京都祇園祭り 北観音山の囃子

凡例

日本語要旨

0 はじめに

1 概況

2 担い手

3 曲目と旋律パタン

4 囃子の機会

5 楽器とその奏法

6 演奏の実際

7 口唱歌・譜

8 伝承過程

9 囃子の変遷と意味付け

10 北観音山における囃子の特色

謝辞

文献資料

音響資料

映像資料

英語要旨

 

 

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4 囃子の機会

ここでは、囃子をどのような機会にはやしているかについて、祭礼を中心にみていくことにする(日程・時間等については、主に2003年の実見にもとづく)。

1月24日に新年会をおこなう。その年の特別な行事についての説明などがある。料理屋で開催し、福引きなどもでる。費用は半額個人負担で、残りは「出囃子」(後述)の祝儀などをあてる。

20年位前から、毎月24日(日にちは後祭りの日にちなんでいる)に、「月稽古」をおこなっている(日にちは後祭りの日にちなんでいる、ただし7・8・12・1月[大人の新年会]は休止)。特に6月24日の月稽古は、祭礼直前ということで大勢あつまり、お祭り気分となる。毎月のお菓子代は、町内負担である。

7月1日から6日まで、町会所で「二階囃子稽古」をおこなう(それ以前は5〜8日間)。ちなみに、期日についてはかなりの変遷があり、たとえば、昭和4年は1〜8日、昭和16年は2〜6日、昭和26年は6〜10日、昭和27年は4〜10日、昭和32年は3〜9日といった具合である。現在の実施時間は、午後7時半から9時半までである。毎日開始の30分前に、当番がきて準備をする。1日あたり、20〜30分の稽古を4回おこなう。現在は、各回の間に15分程度の休憩をおいているが、昔は休憩時間は無く、ぶっ通しであった。太鼓が次々と交代し、これに笛がついていけないようではだめとされていた。

二階囃子稽古の初日は稽古始めとされ、囃子方責任者および保存会理事長から、「今年もよろしく」という挨拶がある。その後、新人の披露や諸注意がある。かつての二階囃子稽古では、最初の3日間は、「戻り」のみの稽古であった。一方、「行きし」の稽古は後半の3日間だけで、しかも最後の2回だけであった。そういうわけで、囃子の稽古とは戻りのことという意識があった。現在では毎日、行きし・戻りをバランス良く配している。

二階囃子稽古
〔写真3〕二階囃子稽古

7月10日の吉符入りの日は、他所とは違い、囃子方は特別な時のみ出席する。7月13日の午後3時から、「曳き初め」を約1時間おこなう。新町通りの北観音山・南観音山・放下鉾は、昭和41年(1966)年から合同で曳き初めをおこなっている。囃子方がその年初めて山にのりこんで、囃子をはやすこととなる。通りを単位として、曲目をかえていく。曲目の選定は太鼓方の裁量であるが、やはり〈福〉〈朝日〉〈月〉〈獅子〉(掛け声「ヤットコセ」から)などの基本的な曲目が多い。鉾の上でのリズムや身体の動きをしってもらうために、囃子方は頻繁に交代させる。

7月13〜16日は「宵囃子」である。午後7時頃からはじめる(16日は午後6時から10時まで)。通常は、「30分間の囃子−10分間の休憩」のパタンで、1日あたり5回程度である。

宵囃子
〔写真4〕宵囃子

7月16日の午後10時〜午前0時頃にかけて、翌日の巡行の晴天を祈願する、「日和神楽」をおこなう。四条新町および三条新町(八幡山の町内)が町内の境であり、そこまで〈榮〉をはやすことになっている(実際には、四条高倉まで〈榮〉をはやすことが多い)。〈寿〉(5回)を〈榮〉(5回)につけてはやすこともある。後は、戻りの曲目をいくつかはやす(〈福〉から〈朝日〉へ、あるいは〈獅子〉から〈朝日〉へが多い)。帰りは、寺町通りから三条通りをとおって、新町通りにはいる。行きは決まりで同じ曲(〈榮〉)ばかりとなるので、帰りは通りを単位に囃子を次々にかえていくことで、おもいきり変化をつける。町内直前の八幡山前から〈榮〉にかえ、町会所前につくと、鉾の周りを3回まわった後、町家の観音様の方をむいて、〈短〉であげる。その後「ウーチマショウ」の掛け声で、〈祝〉をはやして「祝い締め」をおこない、拍手をして解散になる。

日和神楽
〔写真5〕日和神楽

7月17日は「山鉾巡行」である。前述のように北観音山では、行きしにおいて、通過する町の単位で、はやす曲目が細かく規定されていることに特色がある(曲目の選択については、「3.曲目と旋律パタン」の「曲目の構成」の項を参照)。行きしは最も重要視されており、ベストメンバーでのぞむ。巡行の最後には、町の境である三条新町で再びヴェテランの囃子方に交代し、〈寿〉−〈榮〉となる。これは、町内の人々に山の帰還をつげる意味合いをもっている。そして、町内につくと〈短〉であげる。

その後、囃子方の「ウーチマショウ」の掛け声で、巡行に参加した全ての人々・町内の人々・見物客全員による「祝い締め」(〈祝い〉)で終了となる。なお、「祝い締め」はかつては囃子方のみでおこなっていたが、10年程前に、曳き手を学生アルバイトからボランティアにかえたのを機会に、思い出にしてもらおうという配慮から、このような形式にあらためたものである。巡行からかえると、子供には幕の内弁当、赤飯、飲み物、お供えのお下がり(餅菓子や飲料水など)をもたせ、大人は町会所で膳をかこむ。

山鉾巡行
〔写真6〕 山鉾巡行


山鉾巡行(山の内部、太鼓)
〔写真7〕 山鉾巡行(山の内部、太鼓)

山鉾巡行(鉦)
〔写真8〕 山鉾巡行(鉦)

山鉾巡行(笛)
〔写真9〕 山鉾巡行(笛)

7月18〜23日にかけて、「御旅所奉納囃子」をおこなう。これはAB2つのグループが隔年でおこなうもので、6月に連絡がある。また、7月24日は花傘巡行に参加する(10年に1回)。

慰労会に相当する「足洗い」は、町内は18日に、囃子方は19ないしは20日におこなう。ただし、上記の行事に参加する場合は、それに近い土日に延期する。料理屋・鴨川の床・ホテルなどを利用してきている。費用は全て町内が負担する。

祭礼以外の機会に囃子をはやすことを、「出囃子」(もしくは「出稽古」)というが、北観音山では基本的にこれをおこなわない方針をとるという、古い伝統がのこっている(ただし、戦前には、祭り前に稽古もかねて、木屋町仏光寺の料亭鮒鶴などでおこなうことはあったという〔祇園祭山鉾連合会 1978:98〕)。現在では、行政主催の民俗芸能祭など特別な場合にでることもあるが、飲み食いの席では一切おこなっていない。

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