁〉は天下泰平という概念でも言われるじゃないですか。そういうのも感じられる?

吉阪:もちろん。それが全てです。本当に特殊で、能とは別のものですね。

関本:面白いのが、シテ方が天下泰平で、どちらかというと格式高いというか、尊い方がやられるというイメージで、狂言方の方は農民がやっているようなイメージがあって。見ている者としてはそんな感じで見ていたんですけど。後ろで演奏していて二者の間に何か違いを感じることは?

吉阪:もともとそういう意図もあったかもしれないし、そういう解釈も間違いではないと思います。三番三がつける黒式尉という面は、日焼けした農民のイメージといわれてますし、実際、三番三の型に種まきの型というのがあって、種をまく動作をします。山本東次郎先生は、揉出シは籾がパッとはじけるみたいなイメージだとおっしゃってます。稲作と三番三との繋がりは非常に深い。だけど、〈翁〉という全体で見た時は、色の白い翁と黒い翁で陰陽和合を表し、世の中の平和(天下泰平)の根本を示しているんだと思います。例えば年長者を大事にして長寿を祝ったり、お米がちゃんと収穫できてとか、それが基本でしょ。生活の基本がしっかりしていれば、世の中うまいこと回るよ、ということを舞台で見せてるのが〈翁〉なんです。だから江戸式楽の中で〈翁〉が大事にされてきた理由であると思います。

ただ、演奏が翁の方が複雑で、三番三の方が単純やというくらいの差別は意識のどこかにあるかもしれませんけれども。

関本:〈翁〉の方が複雑なんですか?

吉阪:複雑です。複雑に変化していくんです。三番三は同じパターンしか打たないので、頭取がパターンを変えても脇鼓が変化するというのはないんです。でも翁の方はそれがあるので。そういう意味での複雑さ、演奏の技術の難しさは翁の方にはあります。

関本:続ける大変さというのもありますよね?同じフレーズを何回も打ち続けるという。

吉阪:それも実は翁の中にもあるんです。翁の中にあるフレーズ(千歳が舞うところ)の長いバージョンが三番三。千歳が舞うところはとても速くて時間も長いんです。その3倍くらいあるのが三番三のほうで、どっちもしんどいです。

関本:鈴ノ段あたりが?

吉阪:いえ、揉出シです。

関本:高速の部分が一番大変なんですか?

吉阪:走った後みたいに息が上がってくるんです。なので、掛け声がかけられなくなってくるんです。「ヨ、ホ、ホ、ヨ、ホ、ホ、ヨ、ホ、ホ」(実演される)。これで延々打っていますから。打つだけなら、問題ないんですけど、掛け声が、「〇、ヨ、ホ、ホ、〇、ヨ、ホ、ホ……」(〇のところが息継ぎの部分)息継ぎが一回しかないですから。これをやり続けるので、息が上がってきてすごいしんどい。はよ三番三立てよ!と思います(笑)。なんのために立つまでにあの長い前奏部分があるのかと。

関本:籾が発芽するには時間がかかるから、そのエネルギーを表しているのか。

吉阪:意味がないことはないと思うんですけどね。民俗芸能でもいろいろな〈翁〉がありますけど、能の〈翁〉も、もともとはもっとおおらかな感じだったんじゃないでしょうか。今は、この型の後にこれがあって、これの後にこれがあって、とキッチリしてるんですけど、たぶんちょっと前までは結構アバウトだったのかもしれない。

 

5 見どころについて

インタビューに応じる吉阪氏

インタビューに応じる吉阪氏

北脇:〈翁〉の中でとくに見ていただきたいところは?やはり三番三の鈴ノ段でしょうか?

吉阪:先ほども言いましたが、翁が面をつけてから、立ち上がって三番三と向き合うところがあります。この向き合うことが、〈翁〉の大切なシーンで、陰陽和合を表します。〈翁〉にはいろいろなところにメッセージが隠れている。鈴ノ段のクライマックスはもちろん見どころですが、見ていれば自然に盛り上がりを感じてワクワクした気持ちになって下さるところでしょう。しかし、この向き合うところは、その意味が大事なところです。

北脇:知っているのと知らないのとでは見方が全然違いますね。

吉阪:そうですね。見逃してしまいます。

北脇:申し合せに違いはありますか?

吉阪:慣れている流儀同士、例えば観世流と大倉流なら申し合せをしないこともあります。三番三の申し合わせは通常はしません。普段の能でも申し合わせは1回だけで、それは〈翁〉でも同じです。

能の緊張感と、〈翁〉の緊張感は異なります。合わせるのが〈翁〉の特徴です。能は合わさないでしょ?能は合わさずに引っ張り合うけれど、〈翁〉はシテの動きに合わせるためにシテをしっかり見て打ちます。足拍子を踏むところは拍子に合わせて打たないといけないので、特にしっかり見ています。だから、できるだけ申し合わせはさせていただきたいです。

三番三の方は、三番三が囃子に合わせている感じかな。鈴ノ段の最初はゆっくりでしょ。このゆっくりな間、鈴のシャンっていうのと鼓のポンっていうのが楽譜上は合わないといけないんですが、これが難しい。三番三は正面を向いてるから背後の鼓は見えない。鼓は三番三が見えてるんですけど、なかなか合わない。つまり〈翁〉のように見て合わせているわけではないから。こちらのリズムで打って、その呼吸に三番三が合わせてくれる方がいいのかな。それにしても、よくタイミングがズレます。

北脇:〈翁〉で特に合わせに行くっていうのは、〈翁〉が特に儀式的な演目だからでしょうか。

吉阪:そういうことではなくて、例えば〈道成寺〉の乱拍子も、鼓とシテの足の動きを合わせるのですが、あれは全くシテを見ていないです。鼓の息をシテが盗んで、ポンというところでパッと動くっていう息の駆け引きです。打つまでを重視していて、結果、合えばいいですし、外れたら外れたでも構わないって感覚なんですけど、〈翁〉は足拍子を特に重視していて(足拍子のそれぞれに固有の名前があります)、シテの動きを見て拍子を踏むところに、つまり足が床に着くところに鼓が合わせて打ちます。そもそも楽譜のような決まった拍の概念はなく、息で間を測ることをほとんどしません。打っているあいだも頭取の間(ま)がシテの動きや謡によって伸びたり縮んだりしています。それが〈翁〉独特の作りだと思います。

関本:認識の違い面白いですね。

吉阪:頭取が合わせに行くから、脇鼓は頭取に合わせないといけないので結構ひやひやなんです。

荒野:そこのところは流派によって型が違いますね。

吉阪:違います。

荒野:観世流以外の流儀とおやりになったことはありますか。

吉阪:金剛流以外はあります。金剛流の神楽式という形式では勤めていますが、〈翁〉は今回が初めてです。

6 これまで演じた場について

北脇:これまでどのような場で〈翁〉を演じたことがありますか?

吉阪:イタリアのシチリア島で、古代円形劇場の中で〈翁〉演じました。

関本:ローマ式ということですか?

吉阪:そうそう。海外でも何度か〈翁〉を上演しましたが、それが一番印象に残っています。

関本:今までどの辺に行かれたことがあるんですか?

吉阪:海外はフランスが圧倒的に多いですね。アメリカ、ドイツ、イスラエルにも行きましたね。ロンドン、スロバキア、とイタリア。

北脇:イタリアは屋外?

吉阪:シチリア島の遺跡です。周りには何もないところでした。そこで、〈翁〉と能が三番くらいあったのかな。シチリアでは3日か4日くらい。その時はイタリアを1か月ほどかけて回ってたんです。

北脇:海外で〈翁〉をされた時に、他の能の演目をされた時と〈翁〉をされた時で、海外のお客さんの反応というのは違いがありましたか?

吉阪:それはあまり変わらないんないじゃないですかね。何かを感じ取られたかもしれませんが、舞台からはわかりません。2018年に野村万作先生、萬斎さん、裕基さんの3代で三番叟がパリであったのをご存知ですか? 7日間だったかな。1日2公演。三番叟だけで、翁はなかったんですけど、公演ごとに三番叟が万作先生、萬斎さん、裕基さんと変わるんです。フランス人のコンテンポラリーダンサーの友人が見に来てくれて、万作先生の三番叟を見て衝撃を受けていました。何よりも、あれだけ激しい三番叟を万作先生の年齢で舞えることが信じられないと興奮して話していました。その友人は何度も能を見ている方ですが、特に初めて能を見た人にいちばん伝わることは、演じている役者の気迫とか、生き様とか。それが伝わればしめたもの!それをきっかけに、能ってどういうものなんだろうと興味を持ってもらえれば、また見に来てくださると思うんです。

北脇:他にはどんな場で演じられましたか?

吉阪:大阪城ホールのこけら落としですね。その時に〈翁〉があったんですけども、鼓が5人だったんです。

北脇:5人!

吉阪:僕が高校生ぐらいの時かな。大倉長十郎先生が頭取で、たしか源次郎先生と久田先生と清水晧祐さん、そして私の5人やったと思います。

北脇:どうして5人になったんですか?

吉阪:おそらく会場が大きかったからでしょう。5人って大変ですよ。端っこの脇鼓に真ん中の頭取の息や合図が伝わらないので。なので〈翁〉を3人でやるというのは、理にかなってるんです。昔の絵に残っている翁では、もっと大勢でやっていたみたいですけど。江戸時代以降で5人はこれ以外にないんじゃないですかね。

続き:吉阪一郎氏に聞く#3→

 

吉阪一郎氏に聞く#1 吉阪一郎氏に聞く#2 吉阪一郎氏に聞く#3

吉阪一郎(きちさか いちろう)|プロフィール

吉阪一郎氏

昭和40年(1965年)生まれ、小鼓方大倉流。幼少より故祖父 吉阪修一に稽古を受け、昭和50年 独鼓〈竹生島〉で初舞台。昭和61年大倉流小鼓十六世宗家 大倉源次郎師に内弟子入門。平成3年独立。これまで「獅子」「乱」「鷺」「道成寺」「卒都婆小町」「鸚鵡小町」「姨捨」などを披き、世界各国での能公演に参加。社中の会「若葉会」主宰。日本能楽会会員。国立能楽堂研修課程講師。重要無形文化財保持者(総合認定)。

 

公開:2024年02月05日 最終更新:2024年07月05日

京都市立芸術大学 日本伝統音楽研究センター

600-8601 京都市下京区下之町57-1 京都市立芸術大学
TEL  075-585-2006 FAX 075-585-2019 共創テラス・連携推進課

©Research Institute for Japanese Traditional Music, Kyoto City University of Arts.

ページ先頭へ