京都祇園祭り 北観音山の囃子

凡例

日本語要旨

0 はじめに

1 概況

2 担い手

3 曲目と旋律パタン

4 囃子の機会

5 楽器とその奏法

6 演奏の実際

7 口唱歌・譜

8 伝承過程

9 囃子の変遷と意味付け

10 北観音山における囃子の特色

謝辞

文献資料

音響資料

映像資料

英語要旨

 

 

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3 曲目と旋律パタン

祇園囃子においては、鉦・太鼓は内容的にも1つのまとまりをもち、固有の名称をもつ曲目を形成する。一方笛は、基本的にいくつかある旋律パタンをそれにあてはめていく形をとる。本稿では、前者を「曲目」とし、後者を「旋律パタン」とよぶことにする。ここではその両者について順次のべていく。

曲目
囃子の曲目は大きく、山鉾巡行の際に出発から四条河原町までの間にはやす「行きし」(計11曲)と、それ以降にはやす「戻り」(計28曲)との2つにわかれている(「戻り」は比較的最近の言い方であり、以前は特に名称はなかった)。前者はいずれもテンポがゆっくりしており、荘重で厳粛な雰囲気をもっているのに対して、後者ではいずれもテンポが速く軽快で華やかな雰囲気の曲が多く、対照的な性格をみせている(表1 「北観音山の現行曲目一覧」を参照)。さらに、行きしの中で、現在は四条河原町の辻回しではやす〈神楽〉−〈唐子〉は、「奉納囃子」という認識がなされている(曲名間の「−」は必ずつづけて一組ではやすことを示す。後述)。

表1 「北観音山の現行曲一覧」
「行きし」 〈行 地囃子〉、〈行 上ゲ〉、〈壱番〉、〈弐番〉、〈参番〉、〈四番〉、〈五番〉、〈六番〉、〈八番〉(後半は「八番のうち返シ」)〈神楽〉−〈唐子〉
「戻り」 〈地囃子〉、〈福〉、〈朝日〉、〈月〉、〈獅子〉、〈九番〉−〈ヤットコセ〉、〈夕部〉、〈八千代〉、〈花〉、〈三番叟〉、〈菖蒲〉、〈鳴子〉、〈霞〉、〈柳〉、(〈長〉)、〈二番〉、 〈唐草〉、〈駒形〉、 〈六角〉、〈常磐〉、〈九ノ上ゲ〉−〈三番〉、〈九ノ上ゲ〉−〈百番〉−〈流し〉、〈寿〉−〈榮〉、〈短〉、〈祝〉
注)「行きし」と「戻り」とに、同様の曲名があるものについては、混同をさけるために行きしの曲名の頭に〈行 〉とつけた。また、「−」は必ずつづけてはやすことを示す。

囃子の曲目の中には、特定の機能をもったものがある。まず、曲目の転換を順調におこなうために挿入するつなぎの曲は、行きしでは〈上ゲ〉(〈三ノ上ゲ〉)、戻りでは〈九ノ上ゲ〉−〈三番〉および〈九ノ上ゲ〉−〈百番〉−〈流し〉となっている(詳細については、「6.演奏の実際」を参照)。さらに、中休みの曲は〈三番〉、終了の曲は〈短〉、日和神楽の曲は〈寿〉−〈榮〉(日和神楽の曲、めでたい曲として、巡行中にも六角町内の近くになるとはやす)、「祝い締め」の曲は〈祝い〉である(具体的な使用の仕方については、後述)。なお、囃子を開始する際には、太鼓のみによる「打ち出し」を必ずはやす。

さらに、以下のように、必ずつづけて一組ではやす曲目がある。〈神楽〉−〈唐子〉(奉納の曲)、〈九ノ上ゲ〉−〈三番〉および〈九ノ上ゲ〉−〈百番〉−〈流し〉(戻りにおけるつなぎの曲)、〈九番〉−〈ヤットコセ〉、〈寿〉−〈榮〉(日和神楽の曲)。さらに、〈獅子〉や〈三番叟〉の後は、〈九番〉−〈ヤットコセ〉にはいる。

行きし・戻り共に、〈地囃子〉が囃子の基本となっており、頻繁に挿入・繰り返しがなされる。なお、行きしの「八番のうち返シ」は、〈八番〉をくりかえす際にはやす、〈八番〉の後半の部分である(掛け声「ハア」から)。通常3回くりかえし、〈地囃子〉を介して〈九ノ上ゲ〉−〈三番〉にはいる。くりかえす毎に、テンポが段々はやくなっていく。これによって、戻りのテンポにもっていくのである。その意味で、「八番のうち返シ」は戻りへの橋渡しになっている。

一方、新しい曲目の創造もおこなわれている。〈唐草〉〈駒形〉〈六角〉〈常磐〉の4曲は、最近になって新たにつくられた曲である。これは明治42年(1909)の譜(後述)において、行きしの曲目に「戻りハ九ノアゲ」という、その曲を戻りにもはやしたと推測される表記があり、「昔は戻りにもやったんだ、ならば復活してみよう」とおもったのがきっかけであった。〈地囃子〉や〈百番〉を頻繁にはやすことになりがちで(「6.演奏の実際」参照)、いつも同じものばかりなので、変化をつけるために導入したいという思いもあったという。鉦の譜は行きしのものを使用し(〈唐草〉は〈参番〉、〈駒形〉は〈四番〉、〈六角〉は〈壱番〉、〈常磐〉は〈弐番〉)、笛のパタンは古川平三氏が、太鼓のパタンは奥村久嗣氏が新たに作成した。鉦と太鼓の間をあわせていき、双方が入れ子になるようにするには、大変苦労があったとのことである。

平成11年(1999)から作業を開始し、結果的に毎年1曲ずつが、上記の順番で完成した。そして、平成14年(2002)の7月16日の宵山に、この年観音像修復をおこなったのを祝して、新たに作成した新曲4曲を、町内各位に披露した。できあがった曲は、町内の人や見物客に大変好評で、中でも「八番のうち返シ」のように、くりかえす毎にテンポが段々はやくなっていく〈常磐〉は、特に好評であるという。今後は、引き続き、行きしの〈五番〉・〈六番〉・(〈七番〉)・〈八番〉に対応するものを導入したいとかんがえている。

曲目の構成
行きしでは、曲目およびその順番がきまっている。北観音山では、戻りにおいて、通過する町の単位で、はやす曲目が細かく規定されていることに特色がある。まず出発時には、〈行 地囃子〉〜〈行 上ゲ〉から〈壱番〉をはやす。この後、間に〈行 地囃子〉〜〈行 上ゲ〉をはさみながら、南観音山の町内では〈貮番〉、放下鉾の町内では〈参番〉、四条新町の辻回しでは〈行 地囃子〉(見送りをつけおわった時点で次曲にうつる)、四条通りにでると〈四番〉、函谷鉾の町内では〈五番〉、烏丸通りおよび長刀鉾の町内では〈六番〉、鬮改めでは〈八番〉、富小路から麩屋町にかけては「八番のうち返シ」とはやしていく。その後、〈地囃子〉〜〈九ノ上ゲ〉〜〈三番〉を介して、麩屋町から寺町にかけては〈福〉、お旅所で〈地囃子〉〜〈九ノ上ゲ〉〜〈三番〉をはやして〈朝日〉となり、ちょうど四条河原町の辻回しで、〈神楽〉−〈唐子〉になるように調整する(山がまがっている最中に〈唐子〉になるのが理想的である)。そして、〈地囃子〉〜〈九ノ上ゲ〉〜〈三番〉を介して再び戻り囃子になり(〈獅子〉〈三番叟〉などをはやすことが多い)、以下様々な戻り囃子が展開する。

なお、北観音山においては、麩屋町付近で囃子が一旦戻りになり、四条河原町の辻回しで行きしの〈神楽〉−〈唐子〉となって、その後再び戻りになるという、他の山鉾ではみられない曲目の選択になっている。これは、1966年に囃子方の故迫田武満氏が、お旅所前で戻りにあげてしまったのが定着したものである。また、その背景には、元々後の祭りの巡行においては、行きしを現行のように長時間はやさなかったということがある。すなわち、出発後ある程度まで行きしをはやした後、戻りにはいり、お旅所前で行きしの〈神楽〉−〈唐子〉をはやして、その後再び戻りになっていたのである。

戻りについては、特にどの場所でどの曲目をはやすということはきまっていないが、行きしと同様に、通過する町毎に囃子の曲目をかえていく。その曲目選択は、太鼓のシン(リーダー役)がおこなう。〈福〉〈朝日〉〈月〉〈獅子〉などの基本的な曲目は、特に頻度が高くなる。辻回しの曲目は、四条新町では〈行 地囃子〉(見送りをつけおわった時点で次曲にうつる)、四条河原町では〈神楽〉−〈唐子〉、河原町御池では〈三番叟〉、御池新町では〈柳〉〈駒形〉となる。また、巡行の最後では、三条新町で〈寿〉−〈榮〉になり、町内につくと〈短〉であげる。その後、〈祝い〉による「祝い締め」となる。

笛の旋律パタン
囃子の曲目は、基本的に鉦の演奏パタンによって決定づけられ、それを太鼓がテンポをとるために先導する。笛の旋律には、いくつかの旋律パタンが、それぞれの曲目に付随する形をとるものと、曲目固有の旋律パタンとなっているものとの2種類がある。行きしの笛の旋律パタンは、一部をのぞいて基本的に11節をくりかえしていくものである。戻りの笛の旋律パタンには、「地囃子の笛」(11節)・「ツクシの笛」(9節)・「カッコの笛」(5節)の3種類がある。「地囃子の笛」は〈地囃子〉の他、〈花〉〈鳴子〉〈長〉〈霞〉〈月〉〈夕部〉〈流し〉などに使用する。ただし、それぞれの曲に適応する際においては、細部はかなりことなるものとなる(その詳細については、別稿にゆずる)。「ツクシの笛」は、〈福〉〈柳〉〈九番〉〈ヤットコセ〉〈百番〉に、「カッコの笛」は〈二番〉に、それぞれあてはめられる。この他は、基本的にそれぞれの曲目に固有の旋律パタンがある(表2 「笛の旋律パタン一覧」参照)。

表2 「笛の旋律パタン一覧」
  旋律パタン名 曲名 備考
行きし 名称なし( 11節) 〈行 地囃子〉、〈行 上ゲ〉、〈壱番〉、〈弐番〉、〈参番〉、〈四番〉、〈五番〉、〈六番〉、〈八番〉(後半は「八番のうち返シ」)  
  〈神楽〉の笛の旋律パタン 〈神楽〉 いわゆる
「神楽の笛」
  〈唐子〉の笛の旋律パタン 〈唐子〉  
戻り 地囃子の笛 ( 11節) 〈地囃子〉、〈花〉、〈鳴子〉、〈長〉、〈霞〉、〈月〉、〈夕部〉、〈流し〉 いわゆる
「流しの笛」
  ツクシの笛 (9節) 〈福〉、〈柳〉、〈九番〉、〈ヤットコセ〉、〈百番〉  
  カッコの笛(5節) 〈二番〉  
  曲目固有の旋律パタン 上記以外の曲目  

ところで、一般に祇園囃子においては、鉦・太鼓のリズムパタンと笛の旋律パタンの長さ(節数)がちがうため、リズムパタンに旋律パタンをあてはめた場合、くりかえす度にズレが生じ、原理的にはそれぞれの最小公倍数分だけの節数になるまでくりかえさないとそのズレは解消しない。そのため、担い手達は、様々な工夫をほどこしてきている。北観音山においても、リズムパタンと旋律パタンをあわせるために、今までに色々な形で囃子の曲目の改変がおこなわれてきた。その一例は戻りの曲の〈九番〉で、現在は〈九ノ上ゲ〉と、〈九番〉の冒頭から約3分の1位の所の掛け声「ヤットコセ」からの部分が、〈ヤットコセ〉として独立してはやされる一方、〈九番〉全体をはやすことはなくなっている。

笛の旋律は、全般的に鶏鉾と良くにている。これは前述のように、前祭り・後祭りにわかれていた時代には、鶏鉾から笛方がきていたことによる。なお、筆者らは以前、鶏鉾と三重県伊賀市上野の上野天神祭りの囃子との類似性について指摘した〔田井・増田 2004:227〕。北観音山の人々にもそうした認識があり、〈三番叟〉は伊賀上野の〈三番叟〉の笛の旋律パタンと同じであることなどが言明されている。

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