文責:梶丸岳
秋田県は「民謡王国」などとも称され、13の民謡全国大会が開催されている、とても民謡の盛んな地域です。なかでも横手市や美郷町で歌われている「掛唄」は全国的に見てもあまり例のない、歌詞の完全な即興による掛け合い歌であり、その当意即妙のやりとり(=相互行為)は聞く者を飽きさせません。
本企画は「歌詞の即興」と「相互行為」をキーワードに、こうした掛唄の魅力に迫ろうというものでした。このページは公開講座前半の、掛唄と秋田民謡の実演部分を解説と動画でご紹介するものです。
掛唄は現在、おもに秋田県美郷町にある熊野神社の「全県かけ唄大会」と、横手市にある金澤八幡宮で開かれる「金澤八幡宮伝統掛唄大会」で歌われています。
金澤八幡宮伝統掛唄保存会の記念誌によると、江戸時代に結婚前の良縁祈願として神社の宵宮祭の夜(旧暦8月14日)に社殿で行われていた「お籠もり」に参加する若い娘に同行した人々が、お籠もりが終わるのを待つあいだ酒を飲みながら互いに歌に興じたのが掛唄のはじまりだとされています。
大正年代から徐々に大会として組織化され、1935年(昭和10年)ごろには金澤八幡宮で保存会による運営が行われるようになったといいます。熊野神社の「全県かけ唄大会」は戦後に行われた社殿改築を記念し、金澤八幡宮の大会を参考にしながら始められたとされています。
どちらも80年代あたりまではかなりの盛況でしたが、現在は歌い手の減少及び高齢化に悩まされています。そこで金澤八幡宮伝統掛唄保存会では地元の中学校で2003年から掛唄講座を開くなど(ただしこの学校は2012年に統廃合で廃校)、後進の育成に力を入れています。
最初の動画は、この掛唄講座出身の若手である妻野聖花さんと、中堅の歌い手である妻野敏夫さんによる掛唄です。
敏夫: 京のみやこに 足踏み入れて 驚きましたね 美人の数に
聖花: 秋田美人に 見慣れているが 京都の女性も 美しいね
敏夫: 秋田こまちも 名高いけれど 京都の舞妓にゃ かなわない
聖花: 秋田舞妓と 京都の舞妓 一緒に舞うとこ 見てみたい
敏夫: 生まれかわって 嫁とる時には 京都美人に 決めました
聖花: 博多に行けば 気持ちが揺らぐ 京都と決めるの まだ早い
掛唄は「仙北荷方節」という祝い唄の旋律を歌い手が歌いやすいように若干アレンジし、伴奏なしで歌われます。歌詞は基本的に七・七・七・五で歌うことになっていますが、旋律が長いのでしばしば字余りします。上の動画では「秋田美人」と、講座が開かれている京都の「美人」「舞妓」が話題になっています。最後の聖花さんの切り返しが見事な掛け合いでした。
次は、どちらも優勝経験者である中川原信一さんと後藤弘さんに掛唄を歌っていただきました。
後藤 : 八幡宮の掛唄 みやこの郷に 金の屏風を 背にして歌う
中川原: 金の屏風を 背中に背負う 昔嫁取り 思い出す
後藤 : わしの嫁取り 金の屏風じゃ なくて破れ障子よ
中川原: 破れ障子で 嫁取りしても 今が幸せ 何よりよ
後藤 : 今は幸せ できたら金屏風で したかった私の 思い出である
中川原: 遅くないです 今から用意して 結婚祝いを やりましょうよ
この掛け合いで「金の屏風」がキーワードになっているように、掛け合いではよく相手が歌った言葉を使って歌を返していくということが行われます。つまり、相手の歌を足がかりにして自分の歌詞を作っていくわけです。
掛唄ではその場で歌詞を考えることが普通で、ある程度熟練した歌い手たちはしばしば「事前に考えすぎるとかえってうまく歌えない」と言います。この即興性を見せていただくために、講座では聴衆よりその場でお題をいただいた掛け合いも披露していただきました。なお、このお題を客席からもらう形式は実際の大会の決勝戦でも行われていますが、この時のように複数のお題を同時に組み入れることはありません。
次の動画中川原信一さんと後藤弘さんによる掛け合いで、お題は「飛行機」、「阪急電車」、「秋田名物」の三つです。
中川原: 飛ぶか飛行機 心配したが 無事に阪急電車にも 乗れました
後藤 : 飛行の時間 迫ったけれど 検査でベルトが 引っかかった
中川原: 秋田名物 土産に買って 来ようと思ったが 金足りね
後藤 : 秋田名物 数々あれど 京に土産の 掛唄よ
中川原: 今日とこの先 聞きたい人は 祭り秋田に 来ておくれ
後藤 : 京に掛唄 土産に持って 帰りは舞妓を 連れて
最初の「阪急電車」が早口でねじ込まれているところや、話題がどんどんと移り変わっていくところがとても掛唄らしいところです。このように、自由自在にその場で思いついたことを旋律に乗せて歌っていくところが、掛唄のおおきな魅力だと言えます。
掛唄のバックグラウンドとして重要なのが、いわゆる普通の「民謡」です。秋田県は全国屈指の民謡が盛んな地域であり、歌い手たちも普段から民謡に親しんでいます。公開講座でご紹介したのは「長者の山」と「ドンパン節」でした。
「長者の山」は秋田民謡を代表する唄のひとつです。現雫石町にある国見温泉で湯治客の老婆たちが即興で歌詞を作り歌を掛けあっていた「婆々踊り」と呼ばれる唄が元になっており、これが雫石の西側にある生保内の宿場(田沢湖生保内)へも伝えられ、その間に「長者の山」という歌詞が人気を呼んで「長者の山」と呼ばれるようになったと言われています。
今歌われている歌詞は田沢湖近く(仙北市田沢湖玉川、現在宝仙湖の湖底になっている地域)に伝わっていた、金山を掘り当てた長者の伝説に基づくものとされています。この民謡は昭和10年(1935年)ごろ仙北歌謡団の黒沢三一によってレコード化されて以来有名になり、角館の「桟敷踊り」に取りあげられて県下に広まったといいます。今回は「長者の山」全国大会優勝経験者でもある後藤弘さんに唄を披露していただきました。本来「長者の山」には三味線・尺八・太鼓の伴奏が付きますが、今回は手拍子を伴奏にしています。
〽盛る盛ると(ハイーハイ)長者の山盛るナー 盛る長者の山 サアサ末永くナー(ハイーキターサッサー、キターサッ)
山さ野火つく(ハイーハイ)沢まで焼けたナー(ハイーハイ)なんぼかわらびコサアサほけるやらナー (ハイーキターサッサー、キターサッ)
山間深山の(ハイーハイ)三軒家でもナー(ハイーハイ)住めば都の サアサ風が吹くナー ー
「ドンパン節」は昭和28年(1953年)に民謡歌手の角田正孝が「ドンドンパンパン」のタイトルで出したレコードによって全国に広まった新民謡です。元唄は仙北郡中仙町豊川(現大仙市)の「円満造じいさん」(本名は高橋市蔵)と呼ばれた大工が秋田甚句から作った「円満造甚句」だと言われています。特徴的なはやし言葉は秋田甚句が岩手県雫石に伝わってできた「ドドサイ節」の変形だと考えられています。今回の講座では歌い手の皆さんで歌っていただきました。講座の和やかな雰囲気もお伝えするべく中川原さんによるご挨拶を含めて動画をお見せすることにしました。
〽(はやし言葉)ドンドンパンパン ドンパンパン ドンドンパンパン ドンパンパン ドドパンパ ドドパンパ ドンパンパン
唄コで世あけた 我が国は 天の岩戸の始めより 尺八三味線 笛太鼓 忘れちゃならない 国の唄(はやし言葉)
いつ来てみても 井戸端に きれいに咲くのはあやめ花 秋田のおばこに よく似てる 可愛い花だよ 皆おいで(はやし言葉)
唄コ聞くなら黙て聞け 上手もあれば下手もある そんならお前さん来て歌え なかなか思うようにゃ いがねもんだ(はやし言葉)
わたしのおやじはハゲ頭 隣のおやじもハゲ頭 ハゲとハゲとが喧嘩して どちらもケガ(毛が)なくよかったね(はやし言葉)
わたしのおやじは酒好きで 朝まず1升昼2升 夜には3升も平らげて 財布の中身がドンパンパン(はやし言葉)
「ドンパン節」のようになごやかな形で民謡を楽しむ土壌があるからこそ、自由に唄を交わしあう掛唄が現在まで生き残ってきたのでしょう。今は決まった歌詞がある民謡も、かつてはその場の雰囲気で歌詞が作られることがままあったといいます。公開講座の後半では、掛唄の即興性がもたらす緊迫感が生みだす面白さについても議論が盛り上がりました。本講座でご紹介した掛唄や民謡の姿は、厳密に決まった歌い方が要求される民謡大会での民謡とはひと味違う民謡のありかたもあるのだ(あるいはあったのだ)ということを私たちに教えてくれるように思います。
秋田県の美郷町にある熊野神社の「全県かけ唄大会」は例年8月23日夜に、横手市の金澤八幡宮の「金澤八幡宮伝統掛唄大会」は例年9月14日夜から15日未明にかけて開かれます。よろしければぜひ一度足を運んでみてください。本講座の映像だけでは伝わらない緊張感と掛唄の楽しさが体感できます。
日本伝統音楽研究センター第42回公開講座
「掛唄から見る即興と相互行為」
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