このアーカイヴは、2025年3月23日、京都市立芸術大学 A棟 伝音セミナールームにおいて催された、第67回 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター公開講座「古代出土コト から 和琴 へ ― トークセッションとライヴ ― 」の第2部LIVEの模様です。中世初期の推定和琴奏法(梁塵秘抄口伝集等に基づく)と歌譜(催馬楽略譜・楽邦歌詠・西方楽)解読による《御遊風講式聲歌聚》、藤家溪子作曲《熊野ポータラカ ― コトと声のための ― 》の2曲が演奏されました。いずれも、日本古来の弦楽器、和琴に焦点を当てた作品です。
古墳時代コトの調絃と奏法がいかなるものであったか、それはさておきまして、貞観七年(864)以前に成立したとされる大歌の和琴譜『琴歌譜』の調絃と奏法は、(諸説ありますが)音階の低い音から高い音へ順列に琴柱がならぶ調絃で、歌のメロディーを単音弾きでなぞるものであった、と考えられます。
現行に通じる、音階順列ではなく琴柱をチグハグに配列する調絃は、平安末期の後白河法皇撰『梁塵秘抄口伝集』が初出です。メロディーを弾くなら、琴柱を音階順列に立てたほうが弾きやすいことは言うまでもありませんが、それをわざわざチグハグ配列としたのは、おそらく13絃の箏を奏法・演奏効果を6絃の和琴で実現するためと推測されます。では、平安末期と現行とでは奏法は同じか、といえば、おそらく違います。詳しくは、田鍬(旧・現)共同研究会メンバーである増田真結さんの音源付き論考をご参照ください。
リンク https://rijtm.kcua.ac.jp/publications/report/dvd12cd03report12.html
御遊(ぎょゆう/おんあそび)とは、宮中で天皇などが主催し、天皇や堂上公家が参加する唐楽曲と歌(催馬楽、朗詠)の管絃歌詠の演奏会をいいます。通常、「呂」の唐楽曲・催馬楽等を先に奏し、そのあと「律」の唐楽曲・催馬楽等を呂曲と同数演奏されました。催馬楽の節の記譜としては『催馬楽略譜』(鎌倉時代)が知られています。
一方の講式(の声歌)とは、ある特定の神仏や経典などについて数段にわけて節付けで講じる式文と、各式文の間に挿入される歌詠や念仏などで構成される寺院儀礼行事です。平安末期、比叡山の真源の撰になる『順次往生講式』(文治二年 1186 写)は、無量寿経に説く弥陀の48願と観無量寿経の16観想を9段からなる式文で講じ、さらに前後に表白段と廻向段の式文がついて全11段の式文がらなる大規模な講式です。そしてそれら式文の間に、歌詞をつけてうたう唐楽平調曲と、替え歌にしてうたう催馬楽律曲が挿入されます。その歌の節回しの記譜資料は、横浜・称名寺金沢文庫の唐楽平調曲つけ歌譜の『楽邦歌詠』と、催馬楽律曲の替え歌譜『西方楽』(鎌倉時代)が知られています。
私、田鍬らは、過去何回かにわたり、それらの史料に基づいて、順次往生講式を抜粋で修してきましたが、令和5年5月13日に、京都大原の勝林院本堂において全式文・全曲を修しました。
リンク https://youtu.be/b46hfm3_JmI
講式に挿入される唐楽曲・催馬楽曲には、もっぱら律の曲が好まれました。順次往生講式では、唐楽平調曲が13曲、催馬楽律(平調)曲9曲(令和5年時はうち1曲を声明律曲に代えました)を奏しますが、全22曲すべて律(平調)です。おそらく、講じている間の調絃変更は不謹慎と考えられますので、全体をひとつの調で統一するのでしょう。ただ、私(田鍬)個人としては、明るい呂の曲、暗い律の曲をとり交ぜた講式がしたい、という想いを抱き続けてきました。呂と律、双方の曲を奏する場といえば、御遊です。そこで今回、御遊のように呂と律両方の曲をそろえた講式唱歌の組歌として仕立ててみたわけです。
称名寺金沢文庫聖教資料には『楽邦歌詠』『西方楽』の両譜集のほかに、1曲ずつのピース歌譜が遺されています。そのなかで、1譜だけ、双調(呂)の曲、唐楽《酒胡子》が含まれています。これを組歌にいれることにより、呂(双調)・律(平調)混合とすることができます。今回はさらに、『催馬楽略譜』収録の呂曲《安名尊》《難波海》を加えて、呂(双調)3曲、律(平調)3曲の計6曲構成としました。
『楽邦歌詠』『西方楽』収録譜は、順次往生講式用ですから、すべて西方浄土の阿弥陀如来を讃嘆する歌詞があてられています。対して歌譜《酒胡子》につけられている歌詞は、釈迦如来を讃嘆する内容です。『阿弥陀経』に説かれる釈迦は、阿弥陀のいる西方浄土への往生を衆生に勧める存在です。そこで、前半の呂3曲は、釈迦如来を讃嘆、あるいは釈迦が説く内容を歌詞とし、後半の律3曲はおもに『楽邦歌詠』『西方楽』からの抜粋で阿弥陀を讃嘆する内容の歌詞としています。
此岸で衆生を西方浄土へ導く発遣教主 釈迦と、彼岸で衆生を召喚する大悲願王 阿弥陀、両者を隔てる火焰の川・波濤の川に渡された1本の細い白い道を、釈迦に諭されるままに阿弥陀のもとへ渡る衆生たち ―― 唐時代の浄土僧、善導大師によるこの「二河白道」の譬え話を、声歌のみで講じる教化組歌としてみました。
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左 『二河白道図』模本(原本 鎌倉時代/西郷孤月模写 明治時代)東京国立博物館蔵(出典 ColBase) 右 内閣文庫本(和学講談所旧蔵)『催馬楽略譜』より《安名尊》初段冒頭(出典 国立公文書館デジタルアーカイブ) ※ 本組曲では、東北大学狩野文庫所蔵の諸写本に依拠し、内閣文庫本は用いていません。 |
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《安名尊》初段 催馬楽略譜訳譜と推定和琴譜(田鍬 智志 作譜) |
そして、それら呂律6曲の歌旋律に、和琴の伴奏をつけ、中川佳代子さんのソロによる和琴弾き語りとしました。ただし、平安末期~鎌倉期の唐楽・催馬楽の和琴譜は伝存しません。今回は平安末ごろ成立の楽書『懐竹抄』にのる調絃にしたがい、同時代の箏譜『仁智要録』の譜字列および演奏法を、6絃和琴で弾けるように変換しました。また、奏法については、『梁塵秘抄口伝集』第十二の記述を解釈しました(☞ 前掲 増田氏論著参照)。
第1曲 《掻(催馬楽風俗等掻)》かく(さいばらふぞくなどのかく)(2025初)*
『梁塵秘抄口伝集』巻第十二に載る和琴の「しらべ」の譜。和琴の調絃の具合を確認するための曲(調子)です。おそらく六調子共通の曲で、調性(琴柱の並び)にかかわらず、この譜を用いたと思われます。今回は、『懐竹抄』に記された双調の和琴調弦(1g・2G・3B・4A・5e・6d)を用います。
第2曲 催馬楽 呂《安名尊》あなとうと (2025初)*
歌のメロディーは『催馬楽略譜』の博士(線でピッチを表す譜)からおこしました(おもに狩野文庫蔵の諸写本を使用)。和琴パートは箏譜『仁智要録』収載の譜を和琴譜に変換しました(以下、第5曲除く全曲の和琴パートも同様)。
そして歌詞は、原詞をすこしアレンジして、釈迦を讃嘆する内容にして歌います。
(初段)あな尊 今日(→釈迦)の尊さや 昔もはれ
(二段)昔もかくやありけむや 今日(→釈迦)の尊さ
(三段)あわれそこよしや 今日(→釈迦)の尊さ
第3曲 唐楽 双調《酒胡子》しゅこし (2012初・2013・2014・2025改)*
先に述べたように、称名寺金沢文庫聖教資料に含まれるピース楽譜を解読(訳譜)しました。器楽ジャンルである唐楽曲に歌詞をつけたもので、その歌詞の横に、音のピッチとおよその音価を五音博士とよばれる記譜法で記しています。歌詞は、釈迦を讃嘆する内容となっています。今回は、全体を2回繰り返し演奏し、1番はその金沢文庫酒胡子譜に書かれている歌詞、そして2番に田鍬作の替え歌詞を歌ってもらいます。
(1番)恩徳広大釈迦尊 平等一子の願なくば
灘化難度の衆生の いかでか生死を離るべき
(2番)発遣教主釈迦尊 娑婆国土におわせずは
善男善女の衆生の いかでか彼岸に到るべき(田鍬作詞)
第4曲 催馬楽 呂《難波海》なんばのうみ (2025初)*
《安名尊》と同様、歌のメロディーは『催馬楽略譜』の博士(線でピッチを表す譜)からおこしました(おもに狩野文庫蔵の諸写本を使用)。
この曲の原詞は、難波津から筑紫津(現高槻市津之江町)そして大山崎と、淀川をのぼっていく船々をうたっていますが、それを少しアレンジし、釈迦が衆生に西方浄土を目指して漕ぎ出せと諭す、という内容に変えて歌ってもらいます。
難波の海 難波の海
漕ぎもてのぼる(→往けよ)
大船小船
筑紫津(→西海)までに
今少しのぼれ(→往けよ)
山崎(→極楽)までに
第5曲 《将律音》しょうりつおん (2025初)*
以上、釈迦を讃えた呂3曲が終り、阿弥陀を讃える律の曲に移りますが、そのためには和琴の調絃を変更しなければなりません。琴柱を動かす作業の間、お客様を待たせることになります。そこで、調絃変更作業そのものをすこし音楽的に聴かせられるような曲を創作しました。このような和琴調絃変更の曲が歴史的に存在したわけではありません。先述の『懐竹抄』所載の双調調弦から、同書所載の平調調絃(1e・2B・3fis・4d・5a・6g)に移行させます。
律音に進む、という意味の「将律音」とは、平安末期の琵琶譜集『三五要録』巻第二(調子品 下)におさめられている曲譜の名前です。まさに御遊において、呂曲の演奏が終りこれから律曲に移ろうとするとき、場の雰囲気を変えるために奏されたという短い曲で、双調ではじまり平調に転調して曲が終わります。ただし、この曲は調絃変更作業を伴う曲ではありません。「呂と律をつなぐ役割」という点で共通することから「将律音」の名を拝借しました。
此岸と彼岸、釈迦と阿弥陀、両者をつなぐ1本の細い白道を、恐る恐る─ピッチを探り探り─渡っていき、呂の世界から律の世界に到ります。
第6曲 唐楽 平調《春楊柳》しゅんようりゅう (2025初)*
《酒胡子》とおなじくピース楽譜として、称名寺金沢文庫聖教資料に含まれる資料です。記譜法も《酒胡子》とおなじ五音博士です。
歌詞は時勢を反映した「末法思想」がテーマとなっています。釈迦の正しい教えは衰え滅びてしまったのに、慈氏(弥勒菩薩)がこの世界に下生して浄土に変えるのは56億7千万年後という、とてつもなく遠い未来の話。人間の素質に関係なく弥陀の名を10回唱えるだけで、誰もが美しく香しい西方極楽世界に生まれることができる(から、この世界に見切りをつけて極楽浄土を目指そう)、と歌います。
平等大悲の誓いは 利益一重に末法の時をさす
衆生の根機を選ばず 至心信楽深くして
十度弥陀を唱うれば 西方極楽へ生まれぬ人なし
かのところの有様 林池また楼閣香花 匂いを交えたり
(換頭)釈迦の夕日は隠れにき 慈氏の朝日は出でざれど
第7曲 催馬楽 律《青柳》あおやぎ (2023初・2024・2025)*
称名寺金沢文庫聖教資料のなかの、順次往生講式に歌われる催馬楽(替え歌)譜のみを収録した『西方楽』に含まれる一曲。記譜法は《酒胡子》《春楊柳》とおなじ五音博士です。表紙に堯観とあることから、伊勢大日寺の長老、堯観の手沢本(愛蔵書)とされており、その堯観自身が節付けをした(博士譜を作った)可能性が考えられます。
この歌の歌詞は「(初段)青柳を片糸によりてや おけや 鶯の おけや (二段)鶯の 縫うという笠は おけや 梅の花笠や(鶯が青柳を片糸にして撚って縫うという笠は、梅の花〔ほどの大きさの〕笠だ)」が原詞ですが、次のような替え歌詞があてられています。
(初段)極楽は 極楽は 日想観に寄せてや想え そのかざりめでた
(二段)水を見て 瑠璃の地 想いを懸けよ 深く益ありや
順次往生講式では、観無量寿経に説かれる十六観想(極楽往生遂げるための16の修練法)のうちの、初観「日想観(真西に沈む日を見て極楽世界に想いをめぐらしなさい)」と第2観「水想観(水面や氷を見て極楽の瑠璃の大地を想像しなさい)」について講ずる第一の式文(正修門第一)のあとに、この替え歌詞による《青柳》が歌われます。
第8曲 終曲 唐楽 平調《蘇合急》そこうのきゅう (2023初・2024・2025)*
称名寺金沢文庫聖教資料に含まれる、順次往生講式に歌われる唐楽平調曲のみを収録した『楽邦歌詠』に含まれる一曲。記譜法は《酒胡子》《春楊柳》《青柳》とおなじ五音博士です。表紙には、芿珎(じょうちん)という僧侶の名がしるされていて、芿珎の手沢本とされています。芿珎が節付けをした(博士作譜者の)可能性が考えられます。
充てられている歌詞は、阿弥陀にたいして、必ず迎えに来い、と脅迫にちかい語調で懇願する内容です。
極楽の弥陀ほとけ めでたき誓い 我よく頼む はちすの上に 必ず据えよ ゆめ違うなよ
返す返すも はちすの上に 必ず据えよ ゆめ違うなよ
(喚頭)弥陀ほとけ 弥陀ほとけ (めでたき誓い 我よく頼む)
《蘇合(蘇合香)》の原曲は盤渉調ですが、順次往生講式では平調に渡して(移調して)最終式文(廻向門)の後に配され、フィナーレをかざる曲としています。それは、曲尾が嬰商(宮より短3度上)に終止する特殊な曲だからです。この曲はインドのアショカ王が病に倒れ蘇合香という薬草で治癒した故事を楽曲にしたとされ、平行調に移調するように明るく終わるさまが病気治癒を表すのですが、中世日本の人々は、その終止に解脱や往生を連想するようになります。平調曲には他にも佳曲があるにもかかわらず、《蘇合》をわざわざ移調して順次往生講式に組み込んでいる理由はそこにあります。
この組歌では、第5曲の《将律音》で双調から平調へとかえて、《春楊柳》《青柳》と平調の世界が続き、そして《蘇合急》の最後で双調に戻ります。この組歌では、双調をこの世、釈迦の調べと設定していますから、最後の最後に極楽往生を遂げたとおもったらそこはもとの娑婆世界。極楽浄土を目指してひたすら西にむかって進んだら地球を一周して元の場所に戻ってきた、そのような格好です。
大地が球体であることを知ってしまった現代の我々にとって、阿弥陀がいる西方浄土ってどこなのでしょうか?弥勒菩薩やキリストがいる天上界ってどっちの方向なのでしょうか?憧れるべき、目指すべき究極の安楽の地をどこに設定したらよいのでしょう。この組歌に、そのような現代宗教観への疑問をふくませてみました。(文 田鍬 智志)
演奏(和琴・歌) | 中川 佳代子 |
和琴譜作成(仁智要録からの変換) | 田鍬 智志(第2,3,4,6,7,8曲) |
和琴譜(梁塵秘抄口伝集収録譜)解読と訳譜 | 田鍬(第1曲) |
和琴曲創作 | 田鍬(第5曲) |
声歌譜(催馬楽略譜・称名寺金沢文庫諸譜)解読と訳譜 | 田鍬(第2,3,4,6,8曲)・伊藤 慶佑(第7曲) |
替え歌作詞 | 田鍬(第2,3,4曲) |
*演奏(勤修)履歴
2012 第1回 順次往生講式(抜粋 3月11日 於華嶽山東北寺誠心院、和琴なし)
2013 第2回 順次往生講式(抜粋 3月10日 於華嶽山東北寺誠心院、和琴なし)
2014 第3回 順次往生講式(抜粋 3月15日 於華嶽山東北寺誠心院、和琴なし)
(2017 第4回 順次往生講式〔抜粋 3月15日 於専修寺京都別院, 伝音連続講座Hとして。和琴なし〕)
2023 第5回 順次往生講式(全段全曲 5月13日 於魚山大原寺勝林院, 第61回伝音公開講座として。和琴つき)
2024(第6回)順次往生講式(全段全曲 5月18日 於専修寺京都別院塔頭龍源寺, 先代住職17回忌法要として。和琴つき)
2025 和琴つき組歌《御遊風講式聲歌聚》(3月23日, 第67回伝音公開講座)
縁あって熊野に数か月住むようになり、冬の間すら水温いまだ暖かな熊野灘に度々泳ぎ遊んで、海底の珊瑚や小魚たちの行き来する景色に親しみ、さんさんと降り注ぐ陽光に煌めく水面や遥かな水平線を眺めては時の経つのを忘れる。海沿いには熊野三山に通ずる古道が伸び、補陀落渡海を遂げたという鎌倉の御家人・下河辺行秀智定坊の系譜の残る産田神社もそう遠くはない。
熊野の限界集落に身を置きながら、ふと後白河院・後鳥羽院の度重なる熊野御幸、補陀落渡海、連続して起こった地震、はしか・疱瘡の大流行などの当時の状況と人々の心持を想像し、現在の私たちの時代と交差させながら描いてみたいという欲望が生まれた。
年明けから曲のアイデアをあれこれと思い巡らしていたところへ、2月1日に仏師の浅村朋伸さんからメールをいただいた。田鍬智志さんから私が熊野に住んでいることを聞いて驚かれ、できれば熊野で会いたいという御申し出だった。浅村さんとは葛城の當麻寺でたった一度お会いしたことがあっただけで、コトを作っておられることは知っていたが、熊野古道を熟知しておられることや、修験者を案内するほどに山歩きに慣れた方だということは全く知らなかった。本日演奏する服部古墳出土のコトの復元を見せていただき、南紀や奈良の様々な場所へ案内していただき、私の住む熊野市・波田須へも来ていただくうちに、多くのことを語り合い、インスピレーションを受けた。
それを結晶させようとしたのが今回の作品だが、本日は時間の関係で前半しか演奏することができない。このコトとの出会いはまだ始まったばかりなので、いずれ後半を完成させ、ご披露できる機会の訪れることを願う。
補陀落はサンスクリット語のポータラカの音写であるらしく、観音菩薩の浄土を指す。補陀落渡海(ふだらくとかい)は、日本の中世に行われた捨身行で、観音菩薩の浄土である「補陀落山」(インド南部にあるとされた霊場)への往生を願い、命を懸けて海へ船出するもので、主に熊野灘を中心に行われた。
那智の補陀落山寺をはじめ、捨身行にゆかりの地を訪ね歩き、熊野灘の水平線から昇る朝日を観照し、幾度となく波田須の海に泳ぎ遊ぶこの五か月余りの生活は、遥かな歳月を土中で過ごしたコトへの想いと相まって、かつて私が長崎に暮らした19年の間に対馬で行っていた「旅人のコト」というコト作りのプロジェクトとも共鳴し、ことばに尽くせない、人の縁と時の流れを感じさせるものだった。以下は本日の曲のテキストであるが、節に乗せる都合で一部省略、原稿通りに歌っていないことを、予めご了承いただきたい。
(文 藤家 溪子)
コト制作(滋賀県守山市服部遺跡出土品の復元) | 浅村 朋伸 |
作曲・コト演奏 | 藤家 溪子 |
曲中再生音源 演奏 ギター | 山下 光鶴(Lotus, Cora) |
ピアノ | 藤家 溪子(Aspects of Hamlet) |
詞章(初演の演奏では以下と若干異なります)
ホラ貝のイルファンはお散歩が大好き
はてしなく広がる海の、潮の流れに乗って
東のほうへぐるぐる、西のほうへゆらゆら
南を目指してピューッ
ときどきは、海底で北を目指してヨチヨチ
ゆっくり時間をかけて、海面までふらふらと上っていったり
潮の渦に身を任せ、海底までぐるぐる回りながら降りていく
あぁ、なんて楽しいんだろう
貝に生まれてよかったなイルファンは巻き貝の一種だけど
仲間のうちではひときわでっかくて
奇妙なことにみんなは右巻きなのに
自分だけ左に巻いていた
気にしない、気にしない
それに、ちょっぴり自慢だった。ひときわ大きくて
点々のもようもいっぱいある、自分の姿が・・・あたたかい水の中を、しずかに降りていくと
水が急に冷たくなるところがある
なまぬるい場所から、冷たい流れに入りこんだ瞬間の
キリッとした心地が、好き
ひんやりした水域から、あったかい層に突っ込んだときの
からだじゅうがポワンとゆるむかんじも、好き
水底近くの真っ暗なあたりから、注意深く上がっていくと
いろんな音がにぎやかに響いてくる場所がある
イルファンは無口だけど
いろんな音 – クジラの低く歌う声や
エビたちの出すプップッと、小さな風船が割れるみたいな音
イワシの群れが、いっせいに向きを変えるたびに起こるさんざめきを聴くのが、大好き
ずっと、ずっと
毎日がこんなだと、いいなあある日、イルファンが海面に半分からだを出して浮かんでいると
一艘のボートが、ゆっくりと波間をただよっていた
白い、小さいボートには
黒い肌の若者と、黄色い肌の若者が乗っていて
ふたりがこんな話をしているのが
きこえてきた
「この広い世の中に
自分とそっくり同じ顔をした奴が
必ず、もうひとりいるんだって」
「でも、自分とそっくり同じ顔をした奴に会ったなんて話は
きいたことがないよ」
「だって、そいつは世界のはてのはてにいるかもしれないし
人が、一人前に自分の顔を持つようになってから
それが老い果てて、顔の残骸みたいになっちまうまでの間は
そう長くはないもんな
七つの海を渡る船乗りだって
なかなか、そいつにはお目にかかれるものじゃないってだけど、大都会の人混みかなんかで、ちらっとそいつの顔を見かけて
いそいで追いかけようとしたけど
二度と見つからなかったっていう人の話なら
きいたよ」
イルファンはしずかに頭を海中にひっこめると
ゆるやかな螺旋を描きながら
底のほうへ沈んでいった
イルファンの想いも、からだといっしょに
ぐるぐると輪を描いた
自分とそっくり同じの
もうひとりの奴!自分とそっくり同じ奴!
自分とそっくり同じ奴!
イルファンはだんだんに小さな輪を描いて
さいごはスピンでくるくる旋りながら
イソギンチャクが花畑みたいに群れているところへ
降りていった
「そいつに会いたい」
「いや、会いたくない」
「やっぱり会いたい」
「会いたくないっ!」
手近のイソギンチャクのまわりを
時計まわりにまわりながら
触手の一本一本をちょんと突っつくたびに
イルファンは独り言をつぶやいた
(地上の子どもたちがマーガレットの花びらを一枚一枚むしり取りながら、花占いをするように)
イルファンは、イソギンチャクの触手をむしり取ったりするような
乱暴者じゃないだけど、おかしいな
えっと、どこから始めたんだっけ見ると、イソギンチャクはいじわるなニヤニヤ笑いを浮かべて
あちこちの触手をでたらめに出したり、引っ込めたり
これじゃ、どこから始めたかなんて、わかりっこないや
「おまえは、試練の前に立たされているのさ。そして、おまえの心は恐れでいっぱい」
「恐れ?」
「恐怖から、おまえは逃げ出したいのさ。だから、私のひげに触ってみたり、ブツブツぐちを言ったり」
「ぐち?」
「試練を受けるも、逃げ出すも、おまえ次第。だけど試練はおまえが考えるほど甘いもんじゃないぞ」
どうしてこんなにプリプリ怒って
わけのわかんないことばっかり言うんだろ
触手を突っついたから、怒ってるのかな
ははん、こいつは自称・心理学者って奴かもしれない
物理に勝るとも劣らない、深遠な心理ってものを
ちゃちな方程式で割り出そうっていう手合いだな
逃げるが勝ち!イルファンは、スタコラそこを逃げ出して
海の底の坂道を
コロコロころがりながら、おりていった自然に回転が止まったところで
寝転がったまんま
イルファンは考えた
恐怖だって? ぐちだって?
自分とそっくり同じ奴がこわいだなんて
いったいそんな間抜けたことがあるもんか
だけどそいつに会いたいかどうか
それがどうしても、自分でもよくわからない
うーん
そうだっ! ともかく会ってみよう
そうすれば
会いたかったか、会いたくなかったか
はっきり自分でわかるはずだよそう決めてみると
こんなにかんたんなことに気付かなかったことが
ふしぎなくらい
でも、さてどうやってそいつに会うのかが
新しい問題だ思案しながら
ブーラブラ
深海の底を歩き回っていると
おやっ、あんなところに
大好物のヒトデが!
でも近寄ってみると
泥の上にできた、星型の模様
本物のヒトデじゃなかった
(実はヒトデが泥に潜ったときにできる痕)
なあんだ
そういえば、おなかがすいちゃったなあ
ふと見ると
今度は泥の上に、ぐるぐるの渦巻き模様が・・・
こりゃまるで、ケルトの渦巻きだ
海の底にもあるなんて!
ところがこの渦巻きは、見てるとすこうしずつ
大きくなっていく!「おやおや、きみが渦巻き模様を描いているの?」
渦巻きのいちばん外の周に
渦巻きとおなじくらいの太さの
半透明の、頭のふくれたミミズみたいな奴が
渦巻きのつづきみたいに
ぐるりと曲線を描いて
這いつくばっていた
「模様を描くだって? これはウンコだよ、ウンコ!」
「ウンコ? なんだってそんなにたくさん、そんなにゆっくりウンコなんかしてるのさ?」
「ゆっくりだって?
オレ様は泥を食べながら消化して、そうしながら同時にウンコしてるんだ。
全てが同時進行。
これよりはやくできる奴なんて、いないはずさ!」
「でも、きみの食べてる泥と、そのぐるぐる巻きのウンコは、ぼくにはおんなじものに見えるけど・・・」
「ふん、いただくものは、ちゃーんといただいてるのさ」
「ひとつきいてもいい? どうして渦巻きの形にウンコしていくの?」
「どうして渦巻きの形に食べていくの、ときいてくれないかな。
理由はかんたんさ。むだぼねを折らないためだよ」
「きみに、骨なんてあるの?」
相手はジロッとにらみながら
「話の腰を折らないでもらいたい」と、げんしゅくにいった
「腰なんてあるの?」
とききたいところだったけど
やっとのことでその質問は呑みこんだ
「まずまん中から始めるだろ。
そして、すこうしずつ、自然にからだを動かしながら食べすすむんだ。
いちど消化しちゃった泥を、もいちど食べるなんていうむだをやらないように、自分の食べた軌跡にピッタリ重なるようにウンコしていく!」
「きみは、何ていうか・・・すごいや!」
イルファンはすっかり感心したけれど
ひとがウンコしているところをいつまでも見てるのは失礼だと思って
そこを立ち去ったもっと明るいほうへ、しばらく上っていって
イルファンは立ち止まった
さっきのミミズみたいな奴が言ったとおりに
やってみるとするか
まん中からすこしずつぐるぐるまわり始めた
食べたり、消化したり、ウンコしているわけじゃない
目をしっかり見開いて
自分そっくりの巻き貝を探してる
ぼくも、むだぼねを折らないように気をつけて
奴を探さなくちゃ
いちど探したところを、もいちど探すなんてヘマを
やらないように・・・
オヤ? でもこれは変だぞ
だいいち、ウンコしていないので
ぐるぐるまわった跡も
すぐに消えてなくなってしまうし
それより、そいつもぼくみたいに
海中を動き回っているかもしれないから
水平方向だけじゃなく
上下方向にもぐるぐる
斜め方向にもぐるぐる
反対側の斜め方向にもぐるぐるしなきゃ
あぁ、目が回る!
ドスンッ大きなヤギにぶつかっちゃった
地上の、あのメェメェなくヤギじゃない
海のヤギは、木みたいにたくさん枝分かれして茂る
サンゴの仲間
と、高い枝のあたりから
声がした
「あんたったら、もう一人前の立派な大きな巻き貝のくせに、どうしていまだにフラフラしてんのよ。
あんたを産んだ母さんが見たら、泣くわよ」
ヤギの枝に住む、すばらしくあざやかな色合いのガウンを着た、キヌヅツミ(脚注1)だった
イルファンがぶつかった衝撃で
まだヤギ全体がユラユラ揺れているので
キヌヅツミはしっかり枝につかまりながら
ちょっとキンキンした声で、また言った
「いいこと? おとなになった貝は、そんなふうにフラフラ泳ぎ回るもんじゃないの」
「じゃ、おとなの貝はみんなどうしているの?」
「もちろん、ほふく生活よ。辛いときも、悲しいときも、ほふく前進あるのみ!」
この人、お芝居の練習中なのかな、と
イルファンはぶつけたせいでくらくらする頭で考えた
だって、なんだか大げさだもの
でもそういうしゃべり方って
おもしろいな
ぼくもやってみようかな
「そんなにきれいにしているのに、辛かったり、悲しかったりするものなの?」
「きれいなキヌの衣装と、絶やさぬほほえみの下には、涙がたっぷり隠されているものよ。
そんなことも知らないようじゃ、まだおとなとはいえないわね。
キヌの袖は涙に濡れて、人こそ知らね乾く間もなし、なんだから」
海の中だから乾くはずないじゃないか、なんて
無粋なことはいわない、いわない
「人こそ知らね乾く間もなし、か。ずいぶん、詩人なんですね」
「ま、これはむかしの和歌の引用だけどね。
でも、あんたって思ったより話せるわね。もうちょっとこっちへ寄りなさいよ」
イルファンが素直に近づくと
相手は注意深くイルファンを見つめた
「おどろいた!あんたって左巻きなのね。こりゃ天才か、大バカの、どっちかだわ」
さいごのところは小声だったので
イルファンにはきこえなかった
「ねぇ、ほふく前進あるのみって言ってたけど
きみのようにきれいなひとが
どうして兵隊みたいなまねするの?」
「まぁ! だって生きていくことは戦いじゃないこと?
生存競争、とか、弱肉強食っていうことば、あんた知らないの?」
キヌヅツミは内心、これはやっぱり大バカか
ひょっとすると苦労知らずの上流階級の若様かもしれない、と思った
そして、ますますイルファンが気に入っちゃった
「あたしなんか、しょせんこのヤギの囲い者
あんたにも、なんにもしてあげられないけど
よかったら、しばらく遊んでいってちょうだい」
ぶつかったことは
とっくに許してくれていた
親しく誘ってくれたけれど
自分にそっくりな奴を探すめどが立たないうちは
そうもしていられない
すると、記念に詩をよんで贈ってくれた常の世の習いに背(そむ)きて
みずから左遷せよ、大いなる若者
やぶれかぶれの楽しさに
後朝(キヌギヌ)の涙さえ
弾け散るらんちょっとヘンテコだけど
心がこもっているみたい
うれしいな
左旋と左遷をかけてくれたんだね、きっとあれから二年近くの月日がたった
イルファンはまた、ひとまわり大きくなった
今もお散歩が大好き
はてしなく広がる海の、潮の流れに乗って
東のほうへぐるぐる、西のほうへゆらゆら
南を目指してピューッ
ときどきは、海底で北を目指してヨチヨチ
ゆっくり時間をかけて、海面までふらふらと上っていったり
潮の渦に身を任せ、海底までぐるぐる回りながら降りていく
あぁ、なんて楽しいんだろう
貝に生まれてよかったなほかの生き物たちとおしゃべりするのも好きだけど
いろんな音 – クジラの低く歌う声や
エビたちの出すプップッと、小さな風船が割れるみたいな音
イワシの群れが、いっせいに向きを変えるたびに起こるさんざめきを聴くのが、大好き
ずっと、ずっと
毎日がこんなだと、いいなあでも・・・
でもね
なにかが変わった
ときどき、イルファンは
何時間もボーッとしてることがある海面近くの明るいところにいると
いつか深海の底で見たのより
ずっと、ずっとほそくて、こまかな渦巻きが
あらわれたり
消えたりするのを見る
でも、そこには誰の姿も見えないんだ
あれは、光のイタズラかしらん長い夜に
あの、いろんな音が響いてくる場所にいると
にぎやかなさんざめきや
イルカたちの歌声のこだまにまじって
ほそくて、きれいな、かすかな、かすかな旋律(メロディー)が
きこえる時がある
最初は、誰かが泣いている声かと思ったよ
でも、笛の音(ね)みたいでもあるし
それはやっぱり
かすかに、かすかに変化する旋律(メロディー)なんだいちどきくと
もう、ぜったいに忘れられないような・・・自分とそっくり同じの、もうひとりの奴には
まだ、出会えなかった
(前編 終 脚注2)
注1 キヌヅツミ → シラタマガイ・ウミウサギの仲間
参考リンク 鳥羽水族館 貝のページ
https://aquarium.co.jp/shell/gallery/hyouzi.php?nakama=umiusagi
注2 前半部分のみ初演された。
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