京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター

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祝言としての〈翁〉・〈高砂〉

【出演者インタビュー】 宝生欣哉氏に聞く#2

4 〈高砂〉を演じる場・見どころ

北脇:〈高砂〉はどんな場所で演じられることが多いですか?

宝生:能楽堂が多いですよね。あとやっぱりホールとかのこけら落とし。特に〈高砂〉はそういうときに演じることが多いです。

北脇:演じる時期としてはやはり新年であったり、お正月。

宝生:春でしょうか。

寶生:以前に高砂神社に行ったことがありましたね。

宝生:行ったよ。

寶生:あそこでは〈高砂〉をした?

宝生:しました。〈高砂〉は能楽堂とかホールのこけら落としでやりますが、印象的なのはやっぱり高砂神社の舞台でさせてもらったことですね。

北脇:それは最近ですか?

宝生:何年だろう、4、5年前でしょうか。高砂の松の写真を撮った覚えがあります。これは何代目の松って聞いて、「へぇー」って撮った覚えがある。福王流の江崎さんがシテ方を変えながら毎年のようにやっているみたいです。あのときは金剛流でさせてもらいました。

北脇:ご当地で演じるとまた心持ちも変わってきますよね。

宝生:やっぱりそういう場所だと思います。〈高砂〉を高砂神社で、その場で演じると、やっぱり気持ちは変わりますよね。

北脇:能の物語の上でも、場所は大事な要素になりますもんね。

寶生:令和3年ですね。10月26日。

宝生:2年前でしたね、ごめんなさい。

寶生:主催が江崎福王会。

宝生:江崎さんがやっておられる。

北脇:ありがとうございます、ぜひ見に行ってみたいと思います。〈高砂〉に関しては、例えばお正月であったり、毎年決まって演じられる機会っていうのはありますか?

宝生:いやいや、〈高砂〉をやらない年もあります。今言っていた2年前の高砂神社での公演の後に〈高砂〉はしていないかもしれない。

北脇:けっこう演じられているのかなと勝手に思っていたんですけど。

宝生:意外にない。

北脇:そうなんですね、意外です。最後に演じられたのが2年前ぐらい。

宝生:〈高砂〉を頼まれたときに他の会を受けていたりして、「ごめんなさい、行けない」というときはあったかな。東京で五番立てで毎年やっている式能では必ず翁付の脇能が出ていますが、前は割と〈高砂〉が多かったんだけど、最近は違うみたいですね。

北脇:もしかしたら〈高砂〉に関しては、次に演じる機会がこの公演になるかもしれないですね。

宝生:はい。少し久しぶりかもしれません。

北脇:楽しみにしております。〈高砂〉の中で印象的なところ、見どころと言いますか、お客様にぜひここは魅力としてアピールしたいというところはありますか?

宝生:最初のところでは、さーっと春風が吹いていて、ワキ、ワキツレが出てきて次第を謡って、高砂に着いたところで、春の高砂に着いたのかなって感じてもらうのが一番良いでしょうけど。

北脇:最初に出ていらっしゃるときが能の世界観、雰囲気が一番表現されるところですね。

宝生:〈道成寺〉みたいに鐘が出てきたり、下掛リだったら鐘が後だけれども、名ノリでがっちりすると、全体がぐーっと重い感じになって、始まるんだなっていうふうになります。逆に〈高砂〉ではそんなのはない。さーっと行けたら良いなと思います。

北脇:出だしのところの雰囲気ですね。

宝生:速いとか遅いとかじゃなくて、さらーっという感じが出たら良いのかなと。

インタビューに応じる宝生欣哉氏と聞き手の北脇

インタビューに応じる宝生欣哉氏と聞き手の北脇

5 特殊演出・開口について

北脇:次は開口についてお伺いしたいと思います。そもそも開口は現在ほとんど行われていないと聞いているんですが、宝生先生ご自身は開口を行ったことはありますか?

宝生:多分父もやっていない。僕が知っているところでは、祖父が国立能楽堂の会場披きのときにやってるんですよ。それが唯一見られる開口の映像で、あれしか知りません。僕も一回だけ国立能楽堂で見せてもらったことがあるけど、そこで見て「へぇー」って思いました。それしか知らなくて、まさか自分がするとは思ってなかったな。

寶生:前に春日若宮おん祭でやっているっていう話をしてましたね。あれはどなたがやっているのですか?

宝生:高安流の家元がずっとやっていた。今は誰が行っているかちょっと知らないけど、あそこは必ず開口をやっています。

北脇:先生が映像でご覧になったことがあるのは、その国立能楽堂の開口だけ。

宝生:それだけです。

北脇:今回演じられるときには詞章は山中玲子先生が作ってくださるということなんですが、動きについては特に何か決まっていることはありますか?

宝生:ちゃんと見ていないので分からないのですが、笛で正先に出て、とかっていう動きがあるので、それは決まっていると思います。僕が聞いた話では、文章をいただきますよね。やる人が家でそれに節付けをして、返す。

北脇:返してしまうんですね。

宝生:それで当日殿様なり将軍様なりが見て、見ているのか覚えているのか分からないんですけども、間違えないでできれば、無事終わりましたと家に帰れる。それで間違えていたら……。

北脇:切腹(笑)。

宝生:だからそのときは短刀を懐中して行くらしいです。そういうことが昔はあったんだということは聞いたことがあります。

寶生:堀場信吉ホールが大変なことになるかもしれない(笑)。

宝生:よく間違えるからね、最近ね。各役で何かしら、そういうのはあるんじゃないですかね。

北脇:すごい時代ですね。

宝生:武士がそういうのをやり出してからそうなったんだろうけどね。その前までは、そんなに堅苦しいものではなかったはずなんだけど。 

北脇:現代はそういうことはないですけども、江戸時代だと、今仰ったように一回暗記して、暗記したら口外してはいけない。練習もしてはいけないんですか?

宝生:人に聞かれてもいけないから、自分だけでブツブツ言って練習する。本当かどうか分からないけど、宝生新さんは一曲を三回謡ったら覚えてしまう人だったらしいから、そんなのはすぐ覚えたんだろうな。

寶生:宝生新さんが西本願寺で開口した記録があるそうです。

宝生:へえ。僕は三回じゃ絶対覚えられない。

北脇:すごいですね。今回もなるべく人に聞かれないように……。

宝生:なるべく人に聞かれないように頑張ります(笑)。

北脇:お家には何か開口についての文章は残っているのですか?

宝生:松の下の開口っていうのがあって、それは残っています。開口のときには、多分大概それをずっとやってたんじゃないかな。今言ったおん祭のときも、その文章だと思います。

6 ホール公演にあたっての工夫

北脇:続いて今回の公演場所が堀場信吉記念ホールという新しいホールなんですけども、そちらが基本的に西洋音楽の演奏会を想定して作られているもので、能楽堂とは違うところが多いかと思います。こういうホールで演能される際に、例えば舞台の作りが違うので、何か動きを変えたり、音響に関してもいつもと声の張り方を変えたり、工夫される点はありますでしょうか?

宝生:ホールでも所作台を置いているところだと、それで僕たちは動けるけど、何もないまま演能するときがたまにあります。片山九郎右衛門さんなんかが好きだから。「所作台を置かないの?」って聞いたら「置かない」って。一応「ここが正面ね」とかって。

北脇:ざっくり。

宝生:そのときには座る位置のことがある。シテが出てきて、どこに立って、掛け合いはどこら辺がいいとか、位置を決めておかないといけない。相手は面をつけているので、僕らのことは見えてないでしょうから、大体その辺りにいれば、どこかの目印を向いて来るだろうというのを想定して動かないといけない。
ホールによっても違いますね。すごく響くホールもあったりする。普通は声を出しているけど、声を引くこともあります。声を出せばわんわんと響くので、それが嫌なときはなるべく抑えて、縮めるような気持ちではやっています。

北脇:それは演じながら気付いて調節していかれるんですか?

宝生:大概お客さんが入る前にお囃子方が音を出すので、そのときに声を出してみて、「今日響くね」とかって話したりします。でも実際には見所に行って聞かないと分かりません。舞台上ではすごくわんわんしてるんだけど、聞いたら「そうでもなかったですよ」という人もいたりすることがあるので、あれはどうなのかな。

北脇:やっぱり舞台と客席では違うんですね。

宝生:その違いがよく分からないね。抑えすぎちゃって聞こえないというのは困るし。

北脇:でも響きやすいホールでは、声を心持ち抑えていかれる。

宝生:能楽堂なんかでもそうなんだけど、お客さんが特にたくさん入ったときには声が吸われるので、父はよく声を張れと。今日はいつもより張れって言われたことがありますね。

北脇:お父様もそういうふうに調節されていたんですね。

宝生:あの人たちは、観世寿夫先生とかと色々な芝居をやっていて、そういうことにはやっぱり長けているので、「ああ、なるほど」と思いました。そういうところの経験からだと思うんだけどね。

北脇:能だけじゃなくて幅広く挑戦されていますよね。それを教わってこられた。

宝生:それをホールのときに、一人でワキツレをやるときに教えてもらったかな。今日人がたくさんいるから、いつもより声を張るんだって。だからホールでは、そういうことも少し気を付けながらやっています。

7 読者の皆さまに向けて

北脇:最後にこの記事を読んでくださっている方に、この公演に来てくださるようなPRをお願いします。

宝生:今回の公演が能を観てもらう何かのきっかけになれれば良いかなと思いますよ。ホールでやって、PRがうまく広がっていけば良いなと。今お客さんが少ない、少ないと言われている中で、若い人にたくさん観てもらって、良ければ今度は能楽堂に足を運んでもらえれば良いなと思います。それからお客さんが来てくださることで、このホールで毎年お能ができるんだ、というふうになるかもしれませんね。

成瀬:今回の催しでは、京芸の学生は無料で観られるようにしています。

宝生:「学生はタダ!」っていうふうに枠を作って、招待券をある程度作ってあげて、次につなげていければ良いと思います。

北脇:新キャンパスでは駅も近くなりましたし、今回の公演がお客さんにとって何かのきっかけになればと思います。

宝生:そうなれば良いですね。ぜひぜひ足を運んでいただけたらと思います。

京芸の新校舎に立つ宝生欣哉氏

京芸の新校舎に立つ宝生欣哉氏

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インタビュー日:2023年11月7日

聞き手・編集・撮影:北脇あず美(京都市立芸術大学大学院 美術研究科修士課程芸術学専攻)
聞き手・録音:成瀬はつみ(京都市立芸術大学大学院 音楽研究科日本音楽研究専攻修了生)
聞き手:寶生紗樹(京都市立芸術大学大学院 音楽研究科日本音楽研究専攻修了生)
編集:荒野愛子(京都市立芸術大学大学院 音楽研究科日本音楽研究専攻修了生)
校正:関本彩子(京都市立芸術大学大学院 音楽研究科日本音楽研究専攻修了生)
イラスト:水流さぎり(京都市立芸術大学 美術学部日本画専攻)
監修:藤田隆則(京都市立芸術大学 日本伝統音楽研究センター教授)


宝生 欣哉(ほうしょう きんや)|プロフィール

1967年生。「猩々乱」ワキにて初舞台。「張良」「道成寺」「姥捨」「檜垣」「関寺小町」「檀風」を披く。
国立劇場伝統芸能伝承者養成「能楽(三役)」研修講師。一般社団法人日本能楽会理事。重要無形文化財「能ワキ方」保持者(各個認定)。

 

公開:2024年03月05日 最終更新:2024年07月05日

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