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平家物語の音楽その1 ─平安・鎌倉時代の雅楽はこんな曲!? ─

本稿は、2012年京都市立芸術大学音楽学部オープンスクールで催された日本伝統音楽特別講座(10月13日、於大学講堂)の講演内容に一部加筆して掲載するものです。2011年オープンスクールでの「源氏物語の音楽」に引き続き、本年度(2012)は平家物語に描かれる雅楽の演奏シーンを取り上げました。曲目は平家物語の小督局(こごうのつぼね)が弾く〈想夫恋(そうふれん)〉と、平重衡が奏でた〈皇麞急(おうじょうのきゅう)〉です。レクチャーに加えて、京都市立芸術大学大学院音楽研究科博士後期課程在学生有志と京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター教職員有志による平安末期・鎌倉期の雅楽譜にもとづく再現演奏も行いました。

以下、講演の内容は活字、演奏の模様は映像で提示します。なお、演奏に関しましては、全員初心者のため、お聞き苦しいところが多々ございます。また、ミステイクも多々ございます。ご了承の上で御覧下さい。
追記:以下のページに他の曲の動画を掲載しております、合わせてご覧ください。

Ⅰ 平家物語と雅楽

本日は平家物語に書かれております雅楽の曲のお話をいたします。平家物語といいますと、平清盛の時代、つまり平安時代末期が舞台です。物語の成立は鎌倉時代と考えられています。
ところで、平家物語では、様々な場面で、雅楽の演奏シーンを効果的に描かれています。物語の登場人物が演奏している雅楽の曲名から、読み手は、その人物の心情を読み取ることができるよう、意図されているのです。
平家物語に描かれる雅楽として、はじめに雅楽〈想夫恋(そうふれん)〉をお聴きいただきます。夫を想う恋と書きますが、その名の通り、中国唐の国で夫から離縁を言い渡された女性が、夫への未練を琴で表現した曲といわれています(徒然草などは別の由来が載っています)。

Ⅱ-1 平家物語に描かれる雅楽①〈想夫恋〉─巻第六「小督」より─

平家物語のなかでは、高倉天皇に愛された小督という名前の女性の話にこの曲が出てきます。小督という女性は、高倉天皇に寵愛された女性です。中宮徳子の父である平清盛に目をつけられた小督は、耐え切れず、あるとき行方をくらましてしまいます。小督のことが恋しい高倉天皇は、源仲国という男に、小督を探し出して連れてきてほしい、と頼みます。源仲国は、さっそく小督を探しにでかけます。仲国が嵯峨野までやってきたとき、かすかに聞こえてくるコト(琴)の音に気づきます。耳をすますとそれは、夫を想う恋と書く〈想夫恋〉の曲というわけです。仲国は、その曲から、コトの音の主が、小督だと確信するのです。仲国は、龍笛というヨコブエを取り出して、コトの音に合わせて吹き、自分がやってきたことを小督に知らせます、、、と、話はまだまだ続くのですが、続きはまたの機会にいたしまして、さっそく、嵯峨野で小督が一人で箏を弾いていたという雅楽〈想夫恋〉をお聴きいただきたいとおもいます。

ちなみにコトには琴と箏という漢字をあてます。琴(きん)と箏(そう)は本来異なる楽器で、うち絃数が13本で琴柱(コトジ)という駒を立てて調絃をする楽器が箏ですが、平安末期には現在と同様に、琴と表記して箏をあらわすようになっていました。小督が弾いたという琴という楽器も、おそらく正確には箏です。こんにちの演奏では、右手の親指・人差し指・中指に、懸け爪という擬爪をつけて演奏します。

それでは、今から雅楽〈想夫恋〉をお聴きいただきますが、たいへん長い曲でして、一通り演奏しますと、20分弱を要します。本日は時間の都合で、曲全体うち、“冒頭から5分の1まで”を演奏いたします。
平家物語で小督は、嵯峨野の詫び住まいで一人箏を弾いていたことになっていますから、特に箏がどんな音型、音のカタチを演奏しているか注意してみてください。また同様に、他の楽器がなにをやっているか、耳と眼でよく観察してみてください。

(注)現行の演奏では、冒頭から全合奏で始めることはせず、龍笛の音頭(第1奏者)のソロで開始します。また、曲の途中で演奏を打ち切る場合、止手(吹止句)とよばれるコーダを付しますが、この日の演奏では意図的に、全合奏で開始し、止手を付けずに終えました。

さて、どのような感想をお持ちになったでしょうか。箏はどんな音を奏でていたでしょうか?いま、お聴きになったように、雅楽の箏は、メロディーというよりは、伴奏のようなものを奏でております。したがいまして、箏や琵琶だけで演奏しますと、どの曲も似たり寄ったりで曲の個性を感じることができません。ところが、小督の物語のなかで、源仲国は、聞こえてくるコトの音をきいて、それが想夫恋の曲だとわかったという設定になっています。この演奏描写はどこか不可解だということがおわかりでしょうか。

Ⅱ-2 日常的に箏・琵琶を奏する中古中世の人々~はたして楽しかったのか?~

平家物語、源氏物語や今昔物語など、平安時代・鎌倉時代の文学には、絃楽器を一人あるいは数人で楽しそうに演奏している描写が、たくさんあります。今お聴きいただいたような伴奏のような音、曲の個性がなくどれも同じにしか聞こえないような音楽を、一人あるいは数人で弾いていて、本当に楽しかったのでしょうか。

今お聴かせしたような、極めてゆったりとした雅楽を聴いて、平安貴族の雅な文化を想像される方は、多いとおもいますが、このような音楽となったのは、実はもっと後の時代のことで、平安時代や鎌倉時代、室町時代、つまり中世より以前の時代の雅楽は、今の雅楽とは全く違う音楽だった、という研究があります。その草分けがイギリスの音楽学者ローレンス・ピッケン(Laurence Picken 1909~2007)です。彼は、今の雅楽のゆったりとした音の進行のなかに、舶来した当時の大陸的・歌謡的なメロディーが潜んでいることを発見しました。すなわち、雅楽は、千年以上の歳月をかけて、何倍も、曲によっては10数倍も “まのび”したというのです。

Ⅱ-3 箏も琵琶も旋律を奏でていた!?

では、これから現在の演奏より10分の1以下まで、時間を凝縮した雅楽の演奏をお聴かせしたいと思います。曲は、さきほどお聴かせした〈想夫恋〉の冒頭から5分の1までです(拍子二まで)。それぞれの楽器がどのような音を奏でているか、よく聴いてください。さきほどの〈想夫恋〉と同じ曲だ、ということに留意して聴いてください。

最初にお聴かせした現行の雅楽〈想夫恋〉は、5分強かけて演奏しましたが、今お聴かせしたのは20秒ほどで演奏してみました。このように時間を凝縮させて演奏してみますと、今の雅楽では伴奏役であった箏や琵琶も、メロディーを奏でているのがおわかりになったかと思います。小督が箏を一人で弾いている、という状況も、また源仲国がそれを聴いて曲名がわかる、ということも、今お聴きになったような音楽だとしたら、納得のいく話だと思いませんか。少し専門的なことを言えば、この曲の場合、こんにちでは1小拍子あたり8拍をとっているのに対し、今お聞きいただいた演奏では1小拍子を1拍として演奏してみたわけです。

しかし、今お聴きいただいた〈想夫恋〉の時間凝縮演奏は、実のところ、現行〈想夫恋〉の拍数をただ8分の1にして演奏したわけではありません。平安時代や鎌倉時代の古い楽譜や音楽書にある奏法に関する記述を解釈して再現を試みた結果です(使用した楽譜史料は文末に紹介しています)。お気づきの方がいらっしゃるかもしれませんが、箏奏者が左手を使って絃を押したり(押手)、引っ張ったり(曳手)してピッチを変化させていました。それは当時の楽譜─『仁智要録』など─にそういった指示が書いてあるからです。近世に興った生田流や山田流などの筝曲では、左手の技法は当たり前の奏法ですが、近世にはいって突然生み出されたのではなく、それより前の時代の雅楽の箏から受け継いだものということができます。また、右手の奏法では、現行のようにアルペジオ風に弾くのではなく和音をつかむように弾いてもらっています。さらに現行で用いる懸け爪(偽爪)ではなく生の爪で弾いてもらいました。生の爪で弾いていたことは楽書『夜鶴庭訓抄』の「つめのかけぬやう」などからわかります。一方の琵琶は、現行のように楽譜には書かれていない解放絃まで一々同時に弾くのではなく、楽譜に書かれた音のみを単音で弾いていました。これは鎌倉時代の琵琶書『胡琴教録』の「柱差」の項にもとづきます。またバチも現在の角のないシャモジ型ではなく、平家琵琶や三味線のバチと同じ両端が尖ったものを用いています。

Ⅱ-4 〈想夫恋〉─古楽譜にもとづく再現演奏─(二返)

それでは、見逃した方・聞き逃した方のために、もう一度〈想夫恋〉を演奏してもらいます。今度は、曲全体を通して2回繰り返し演奏します。初回の演奏では、冒頭から全楽器の合奏ではなく、小督の物語にそうかたちで、まず箏だけで始めてもらいます。そして、源仲国が訪ねてきて挨拶がわりに龍笛を吹いた、というくだりにそって、途中から龍笛に加わってもらいます。その後は、その他の楽器に順々に加わってもらい、繰り返し2回目からは全員による合奏にしてみました。ではお聴きください。

このように現在の楽譜の読み方(演奏慣習)にとらわれず、違う解釈で古い楽譜を読んでみると、こんにちの雅楽とはまったく性格の異なる、喜怒哀楽の情感豊かな音楽が現れてまいります。また、楽曲の個性といったものが明確になってまいります。〈想夫恋〉も、名の由来のとおり、夫の愛を失った女の心情を表現した感傷的な調べです。

Ⅲ 平家物語に描かれる雅楽②〈皇麞急〉─巻第十「千手前」より─

では、後半にもう一曲、平家物語にでてくる雅楽をお聞かせします。〈皇麞急(おうじょう の きゅう)〉という曲です。オウジョウとは、中国にある黄麞という渓谷の名前です。この谷で戦死した唐の武将、王孝傑を悼んで作られた曲といわれます。破と急の楽章があり、本日は急の楽章のみ演奏します。
平家物語では、平重衡が、この曲を琵琶で弾く場面があります。平重衡といえば、東大寺の大仏や興福寺を焼きはらった、いわゆる南都焼き討ちをした大罪人です。捕らえられた重衡は鎌倉の源頼朝のもとへ送られますが、頼朝は重衡の器量の大きさにいたく感心し、千手前という美女を傍にやって、罪人にもかかわらず篤くもてなしました。その酒宴の席で重衡は琵琶を手にとって、「往生を急ごう」とふざけて、琵琶をとって〈皇麞急〉という曲を弾きます。南都の寺院の焼き討ちという社会的重罪を犯したので死罪は確実ですが、それはまた仏法を弾圧する行為ですから死後の極楽往生など夢のまた夢です。重衡は、この世の最期が迫る状況にあって、西方浄土に往生したい、というかすかな期待を、武将の死にまつわる曲─〈皇麞急〉─にこめて弾き、自らの心境を仄めかしたのかもしれません。
さて、この場面も、小督の物語と同様に、一種類の絃楽器だけで演奏している場面だ、ということに注意してください。箏もさることながら、琵琶のパートのみを聴いて、音楽として聴ける・楽しめる、という方が、中にはおられるかもしれませんが、酒宴の場で奏したとなると、やはりどこか不可解といえるでしょう。それでは、古楽譜解釈による〈皇麞急〉をお聴きいただきます。全体を3回繰り返します。〈想夫恋〉同様、冒頭より全合奏とするのではなく、今度は、まず琵琶だけで演奏してもらい、次に箏に加わってもらい、次第に他の楽器に加わってもらいます。また、3返目より、次第に楽器を省き、最後は琵琶のみ残って終わるようにしてみました。それではお聴きください。

どのようにお感じになりましたか。どこか西洋クラシック音楽の転調のような旋律のめぐりをしていましたね。全体的に短調的な調べのなか、時折転調して長調的な旋律となるところがありますが、それも束の間、すぐに短調的な暗い旋律になってしまいます。一面曇った空に、ときおり晴れ間がのぞくような感じです。この場面の音楽として〈皇麞急〉が設定されている理由がもうお解りですね。その旋律のめぐりが重衡の心境にぴったりだからです。

Ⅳ まとめ

このように、平安時代前期に大陸から輸入された娯楽音楽としての雅楽は千年の歳月のあいだに、次第に遅くなり華麗な技巧的奏法をすて、高度に洗練された結果、人間的情感を超越した音楽へと変貌しました。それは、外来の娯楽的・民謡的な音楽であった雅楽を、日本人が千年以上かけて磨きに磨き上げてきた結果であり、世界に類例のない音楽様式です。
ご清聴ありがとうございました。

Ⅴ 本講演の演奏で用いた古楽譜の解説

『仁智要録(じんちようろく)』
平安末期の大音楽家、藤原師長(1138〜1192)撰の一大箏譜集成。約200曲を収録する(巻数・曲数は伝本により異なる)。
『三五要録(さんごようろく)』
おなじく藤原師長の撰になる一大琵琶譜集成。巻構成や収録曲数・曲順はほぼ『仁智要録』に同じ。
『管眼集(かんげんしゅう)』
管絃集とも表記される。南都興福寺所属楽家の狛氏の笛譜。内容はおそらく平安時代末期ないし鎌倉時代初期頃と推定。やや錯簡が目立つ。
『芦声抄(ろぜいしょう)』
鎌倉鶴岡八幡宮所属の楽人、中原茂政(1274〜1346?)撰の篳篥譜集。成立年は暦応四年から貞和二年までの6年間(1341〜46)。篳篥の譜は、上代にさかのぼるものがほとんど伝存しないが、『芦声抄』は年代の明らかな譜本としては最も古いもののひとつ。
『古譜呂律巻(こふりょりつかん)』
古譜呂巻と古譜律巻とをあわせた通称。京都方楽人の豊原利秋(1155〜1212)撰の笙譜。

Ⅵ 出演者・スタッフ

司会: 藤田隆則(日本伝統音楽研究センター教授)
演奏: 田村菜々子(京都市立芸術大学大学院音楽研究科博士後期課程在学)
増田真結(同在学)
上野正章(同センター非常勤講師)
齊藤尚(同センター図書室非常勤嘱託員)
田鍬智志(同センター准教授)
三島暁子(同センター非常勤講師)
ほか
撮影: 高久直子(同センター図書室非常勤嘱託員)
大西秀紀(同センター非常勤講師)
ナタリヤ クロブコヴァ(同センター元招聘研究員・モスクワ音楽院主席研究員)
企画構成: 田鍬智志
(所属は2013年3月現在)
ウェブ構築: 東正子(同センター非常勤講師)
本講演は、平成24年度京都市立芸術大学特別研究助成費(受給者:田鍬智志・三島暁子)による活動の一環です。
公開:2013年03月27日 最終更新:2019年03月22日

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