北脇:今回京都芸大の堀場信吉記念ホールが主にクラシック音楽用のホールということで、能楽堂で演じる場合と違う点が出てくるかと思うんですけども、ホールでの公演にあたって工夫される点は何かありますでしょうか? 例えば舞台の造りにしても、通常能楽堂であれば建っている柱がなくなったり、観客席も脇正面がなくなったりということがあるかと思います。
金剛:今回の公演の〈翁〉〈高砂〉は正式な演出に則って行われるべきものだと思います。ただし、舞台の大きさや向いている方角によって多少演出や型を変えることはありますね。能は能楽堂の見所の四、五百人ぐらいの空間を想定してできているものですから、やっぱり大ホールのような大きさになりますと、遠くのお客様にも伝わるように演じることはありますね。
関本:声の反響とかも変わってくるのかなと。
金剛:それは変わりますね。あまり影響されすぎないように、という意識はあります。会場の音響にもよりますが、やはり音の返りが少ない舞台ですとどうしても無意識に声を出しすぎてしまいがちなんです。
関本:そうですね、大きな声を出してしまうと、それで最後まで通すというのは難しいですもんね。
金剛:声を気張りすぎると謡に良い影響が出ないことが多いので、そういうところは意識しています。自分の中のものを大事にしながら、普段通りの発声を心がけています。
関本:舞い方にも変化は生まれますか?
金剛:舞台が変わると、役者はやっぱり舞い方がどうしても変わりますね。橋掛りの長さも能舞台によって様々ですからね。
関本:それはもうその場で合わせていくというか。橋掛りの長さが違っていても進める。
金剛:能舞台に応じて調整します。例えば、謡のここからここまでの間で幕から舞台に入らないといけない、とかね。そういった見はからいが能では多いですから、橋掛りの長さで運びのはやさは変わりますし、謡の位も許容範囲の中で若干調整したりすることはありますね。
関本:場と能とのコンビネーション、どう合わせていくかというのも面白いですね。今回は新しい舞台で行うわけですから、能楽師の方がどうこの場に合わせていくかというか、その場を盛り上げていく、作っていくのか。経験で変えていくということですよね。
関本:やはり今回は金剛先生も共演されたことのある先生ばかりですか?
金剛:よくご一緒する先生ばかりです。前川光範さんは昨日も舞台でご一緒いただきました。河村大先生は私の大鼓の師匠で、やはり昨日の舞台でもお相手いただきました。
関本:京都の中でそういうつながりというのは、家族みたいな雰囲気とか、そういうのでもないですか?
金剛:やはりお互いの信頼感がありますので、きっと良い舞台をお見せすることができると思っております。
関本:観客としてはそこも楽しみですね。
金剛:経験豊富な先生方と共演させていただくと、自分が持っているもの以上のものが出せることもあります。稽古ではできていなかったものを本番で引き出してもらえたという経験がたくさんあります。
関本:皆さん信頼がある中でどんなものができあがるのか、その瞬間をどう楽しめるのか、今回は本当に楽しみですね。
北脇:先ほど申し上げた通り、今回は京都芸大の移転記念として行われる公演です。京都芸大との関わりに関しまして、金剛先生は京都芸大で能の授業を担当されていて、能楽部の指導を行っておられますけども、それぞれどのようなことをされているのか、あらためて教えていただけますか?
金剛:授業の方は音楽学部の学科の講義ですね。ただ私は研究者ではなくて能の役者ですので、座学の方ばかりではなくて、実技を中心とした授業になっています。具体的には謡を実際に皆さんとお稽古したり、簡単なお囃子と謡との関係の理屈をお話しして、お囃子の演奏の仕方を皆さんと一緒に実践してみたり。あとは能面をご覧いただいて、能面と能の曲目との関わりとか、それ以前に能面はどういう美術的価値を持っているものなのかをお話したりですとか。能の歴史のことも触れるようにはしているんですけども、そういった能全般についてできるだけ皆さんにご興味を持っていただけるようにお話をしたいなと、そういう内容です。
北脇:何か教えてこられて、京都芸大の学生の特徴だったり、大学としての特徴として何か気付かれた点はありますか?
金剛:やっぱり皆さん音楽を専攻されていて、日頃から実践されている方々ですので、能の謡のお稽古とかでも音を取るのは上手ですよね。学生さんにお話を伺っていると、頭の中で五線譜におこす人が多いみたいです。しかし、一度その意識を取り払ってということを講義では伝えています。もともと西洋音楽と成り立ちが違いますので、まったく別の音楽であると意識していただきたい。五線譜の音楽の世界では表現できないものを表現するために能の音楽があるので、そこを学んでほしいなという気持ちがありますね。能の音楽というのは、演目の内容としては霊界の人たちとの交流が描かれているものが多いですから、独特の揺らぎがあったり、若干不安感を覚える音の響きが多いと思うんですけども、そういったことをぜひ大事にしてほしい、ということをお伝えしています。
北脇:そこは京都芸大の学生ならではのところですね。
金剛:そうですね。やっぱり一般の学生さんですと、きっとそういうふうにはならないだろうなと。音楽をしている人ならではなんでしょうね。
関本:頭の中に五線譜が入っているのもすごいですよね、それはそれで。型として入っていて、それが取れないというか。
金剛:それがベースにあるから離れがたいんでしょうけど、逆にそれをリセットするのが良いんじゃないかと思って。そういう人たちだからこそね。
関本:そうですよね。能をやっているときと合唱で歌っているときって、その間だけ変えてみたら面白かったり、自分の違う声が出たりするんですよね。五線譜で言えば、能ではいわゆる音痴になっても良いので(笑)
金剛:そういう観点で見れば、ある意味能の謡というのは音痴だと思うんですよ。音程的に整えすぎている謡なんて面白くないです。不安定感がないと。上手な人の謡ほどそういうところがあります。きちっと謡いすぎるというのは、逆に若手とか初心の人に多いですよね。音をまっすぐに取りたがりすぎる。あれが謡の上達の上での、一つのハードルになります。むしろそこを崩していくと、伸びるものがあったりすると思いますね。
北脇:私なんかはお稽古していると、崩すのがすごく難しいなと思いますね。
金剛:それはやっぱり各人の工夫ですね。謡のお稽古というのは、先生の謡を聞いて「こういう変え方をするんだ」とかね。見て学ぶとか、聞いて学ぶってそういうことやと思うんですね。書ききれないものとか、そういう説明しきれないものを吸収する。
北脇:西洋音楽でもそういう面はあるかと思うんですけども、特に能ではその傾向はすごく強いのだろうなと感じます。
北脇:最後にインタビューを読んでくださる方に向けて、何かメッセージやPRがありましたら、お願いいたします。
金剛:これまでの話でも出ているとおり、今回は特別公演ということで、演目も演出も非常になかなか見られない貴重なものですので、この機会にぜひ見ていただきたいということがまず一つあります。それから、こうして京都市立芸術大学が京都駅近くに移転されるということで、文化のまち京都ですから、学生の皆さんに向けて言えば、今回の公演もぜひ見に来てもらいたいですし、格式とか、そういったことにあまりこだわらずに、これをきっかけに大いに能に親しんでいただきたいなということが、私としての強い願いです。今まで能楽師として活動してきて私が思うのは、能は分かれば分かるほど面白いというか、底がないということです。長くつきあえる趣味ですし、日本文化の粋が凝縮されているものですから、こういう魅力をできるだけ若い世代の方にたくさん知っていただきたいなと思います。
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1988年、金剛流二十六世宗家金剛永謹の長男として京都に生まれる。幼少より、父・金剛永謹、祖父・二世金剛巌に師事。5歳で仕舞「猩々」にて初舞台。自らの芸の研鑽を第一に舞台を勤め、全国、海外での数多くの公演に出演。新作能や様々なジャンルとのコラボレーションなど既存の能の形にとらわれない新たな試みにも挑戦。また、大学での講義や部活動の指導、各地の小中学校での巡回公演に参加するなど若い世代への普及に努める。自身の演能会「龍門之会」主宰。
同志社大学文学部卒業。京都市立芸術大学非常勤講師。
公益財団法人 金剛能楽堂財団理事。
京都市芸術新人賞、京都府文化賞奨励賞 受賞。
出演者インタビュー
エッセイ
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