日本伝統音楽研究センター

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京都祇園祭り 鶏鉾の囃子

凡例

日本語要旨

0 はじめに

1 概況

2 担い手

3 曲目と旋律パタン

4 囃子の機会

5 楽器とその奏法

6 演奏の実際

7 口唱歌・譜

8 伝承過程

9 囃子の変遷と意味付け

10 鶏鉾における囃子の特色

謝辞

文献資料

音響資料

映像資料

English summary 英語要旨

 

 

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4 囃子の機会

ここでは、囃子をどの様な機会にはやしているかについて、祭礼を中心にみていくことにする(日程・時間等については、主に2000年の実見にもとづく)。

20年程前から、毎月1回第3土曜日に稽古をおこなっている。また6月からは、それが毎週土曜日となる。祭りに先立ち、稽古の詳しい日程・日時等については、町内と相談の上決定する。

7月1〜9日(6、7日は休み)は、囃子の祭礼前の正式な稽古である二階囃子である。午後7時30分頃から9時過ぎ頃まで、町の集会所である町家(ちょういえ、ちょうや)で稽古をおこなう。浴衣を持参し、町家できがえる。20分程はやして20分程休憩するというパタンを、毎日3回くりかえす。選曲は太鼓の者がおこない、1日の稽古の中で回をかさねるうちに、簡単な曲から難しい曲へという構成をとり、1日に1回は地囃子(イキシ)をはやすよう工夫されている。これは7月13〜16日の「鉾の上の囃子」における実際に準じたものである。  

二階囃子
〔写真1〕二階囃子

7月1日におこなうことが多い他町とは異なり、鶏鉾では7月8日に、祭礼の無事を祈願する行事である、吉符入りをおこなう(7月1日は幹事だけでお参りにいく)。これは20年以上前からつづいている。昼には町内の人々が八坂神社から宮司をまねいておこない、夜には囃子方がおこなう(町内の役員もたちあう)。後者では、新入りの紹介や事務連絡がある。

7月12日に、曳き初めをおこなう。囃子方は午後2時に集合する。午後2時30分頃に出発し、町内だけをまわり、30分程でもどってくる。この時の囃子は、戻り囃子(モドリ)であれば何でもかまわない。

7月13〜16日に、鉾の上ではやす。これを「鉾の上の囃子」とよぶ。日をかさねるにしたがって、開始時間が早くなる(たとえば、初日は午後7時30分、最終日は6時)。20分程はやして20分程休憩するというパタンで、毎日4回はやす。曲目の構成は、二階囃子のところでのべた通りである。なお、鉾の上の囃子から巡行当日までは、切り口が八坂神社の神紋とにていることから、キュウリの輪切りをたべないようにするという言い伝えがある。

7月16日の宵山の日は、午後6時から9時40分頃まで囃子をはやす。午後10時に、巡行の好天を祈願する、日和神楽に出発する(町内から、神事係2名が随行する)。出発前に、町内からのお神酒とタイをいただく。車輪のついたパイプ製枠(通称お旅所にいく台)に鉦と提灯とをつり、その前方に太鼓2個をくくりつけ、移動しながら囃子をはやす(笛方はその後ろであるきながらふく)。四条通りまでは〈日和神楽〉をはやし、その後は戻り囃子(モドリ)をはやす(〈鷄〉などをはやすことが多い)。御幸町通りで一旦囃子を中断し、そこからお旅所前までは無音でいく。お旅所につくとお祓いをうけ、〈唐子〉―〈地囃子〉をはやす。終了後直ちに戻り囃子(モドリ)となり、四条烏丸から〈日和神楽〉になる。午後11時頃に町内にもどってくる。

日和神楽
〔写真2〕日和神楽

7月17日の巡行の日、囃子方は午前7時45分に集合する。そして、楽器や氷をつみこむなどの準備にあたる。氷をつみこむのは、鉾の上には大勢の人がのりこむ上に、見送り幕が風をさえぎって、大変暑いからである。8時に鉾にのりこむ。8時45分頃に町家を出発する。出発から四条通りまでは、〈常〉―〈地囃子〉をはやす(四条室町の辻回しも同曲である)。四条烏丸辺りでは〈鶴〉―〈地囃子〉を、烏丸通りをわたってからは〈梅〉―〈地囃子〉をはやす。9時10分頃に、四条通りにならぶ。くじ改めからお旅所にかけては、奉納の意味合いで〈神楽〉をはやすが、「〈小松〉―〈神楽〉―〈唐子〉―〈地囃子〉」とつづけてはやさなければならないので、はいるタイミングが非常に難しい。なお、〈神楽〉までは、ベストメンバーでのぞむ。  

巡行における囃子(鉦方)
〔写真3〕巡行における囃子(鉦方)
巡行における囃子(笛方)
〔写真4〕巡行における囃子(笛方)

四条通りの御幸町から麩屋町にかかると、囃子は〈唐子〉にうつる。お旅所から四条河原町までは、〈都含〉―〈地囃子〉をはやす。そしてその〈地囃子〉で四条河原町での辻回しへの調整をおこなう。四条河原町の曲り角にさしかかると、〈都含〉の途中で「トーラージャ トーラージャ」という掛け声の後、〈地囃子〉を徐々に速くしていって〈乕(とら)〉にはいり、角をまがった瞬間に〈(戻り)地囃子〉にはいる(午前10時30分頃)。地囃子(イキシ)から戻り囃子(モドリ)へ、そして厳粛さから高揚した気分へという、巧みな演出となっている。

河原町通りにはいってからは、〈(戻り)地囃子〉にひきつづいて、〈松〉―「〈松〉の返シ」を経過的にはやす。前述のように、戻り囃子(モドリ)では、基本的にどの曲目(曲目のグループ)をはやしても良いが、特定の場所ではやすことが多い曲目というのも存在している。たとえば蛸薬師通りをこえた辺りで、〈鶴〉―〈旭〉をはやす(〈鶴〉―〈旭〉は他所でも頻度が多い)。六角から三条の間では、〈常杢〉―〈萬歳〉をはやす。〈鶴〉―〈旭〉または〈常杢〉―〈萬歳〉から、大曲で難しい曲とされる〈赤隈〉―「〈赤隈〉の返シ」にはいることが多い。

午前11時頃に河原町御池の辻回し(〈巴〉)、正午頃に新町御池の辻回し(〈亀〉―〈式〉―「〈亀〉―〈式〉の返シ」(実は〈横はず美〉)となる。新町通りにはいると、道幅がぎりぎりで鉾は家屋の二階部分すれすれにとおっていくので、囃子方と見物人との一体感がたかまる。午後0時40分頃に四条新町の辻回し(〈巴〉―「〈巴〉の返シ」―〈(戻り)地囃子〉)となる。新町をすぎて月鉾の会所を通過して町内にはいってから、〈鷄〉―「〈鷄〉の返シ」をはやす。この後、〈乕〉―〈小横〉〈流〉―「〈流〉の返シ」となり(午後0時55分頃の四条室町の辻回しでは、〈鷄〉ないしは〈乕〉をはやす)、午後1時過ぎに町家の前に到着する。鉾が停止すると囃子は〈若〉(七つ)となり、最後は徐々にテンポをあげておわる。囃子が終了すると鉾の上下で拍手がおきる。その後直ちに〈日和神楽〉となり、午後1時10分頃に囃子が完全に終了となる。片付けの後、囃子方にはおにぎりがくばられ、町内からは酒がふるまわれる。

巡行日の次の土曜日に、囃子方の反省会をおこなう。費用は町内からの献酒料その他でまかなう。

7月18〜23日のお旅所での奉納囃子は、2年に1回まわってくる。これは10数年つづいているものである。時間は午後7時から0時までである。曲目は、賑やかしということで、二階囃子の時とほぼ同様のことになる。戻り囃子(モドリ)が中心で、たまに地囃子(イキシ)をはやす。 なお、祭礼以外の機会にはやすことを、「出囃子」という。

ただし、鶏鉾では以前から公的な催しなど、特別な機会に限定している。

 

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