北脇:続いて〈高砂〉についてお伺いしていきたいと思います。〈高砂〉を演じる際に特に心がけておられることだったり、先生ご自身こだわっておられたりしているところは何かありますか?
金剛:心がけていることは、晴れやかな、祝福の空気を生み出せるかどうかです。脇能というのは颯爽とした、清々しさがないと成立しないですから。そういったことを大切に演じています。
北脇:金剛流では弟子家の能楽師が〈翁〉を舞う機会はほとんどないということでしたが、〈高砂〉はいかがでしょうか?
金剛:〈高砂〉は若手の頃に上演することが多いです。
北脇:シテも若い神様ですね。
金剛:前シテは尉ですけどね。でも脇能の尉というのは、本当のお爺さんとしては演じません。生きた人間のお爺さんとか、お爺さんの幽霊の役には三光尉を用いることが多いですが、小尉と三光尉というのは能の演じ方が違います。三光尉の方は人間のお爺さんとして演じますから、年齢を重ねた表現が大事になりますけども、小尉はそこまでしない。もちろんまったく表現しないわけではないんですけども、やっぱり神様の化身なので小尉でお爺さんを演じる際には神の化身としての力強さは大切なんです。あと脇能は若いうちにきちんと手掛けておきなさい、とはよく言われます。〈高砂〉に限らず、脇能というのは劇として能の定式の進行をするんですね。ワキが真ノ次第で登場しまして、シテが真ノ一声で登場します。サシ、下歌、上歌、ワキとのかけ合いがあって、初同、クリ、サシ、クセ、中入前……という感じで、能の進行のパターン、定型を踏んでいるので、こういった能のパターンを身体に沁み込ませ、一曲の進行の中での場面ごとの演じ方を身につける。脇能を若いときに手がけることで、どうやって能が構成されているのかを学ぶんですね。一声の謡は幕から現れた位を受けてしっかりとした位で謡って、サシになって位を少し進める、というように他の能でもこういったパターンは共通してありますが、脇能ではそれがより強調された形である。それ後は下歌になって調子を抑えて、上歌で力強く華やかに盛り上げていく。もちろん定型外の演目というのは数多くありますが、基本的な能を演じる際の心得ごとと言いますか、そういうものが脇能は身につきやすいんです。そういう定型を踏まえた折り目正しさを心がけることも脇能を演じる上で大事なことと思います。
関本:いわゆるパターンですよね。最初は抑え気味で最後にクライマックスが来て……。
北脇:ある意味全体のリズム感と言いますか、抑揚のバランスを身につけていく。
金剛:そうですね。その中でまた、能というのは自然に盛り上がっていくようにできているんだな、と気付きます。能はこういう構成で作られていて、やっぱり物語のクライマックスに向けて盛り上がっていくんだな、と気付きますよね。
関本:これは〈高砂〉の謡本なんですけど、どこからがクライマックスになりますか?
金剛:やはり後場が盛り上がりますね。
関本:(謡本を見ながら)「高砂やこの浦舟に帆を上げて」……。
金剛:そうですね、ワキの待謡の後、出端の出囃子で後シテが登場して、その勢いを受けて神舞に入っていきます。すごく颯爽としたテンポのはやい舞ですね。
関本:この神舞のところは舞がはやいんですね。
金剛:それで最後のキリの仕舞に入っていく。力強く舞い終えて終曲に至るのですが、前シテにも色々と見どころはあります。〈高砂〉は脇能の中では珍しいところがありまして、中入りの場面がなかなか変わってるんですよ。「追い風にまかせつつ。沖の方へ出でにけりや」というところでお爺さんが両手をぐーっと正面の先の方で開きまして、自分の水衣の袖を広げるんですけど、自身を舟の帆に見立てているような型をするんですね。当て振りみたいな型をする。脇能はシンプルに作られていることが多いですから、こういった具体的な型をするのは珍しいです。この「追い風にまかせつつ」の型は、〈高砂〉でしかしない型ですからね。こういった特殊な型が出てくる中入りのところにひとつ見どころがあります。
関本:そんな具体的なものを象徴させる動きがあるというのは、面白いですね。観客としてもそういうのを想像しながら見ていくのも面白いです。松の風景が見えたような気がした、とか……そこは自由に想像して良いんですよね?
金剛:もちろんです。あとは箒で落ち葉を掃くところです。これは有名な場面ですね。「かけども落葉の尽きせぬは」という謡の中でお爺さんが落ち葉をかく。かき方は流儀によって様々で、うちの流儀は裏字で「久」という字を書くんです。「久」の字が逆になってるんですね。流儀によって箒のかき方が違うんです。こういう際立った型をクセの後半で演じるのも脇能にしては珍しいですね。〈高砂〉という曲は、脇能の中では前場に見どころがある演目です。
関本:他に箒が出てくる演目は?
金剛:箒を持つ演目は〈田村〉や〈大仏供養〉など色々な演目があります。能の道具としての箒には複数の種類があり、〈高砂〉の前シテが持つのはサラエですね。サラエは熊手みたいになっているものです。前ツレの姥が持つのは杉箒で、これは竹の先に杉の葉が丸く取り付けられたものです。他の脇能でも、前シテが箒を持つものがいくつかありますね。金春流の〈高砂〉はシテもツレも二人とも杉箒を持ってます。やっぱり流儀によって違うんですよ。
関本:やっぱり流派で違っている。
金剛:そういった流儀の違いなんかも見比べて、今言ったように〈高砂〉は前場に色々と見どころがあって、脇能の前場としては見ていて面白いんですね。それが〈高砂〉を人気曲の一つにしている理由と思います。
関本:結婚式で使われたというのも大きいですよね。素人の方が一曲謡って祝福するのに、お爺さんとお婆さんの仲の良さがテーマになっているっていうのはすごく良い。
北脇:そういう意味で、見どころがたくさんある曲だなとあらためて感じます。
金剛:私も結婚式で〈高砂〉を勤めさせてもらったことがたくさんありますね。これはよく言われることですが、〈高砂〉が今のような人気曲になったのは徳川家が天下をとり、能が幕府に仕えることになったことが大きいという説があります。やっぱり江戸期になってからは、松というものがすごくシンボリックな意味を持つ。徳川家の本名が「松平」ですから、松の出てくる能が大事にされていますよね。〈高砂〉も脇能の第一の曲になったのは、その「松平」という名前に関わるところが大きい、というのは一説として言われます。
他の曲でもそういう例は聞きます。〈藤〉の能は、藤の花の精が美しい舞を旅僧に見せる能ですが、松に纏いかかって咲き誇る藤の花を見た旅僧が「常盤なる松の名たてにあやなくも かかれる藤の咲きて散るかな」という古歌を能の冒頭で思い出すんですね。〈藤〉は観世、宝生、金剛の三流派で演じられますけども、観世流だけ同じ曲名、同じストーリーながら能の詞章が大きく違うんです。特に冒頭のこの和歌が別の和歌に差し替えられているんですね。これは、江戸時代には松を松平、藤を藤原というふうに解釈したからではないかと言われます。それで松の上に藤がくるなんてけしからんことではないか、となるんですね。やっぱり観世家というのはもっとも徳川家に恩顧を受けるお家ですから、そのあたりを意識して改変したのではないかという話を聞きます。
関本:貴族よりも武士の方が上というか。
金剛:当時はそういうことが大事なのでしょうね。昔の能役者は、流儀や家の存続のために恩顧の人々に対してけっこう忖度をするんですね。
北脇:忖度してますね(笑)
金剛:〈鉢木〉の薪ノ段でも、自分の鉢木を火にくべるところで「松はもとより煙にて。薪となるはことわりや」という謡を、小謡とかおめでたい場では言葉を変えますよね。「松はもとより常盤にて。薪となるは梅桜」と言って、そこの部分を完全に言葉を変えます。松は煙というのはまずいなと思ったんでしょうね。
関本:確かに松は燃える良い木なんですけど、さすがに燃やされてしまったら……(笑)
金剛:そういった歴史的な変遷に思いを馳せるのも能の魅力のひとつですね。
北脇:〈高砂〉について、先ほど伺ったように見どころがたくさんある演目ではあるんですけども、先生ご自身として特に好きな場面や、思い入れがある場面はありますか?
金剛:やっぱり後場は見どころですよね。シテが出てきてから、力強い颯爽とした清々しさを表現したいですよね。神舞もそうです。神舞が良くないと、脇能は面白くないですね。なので私が思うに、お囃子方の力に頼るところが大きいと思います。神舞の囃子の演奏に押し寄せるような圧倒的な力がないと、面白くならないです。そういう神舞の演奏があると、シテも気持ちよく舞いやすいというか、やっぱり乗っていけますよね。
関本:申し合わせは一回きりですよね。皆で何回も何回も合わせるわけではなくて……。
金剛:申し合わせは通しで中断せずに一曲を行います。合わせなくて良いところは省略してしまいますけどね。シテの登場からとかが多いです。
関本:そうすると神舞の臨場感というか力強さは、本番にしか見られないということですね。
金剛:能の舞台は往々にして、本番にならないと本当の意味では良くならない、ということが多いと思うんですね。やっぱり合わせの稽古とか申し合わせはあくまで申し合わせで、本番の空気感の中で醸成されるものがある。そこで初めて良いものが出ることがあるというか。
関本:それは大勢の方が見ていらっしゃったり、そういう雰囲気の中で出るようになるんですか?
金剛:やっぱりお客様が舞台にぐーっと集中してくださっていて。能というのは舞台上だけではなくて、見所と一体になって空気を醸成していくと言いますか、そういうところがすごく大切ですね。その中で能がより深まっていく。
関本:特に後場では動きと囃子とのやり取りというか、どう盛り上げていくかは見どころというか、面白いところですね。やっぱり皆さん別々でお稽古されていて、そのときにどう合わせるか、どうその空気を高めていくのかということで、お客様もそれを踏まえて入っていけたら面白いですよね。
金剛:そうですね。何の曲でもそうだと言われたらそうなんですけど、〈高砂〉の後シテのようなものは、玄人の技術がよくあらわれると思います。我々能楽師は〈高砂〉の後場というのは舞囃子も含めると今までに演じた回数が数えきれないですが、〈高砂〉は定番の演目ですから学生の能楽部の公演などでも舞囃子がよく出ますね。そういった舞台を見ていると〈高砂〉の後場というのは、やっぱり経験の少ない人にとっては難しいんだろうなと思うことが多いです。
関本:それはちゃんと型が入っていたとしても、合わせるのが難しいということですか?
金剛:謡と囃子との関係性ですね。後シテはずっと拍子合わずの謡です。「我見ても久しくなりぬ」からずっと拍子合わずの謡で、囃子も出端の速い位を受けて、勢いがあるんですね。その勢い、盛り上がってきた熱気みたいなものをキープしたまま謡を進めて、囃子と同じノリ、息を共有しながら、ぐーっと押し進んでいくような場面なんです。こういった囃子方と息や勢いを共有しながら謡い続ける、というのは初心の人には難しいんだと思うことが多いですね。
関本:「勢いを共有する」ってまた面白いですね。相手がガーッと来てるから引いちゃうんじゃなくて、一緒に持っていく。合わせるというのも西洋とは違うし……。
金剛:合わせよう、合わせようとしているんじゃないんです。結果的には合うんですよ。お互いが力を入れて進めていった結果合う、というところがあります。我々玄人は〈高砂〉の後場を本当によく上演するものですから、自分の中にある程度落とし込んでいるものがあると思うんですけど、色んな舞台を見ていると、そういったものが決して当たり前ではないんだ、と私としては思います。
関本:西洋音楽をやっている人からすると、それは不思議なところです。一緒に盛り上げていく中で、結果として合っている、というのがすごく面白い。
金剛:後シテの最初の謡から盛り上げていかないと、神舞に入れないですよね。ここで停滞してしまうと、神舞の勢いに突入できないです。地謡も力を入れてどんどん熱気を上げていく。
関本:そうですね。神舞にそれだけ力があるから、悪魔を払えたり、皆に祝福を与えられるものに持っていけるということですよね。そういうところで、神様が降りてきたじゃないですけど、神様が降臨したっていう雰囲気を皆さんにお届けする。会場を変えていく。
金剛:今回はしかも盤渉神舞ですから。大きな見どころですよね。
関本:水にゆかりがある調子ということで、火事とかが起こらないように祈りをこめるんですね。
金剛:盤渉というのは、常の黄鐘調よりも笛の音色が高い調子ですから。神舞の勢いのなかで笛方にとっては大変に過酷なものだと思います。
関本:かなり音程が上がるということですよね。それが上がるということによって空気感がどれぐらい違うかとか、雰囲気がどう変わるかというのは楽しみですね。先生は盤渉は舞われたことはありますか?
金剛:盤渉調のものは他にも色々なものがあります。盤渉早舞とか、盤渉楽とか、他の曲では色んなものがあるんですけど、神舞というのは通常黄鐘しかなくて、盤渉神舞は一般的な能のレパートリーの中にはないですね。
関本:それは面白い演出ですね。
金剛:そうです。こういうこけら落としの公演のときにしか見られないです。
関本:そうですよね、火事のときの話とか普通はしないですもんね。今年一年を祝うとか、そういうときには出てこないものだから、能楽のファンというか、よくご存知の方でもなかなか見られないものですよね。
金剛:普段能を観られている方でも、観られたことがない方は多いと思いますね。
北脇:これは見どころですね。
北脇:続いて開口についてですが、今回の公演では開口という特殊な演出が行われることになっており、これは現在ほとんど行われないものと聞いております。これまでに開口が行われた公演として、先生がご存知のものがありましたら教えていただけると嬉しいです。
金剛:50年に一回のことでございますけども、京都では東本願寺の御遠忌のときに必ず執り行われます。これが開口の継承においては大事だったと思うんですね。長いスパンではありますけども、必ず定期的に実践する。前回は2011年に御遠忌の能公演が予定されていたのですが、東日本大震災で中止となりました。通常では、前回の御遠忌に出演されたことがある能楽師が数名おられたりして、父も1961年の御遠忌では〈正尊〉の子方として出演していたとのことです。50年ごとであれば通常は以前のことを知っている人は何人かいらっしゃる、ということがあるんですけど、100年間が空いてしまうとまずそれがない。継承が途絶えてしまうのはこの業界にとっては非常な損失ですから、今回こうして開口をしていただくというのは、意義が大きいですよね。
北脇:観客にとってもなかなかない機会ですし、演者の方にとってもそうですね。
金剛:演者にとってもそうです。
北脇:ちなみに東本願寺以外で開口が行われた事例や、先生が御覧になった事例というのは何かありますか?
金剛:私は拝見したことはないですね。
北脇:それぐらいすごく珍しい演出ということですね。
金剛:はい、たいへん珍しいですね。
金剛龍謹氏に聞く#1 | 金剛龍謹氏に聞く#2 | 金剛龍謹氏に聞く#3 |
1988年、金剛流二十六世宗家金剛永謹の長男として京都に生まれる。幼少より、父・金剛永謹、祖父・二世金剛巌に師事。5歳で仕舞「猩々」にて初舞台。自らの芸の研鑽を第一に舞台を勤め、全国、海外での数多くの公演に出演。新作能や様々なジャンルとのコラボレーションなど既存の能の形にとらわれない新たな試みにも挑戦。また、大学での講義や部活動の指導、各地の小中学校での巡回公演に参加するなど若い世代への普及に努める。自身の演能会「龍門之会」主宰。
同志社大学文学部卒業。京都市立芸術大学非常勤講師。
公益財団法人 金剛能楽堂財団理事。
京都市芸術新人賞、京都府文化賞奨励賞 受賞。
出演者インタビュー
エッセイ
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