昨年は新天皇の御即位記念で、正倉院展が大々的に行われた。
通常の奈良国立博物館(以下奈良博)での正倉院展に加え、御即位記念特別展として、東京国立博物館(以下東博)でも「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」が、通常よりも長く、10月14日から11月24日まで行われた(奈良博の方は10月26日~11月14日)。正倉院展のファンは多く、例年わざわざその時期に奈良に足を運ぶ人で賑わうが、いつもよりも多くの宝物が見られるということで、世界各地から多数の来訪者があった。
なんと言っても、昨年の奈良博の正倉院展には金銀平文琴(きんぎんひょうもんきん)が、東博の「正倉院の世界」展の方には四弦琵琶(紫檀木画槽琵琶(したんもくがそうのびわ))、五弦琵琶(螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんごげんのびわ))、甘竹簫(かんちくのしょう)の他、阮咸(げんかん)(螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんのげんかん))の模造品までもが出展されていたのである。
さすが御即位記念と、世界中の正倉院楽器愛好者が狂喜したにちがいない。ワクワクしながら待っていたのは、友人知人ばかりではない。ご多分に漏れず、私も心待ちにし、奈良博には3度、東博へは2度足を運んだクチであった。
しかし、私には、もう一つ、とても期待していたものがあった。東博で「正倉院の世界」展が行われていたのと同時期に、同博物館の敷地内にある法隆寺宝物館でひっそり展示されていた、法隆寺旧蔵琴である。
「東博の正倉院の世界」展は展示が2期に別れ、前後で入れ替えが行われた。前期の展示を見に行った際、法隆寺宝物館を訪れると、会期がずれており、法隆寺旧蔵琴の展示は2日後からであったため見ることができなかった。後期展は行かないつもりでいたのだが、予定を調整し万難を排して、後期展を兼ねて法隆寺宝物館を再訪した。つまり、もちろん、入れ替えられた正倉院宝物を閲覧するのも楽しみではあったが、私は法隆寺宝物館再訪が主目的であったのである(苦笑)。それくらい法隆寺旧蔵琴をこの目で見たかったのだ。
法隆寺旧蔵琴は、正倉院御物である金銀平文琴と並び、日本を代表する唐琴である。唐琴とは、中国の唐の時代に制作された琴のことである。金銀平文琴は、その装飾が大変美しく、世界的に見ても類を見ない美しさであり、宝物であることは間違いがない。一方、法隆寺旧蔵琴は、一見普通の琴であるが、こちらも世界に誇る大変なお宝である。
法隆寺旧蔵琴は、琴を裏にある龍池(胴内の空気振動を外に出す役割をする孔、古琴の響孔は龍池と鳳沼の2つ)から覗くと、表板の裏側に墨書きで「開元十二年歳 在甲子 五月五日於九隴縣造」と書かれており、楊貴妃で有名な玄宗皇帝が在位していた開元 12 (724)年に、九隴県(現:四川省成都府彭県)で製作されたものであることが判明している琴である。そのことから、この琴は「開元琴」と呼ばれることもある。ただし、九隴県は、この琴が制作された当時、雷氏という作琴の名手の一族がいたとされる蜀の地であり、そのことから、この琴は雷氏一族が造られたとされ、「雷氏琴」とも呼ばれた。
この雷氏琴は、腰の部分に入れられた繰り込みが直角に入り緩やかに弧を描いて戻るという、独特な形態をしており、雷琴式とも呼ばれる。
雷氏琴は、法隆寺に所蔵されていた江戸時代には琴人には憧れの筆頭であり、多くの人がその形を模倣した。代表例は浦上玉堂(1745-1820)で、複数の模造琴を造っている。また、私が現在進めている研究の1つに、大英博物館所蔵の平松琴仙(1754-1828)資料があるが、その中にも雷氏琴の模造をした際の資料が存在する。
この雷氏琴を見るために、気もそぞろで「正倉院の世界」展が行われていた平成館を後にし、法隆寺宝物館へ向かうと、「正倉院の世界」展の大混雑とは打って変わって、人がまばらであった。しかも、法隆寺宝物館へ向かう人の多くの目的は、1階にあるカフェであり、2階でひっそりと展示されていた雷氏琴の周辺には私と同行してくれた友人以外一人もいなかった。
これほどの名器の貴重な展示をほとんど見に来る人がいないなんて、と少し残念に思いながらも、逆にこれ幸いと、上から下から、様々な角度の写真を思う存分撮影し(写真撮影は許可されている)、ガラス越しとはいえ、かぶりつきで見入ることができ、大変満足にも感じた、複雑な心境であった。
琴を弾く人であれば、一度は見たいと思うであろう、憧れの唐琴。その美しさにしばし我を忘れて見惚れた、大変有意義な時間であった。
きっとかつての琴人たちが同じ思いでこの琴を眺めたのだろうと、彼らのことに思いを馳せた時、私も日本の琴人の端くれとして、彼らの意志としての血脈を受け継いでいるのだなあと実感した。
※五絃琵琶、阮咸の復元品は撮影を許可されていた。筆者撮影。
※法隆寺旧蔵琴は筆者撮影
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