後藤 静夫 Shizuo Goto
今田健太郎、上田学、奥中康人、川村清志、澤井万七美、竹内有一、龍城千与枝、 寺田詩麻、寺田真由美、土居郁雄、廣井榮子、細田明宏、真鍋昌賢、横田洋
日本の伝統音楽の諸種目の多くが、歌詞をもった音楽(いわば声楽)である。近年、楽器の演奏において唱歌(しょうが)をとなえることの有用性が、しばしば強調される。また現代、旋律、旋律型等を意味する総称としての「ふし」という言葉も、実際には声楽に対してつかわれることが多い(「ピアノのふし」とは言いにくい)。これらのことによっても、日本の伝統音楽における声楽優位は明らかであろう。
そういった現実があるにもかかわらず、声楽の研究にはあまり焦点が当てられない。たとえば、本研究が焦点をあてようとする、歌と語りにおける言葉と「ふし」の関係というテーマは、不完全燃焼の状態で放置されたままであるように思われる。
この不完全燃焼の背後には、学問の制度上の問題がある。歌詞の研究者(主に国文学)は、歌詞の内容解釈を優先させるため、形式の研究は当然後回しになろう。一方、音楽の研究者(音楽学)も、音楽を自立したシステムとして解釈する営みを中心に置こうとすると、言葉のない音楽を中心にせざるをえない(「音楽」という語が伝統的に器楽をさしてきたことも背景にあろう)。
結局、言葉に「ふし」が生成するメカニズムの研究は、応用的領域(後回し!)となってしまったのだが、もちろん、その大切さが学問上で認識されていないわけではない。今から30年さかのぼる1970年代まで、言葉と歌(speech and song)の境界をめぐる問いは、一般音楽学でも主流の問いのひとつだった。また、日本においても数は少ないものの、同じ関心にもとづいた、言葉のアクセント・拍節研究が行われてきたのである。こうした先達のまなざしや試みにふれつつ、一般音楽学の問いにもういちど立ち戻ることには、日本伝統音楽研究の固有の対象が何かを見定め続けるためにも、大きな意味があるだろう。
上の趣旨をふまえ、研究会では、3つの課題に焦点をあて、作業をおこなう。
研究活動
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