サイサイ節
- 歌詞
- 1. 姉はダンサーで 妹は芸者
兄貴(アニキ)は三年前から ヤッコラサノサ
廊下ふき サイサイサイ
- 2. 姉はラシャメン 妹はタイピスト
親父や三年前から ヤッコラサノサ
「裏あけとくなはれ」
こえくみ サイサイサイ
- 3. 枡に豆入りや裃つけて
福は内へと ヤッコラサノサ
鬼は外 サイサイサイ
- 4. 一里二里なら てんまで通い
五里とへだたりや ヤッコラサノサ
風だより サイサイサイ
- 解説
- 俗曲。アテ振りあり。作者、年代不詳。
- 語釈
- 滑稽ソングの一種
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さつまさ
- 歌詞
- さつまさ こりゃさ 薩摩と 急いで 押せば
汐がさ こりゃさ そてりで 艪が立たぬ
- 解説
- 端唄 歌沢 小唄 二上り 下座唄にも
- 語釈
- 元歌は文政(1818~30)の頃、佃節の中に"佃々と急いで漕げば潮がそこりて櫓が立たぬ"の歌詞と思われる。佃は佃畠のことだから意味は分る。
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さのさ節
- 歌詞
- 1. 逢いたいと こちらで言わなきゃ 逢ってはくれもせず、あなたに実意の無い証拠
起きて頂戴 ネー寝ちゃだめよ。忘れた時分にきたくせに
- 2. お座敷で どんな芸子さんが来たとても 決して浮気はして下しゃんすな
お座敷の姐さんに ネー問われたら 女嫌いと云うて下しゃんせ
- 3. 月づくし 三笠の山では春の月 四条の河原は夏の月
三保の松原 ネー秋の月 京の山科 冬の月
- 解説
- 明治32年(1899)頃から「新法界節」と呼ばれて歌われだした。作詞作曲者不詳。
後に「さのさくずし」(1895)「むらさき節」(1911)「鴨緑江節」(1920)「満州節」と続けられた。
替歌はお座敷で多く作られ、昨今でも珍しい歌詞が増えつづけている。
従って春歌も多い
- 語釈
- 1. ~3. いずれもお座敷製の「さのさ節」で愛をテーマにしている。
- 3. は四季を詠みこんでいる
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三階節
- 歌詞
- 1. 米山さんから雲が出た
今に夕立が降るやら
ピッカラシャンからドンガラリンと音がする
ハアー 音がする
今に夕立が降るやら
ピッカラシャンからドンガラリンと音がする
ハーヤラショヤラショ
- 2. 可愛がられた竹の子が
今にわられて折られて
桶のたんがにかけられて 絞められた
ハーヤラショヤラショ
- 解説
- 新潟県民謡 米山は新潟県中部、柏崎市と柿崎町の境にある。海抜993メートル
- 語釈
- 1. 小気味よいテンポで、夕立の男性的な様がうたわれる。
- 2. 竹の子に託して性的比喩がこめられている。
折れるも割れるも男女の交合をさす。
たんがはたがのこと、たがは竹を割ってたばねた輪、外側を固く締め固めるのに用いる。
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十二月手鞠歌
- 歌詞
- とんとんとん まづ初春の暦開けば 心地よいぞや皆姫始め
一つ正月 歳を重ねて 弱ひお客は つい門口(かどぐち)で御礼申すや
新造禿(しんかむろ)は 例の土器(かわらけ)とりどりに
なずな七草 雉子立つれば 心いきいき
ついお戎(えべす)や じっと手に手を 注連(しめ)の内とて 奥も二階も
羽根や手鞠で 拍子揃へて 音もとんどと突ひて貰へば
骨正月や 応へ兼ねつつ行く如月の 洩れて流るる 水も薪の能
恥づかしや 摩耶の祭か 初午そふに 抱いて浬繋の雲に隠るる
屏風の内で 床の彼岸か 聞くも聖霊(しょうらい) ああよい弥生と
指で悪じゃれ 憎とふっつり 桃の節句や 汐干といふて
痴話の炬燵で 足で貝踏みゃ 衆道好きとて高野御影供(みえく)や
さて水揚の卯月うづきも後にゃひろびろ 釈迦もご誕生 息も当麻(たえま)の
床の練供養 撞くや夜明けの鐘の響きは 権現祭 濡れてしっぽり
五月雨月には 道鏡増さりの幟竿(のぼりざお) 兜頭巾を 巻くや粽(ちまき)の
節句 御田の 紋日 喜契紙 長命薬 行くをやらじと とめて堪えば
つい林鐘に愛染の 涼み祇園の鉾々饅頭 子供時分のよい夏神楽
過ぎた印か いかい提灯 地黄卵で 精を付けては みなお祓ひや
浮気なかばへ 付ける文月 折に触れての七夕客も 盆の間は踊りかこつけ
妓(よね)や仲居を口説きとりのは 音頭床とよ 白き太股通を失ふ萩月
さてもたのもし血気盛り 姥名月や ぐっと月みりゃ 十六夜気味と
またとりかかる 二度目の彼岸 これぞ成仏得脱の いとし可愛いの
声も菊月 茶臼でするのが 豆の月とて皆片端に祭仕舞えば
二打三打の のべを切らして 神無月よ 亥の子餅とて大人も子供も
お命講のあたりを 五夜も十夜もついて貰へば ほんに誓文 強いお方や
もそと霜月 泡を吹矢の ふいご祭か せいお火焚や 大師講して
勧められつつ また師走れど おとご愚かや よい事始 陽気浮気の箒客とて
北や南も掃いて廻るや煤取り後にゃくたぶれほんの餅つき
はや節分の 汚れ不浄の厄を払ふや 豆の数々とりゃ ちょっと三百六十余ツ
ついた ひいふうみいよう
- 解説
- 「十二月手鞠歌」は上方の端歌として、江戸時代から明治にかけて、遊所を中心にかなり流行した。単に「十二月」とも「手鞠歌」ともいう。
歌詞は廓の年中行事を読み込んで手鞠歌風に仕立てたもので、軽快な二上りの三弦に乗せて、似た旋律を繰り返して歌う。肉体文学顔負けの破礼歌的要素が強いが実際の歌を聞けばそれほど野卑ではない。この曲は、新町廓の餅つき行事には欠くことのできない曲で、嘉永(1848-54)の頃は、ことのほか華やかだったと伝えられている。新町では、毎年十二月十九日に、置屋の前で太夫が裲襠(りょうとう)(打掛)の上から高からげして餅をついた。桐の杵でまわり打ちに搗き回す姿には、はんなりとしたお色気が溢れていた。新艘・曳舟(太夫のために世話役、接待役をつとめた女郎)たちが声を揃えて、餅つきに和して「十二月」を歌えば、禿たちも手で嘩し立て近郷近住からは見物の人々が集まってきた。やがて搗き上がった餅は小餅にまるめて太夫の名前付きの摺物に一つずつ包んで、みんなに配った。戦前、新町廓では、お正月に黒紋付に柳のこしらえ(だらりの帯のこと)の芸妓衆が、四、五人横に並んでご祝儀に「十二月」を舞うのを恒例にしていた。
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東雲節(しののめぶし)
- 歌詞
- 1. なにをくよくよ川端柳 こがるるなんとしょ
水の流れを見て暮らす 東雲のストライキ
さりとは辛いねてなこと おっしゃいましたかね
- 2. いざり勝五郎車にのせて こがるるなんとしょ
曳くは初花、箱根山、箱根山
初花「もうし勝っあん勝五郎さん ここら辺りは山家(やまが)ゆえ
紅葉あるのに雪が降る さぞしたかったでござんしょう。」
勝五郎「したいしたいは やまやまなれど
おみかけ通りの このいざり」
初花「さいわい ここらに人影は無し、それじゃ(ほんなら)勝っあん 茶臼かえ」
- 3. 芸者屋形に小粋な男、旦那来てなんとしょ
裏から逃がして下駄がある
旦那「これ 誰の下駄やねん」
- 解説
- 熊本遊郭の東雲楼で遊女のストライキが起こり、それによって流行したとの説もあるが、
辞書には明治32年(1899)名古屋旭新地の娼妓の自由廃業が勝訴の判決が決まったことも
流行の一因といわれる。その後「東雲節」は大流行して日本全国で数多くの替歌が作られた。
- 語釈
- 1. は元歌で、「さりとは辛い」で、遊女のストライキを表現している。
- 2. 歌舞伎の「箱根霊現いざりの仇討」からのもじりである。典型的なお座敷芸に一つ。
- 4. は芸者の風情をさりげなく表現。
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新磯節
- 歌詞
- 雨は天から たてには降れど
オヤ サイショネ
風のまにまに 横にもふるが
私しゃ あなたに たてにふれども 横にはふらぬ
オヤ サイショネ
- 解説
- 添田唖蝉坊作。磯節をもとにして、歌いやすいように作られた。磯節の項参照。
- 語釈
- 男への真心を歌ったもの
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新炭坑節
- 歌詞
- 1. 紺の法被(ハッピ)の襟元に 火消し頭と書いてある
なんぼ火消しの頭でも 恋の炎は消さりやせぬ
- 解説
- 新と冠しているが新々というのもある。いずれもお座敷用に元歌の節を俗曲風に直したものだが、メロディは、殆ど変わらず、囃子の部分に変化がつけられた。
戦後爆発的に流行した。歌の性質上、替歌については各地方でいろいろ作られ、採取は不可能だ。
元歌といわれるのは、三池炭坑で歌はれた「三池炭坑節」というのが定説になっている。
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新土佐節
- 歌詞
- 1. 雷さんは粋な人だよ 戸を閉めさせて
二人 しっぽり 濡らした 通り雨
そーだ そーだ まったくだよ
とんとんとん辛子は 辛いね ヒリヒリ
- 2. 雷さんが ならなくなっても 二人は出ない
恐くて入った 蚊帳(かや)じゃない
そーだ そーだ まったくだよ
お山の松茸 砂ぼこり じゃりじゃり
- 3. これがようて これがようて
これこれようても これがこれなら
これはこれ そーだ そーだ まったくだよ
- 解説
- 高知県の民謡の土佐節からお座敷歌らしく変化したもの。
- 語釈
- 雷にひっかけたり、これと一言などでの性的暗喩が面白い。
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新和歌山小唄
- 歌詞
- 1. 背のびしたとて たかつし山に 恋し大阪 見えやせぬ
夢でなりとも 逢いたい人は たった一と夜の 泊り客
しんしんとろりこ 新和歌の浦 いつもとろりこ 波の音
- 2. 婿になりたや 嫁御はないか 浮世忘れの 宿ばかり
ゆきはよいよい 南海電車 いっそ 帰りが なけりゃよい
しんしんとろりこ 新和歌の浦
- 3. 女島男島が 双子を抱いて 睦まじいぞえ 雑賀崎(さいかざき)
負けちゃなるまい 蓬莱岩で 恋をささやく 二人連れ
しんしんとろりこ 新和歌の浦 いつもとろりこ 波の音
- 4. 方男波さえ せかれりゃつのる まして二人は こがれ波
恋の闇路(やみじ)の トンネル抜けりゃ 海もまぶしい かんこ橋
しんしんとろりこ 新和歌の浦 いつもとろりこ 波の音
- 解説
- ご当地ソング。新和歌の浦の宣伝小唄。
民謡風にアレンジされているので、一時期大阪の南地あたりでも歌われてた。
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ストトン節
- 歌詞
- 1. スットトンスットトンと通わせて、
いまさら嫌とは胴欲な
嫌なら嫌だと 最初から
云えばスットトンで通やせぬ。
スットトン スットトン
- 2. スットトンスットトンと戸を叩く
主さん来たかと出て見れば
空吹く風にだませれて
月に恥かし我が姿
スットトン スットトン
- 3. 武男がボートに移る時
浪さん赤い腰巻を
おへその上に捲くりあげ これに未練は
ないかいな。
- 4. これに未練は あるけれど
お国の為なら 是非もない。
やがて凱旋(ガイセン)した時は
腰の抜けるほど せにやならぬ
- 5. やがて凱旋した時は
浪さんこの世の人じゃない。
武男の胸は いかばかり
建てた石碑に腰使う
- 解説
- ストトン節は、大正の初め頃(1913-5)流行したもの。「軍隊ストトン節」(添田唖蝉坊)
として第2次大戦中に大流行した。
- 語釈
- 1~2 は元歌。3~5は徳富蔵花(1868-1927)の小説「不如帰(ホトトギス)」に由来した春歌。
「不如帰」は他に、一高寮歌の曲の替歌として、ストーリーを織り込んだ添田唖蝉坊作詞の歌がある。
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ずぼんぼえ(チョンキナ節)
- 歌詞
- ずぼんぼえ ずぼんぼえ。ずぼんぼなりやこそ つら憎や
池のどん亀なりやこそ
ささの相手に やれホレ ずぼんぼえ
- 解説
- 俗曲。チョンキナ節の替歌。余興ゲームの一つ。楽しいアテ振りがついている。
- 語釈
- ずぼんぼえは囃子言葉の一つ。ささは酒の意。
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ズンドコ節
- 歌詞
- 1. 汽車の窓から手をにぎり
送ってくれた人よりも
ホームの陰で泣いていた
可愛いあの娘が忘られぬ
トコ、ズンドコ、ズンドコ
- 2. 花は桜木 人は武士
語ってくれた人よりも
港のすみで泣いていた
- 解説
- 元歌はズンドコ節で作者不詳1942年。
替歌は海軍でよく歌われたので「海軍小唄」ともいわれる。
戦後三木鶏郎(トリロー)の冗談音楽でも替歌が歌われた。又同じ頃田端義男がレコード化した。
お座敷では、やわらかい替歌が数多く作られた。一例を下記に示す。
好いたお方と寝た夜さは
二度持ち上げて七ゆすり
嫌なお方と寝た夜さは
寝ぼけまなこで うわの空
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ずんべら節
- 歌詞
- 1. 権兵衛が種まきゃ 烏がほじくる
三度に一度は 追はずばなるまい
ずんべら すんべら ずんべら
- 2. 向うの小山の 小松の木陰で
十六島田が 出て来て こ招く
さておき 行かずば なるまい
ずんべら ずんべら ずんべら
- 解説
- 俗曲。昭和の初めごろにお座敷で作られたナンセンスソングのはしりといえよう。
- 語釈
- ずんべらは、すべらの転訛か。
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背戸の段畠
- 歌詞
- 背戸のなあ 段畠で 茄子とかぼちゃの喧嘩がござる
かぼちゃもとより いたづら者だよ 長い手を出し 茄子の木にからみつく
そこで茄子の木が 真黒になって腹を立て そこへ夕顔 仲裁にいれて
これさ待て待て まてまてかぼちゃ 色が黒いとて 背えが低いとて
茄子の木は地主だよ おらやそなたは たながり身分で よその畠に入るのが
無理だ やんれ
- 解説
- 上方端唄 俗曲 二上り。
よく似た歌詞「背戸か畑か」(守貞漫稿)が、文政10年(1827)ごろ流行している。
落語家がチャリ舞として、よく使われる。
- 語釈
- 背戸 裏の入口
たながり 棚借り。店借り。家を借りて住むこと。江戸時代、町人としての法的権利を認められなかった。
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大学出てから
- 歌詞
- 1. 大学出てから15年
今じゃ会社の大社長 ヨイショ
作った彼女が 5万人 ヨイショ
- 2. 大学出てから15年
今じゃ浅草のルンペンで ヨイショ
わかした しらみが 5万匹 ヨイショ
- 3. 大学出てから15年
今じゃ天下のやぶ医者で ヨイショ
殺した患者が 5万人 ヨイショ
- 解説
- 書生節の流れをひいている。
作詞・作曲者不明。
- 語釈
- 大学の権威を椰楡(やゆ)した歌。
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たにし殿
- 歌詞
- たにし殿 たにし殿 あたご参りに おちゃらぬか
嫌ですよ 嫌ですよ ちょうど去年の 春の頃
どじょう殿に 誘われて ちょろちょろ
小川を渡る時 雉子やとんびや ふくろうめが
あっちゃ こっちゃつつき こっちゃつつき
その傷が その傷が 季節めぐりて
冬くれば ずっきら ずっきら ずっきら ずっきら
うずき出す 何か妙薬 ござらぬか
薬は色々 あるけれど まず第一の妙薬は
蚤のきんたま 虱のはらわた
夏降る雪の 里焼きと
海の底なる 松茸と
山の上なる蛤と あわせ一度に用うれば
効妙(こうみょう)たちまち あらわるる
効妙たちまち あらわるる。
- 解説
- 上方端歌。地歌(本調子作物)のもじりと考えられる。作詞作曲者不詳。
- 語釈
- 田螺(たにし) 蝸牛を大きくしたような淡水産の巻貝。池や田の泥土に生息する。春の陽をあびながら水田の底の泥の上をあるいているのを見掛けることがある。煮たり和えたりして食する。昔の農村では動物性のたんぱく源として貴重な食品だった。
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小さいときから稽古して
- 歌詞
- 小さい時から稽古して
大きくなったら左褄
ちょいと姐さん今晩わ
アラ 旦那さん今晩わ
どうでも 今宵は
帰しゃせぬ
わしほど因果なものは無い
- 解説
- アテ振りの余興あり、お座敷で生まれたザレ歌。作詞作曲不詳。
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チョンキナ節
- 歌詞
- 1. チョンキナ チョンキナ チョン チョン キナキナ
チョンが菜の葉で チョチョンが ホイ
- 2. チョン脱げ チョン脱げ チョンチョン脱いだ脱いだ
チョンがまくらで ヨヨイのヨイ
- 解説
- 俗曲。ずぼんぼえはこの歌の替歌。余興ゲームとしてお座敷を賑わすが昭和の初め頃には歌われていた。発祥場所、年代不明。
- 語釈
- はやし言葉にあわせて、お座敷着をはいで(脱いで)いく遊び。
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チョンコ節
- 歌詞
- 1. 赤いふんどし平家のみ旗
中に實盛(サネモリ)おわします
- 2. 明日の天気を オソソに聞けば
私しゃ上みた事がない
- 3. お前のオソソは 奈良漬オソソ
しわの中には カスがある
- 4. あんましたいので交番にゆけば
お前どころか わしゃしたい
- 5. 汽車の窓から ちんちん出して
汽車賃出したと大威張り
- 解説
- 1885~6年頃に流行した。1891年頃から替歌が歌われ、後にチャンコ節とも呼ばれ、明治から大正、昭和と歌いつがれて、酒席などで数多くの替歌が作られた。
- (元歌)
- 1. 浅い川じゃと袖褄からげ
深くなるほど 帯をとく チョンコ
- 2. 夢になりとも持ちたいものは
金のなる木と よい女房 チョンコ
- 3. 話しとうても話しはならず
硝子障子の 内と外 チョンコ
- 4. 好いたお方に盃さされ
飲まぬ先から 桜いろ チョンコ
- 語釈
- 實盛は俗語で陰核のこと。オソソは大阪弁で女性の秘所のこと。
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月は田毎
- 歌詞
- 月は田毎に うつれども
まことの影は ただひとつ
ゆきこう雲が 邪魔をする
実にうたてき 秋の空
- 解説
- 江戸小唄。三下り。
- 語釈
- 田毎の月 長野県更級郡冠着山(かむりきやま) (伝説では姥捨山)の山腹の段々に小さく区切った水田の一つ一つにうつる月。
うたてき転ての変化。変りやすさをいう。
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月は無情
- 歌詞
- 1. 日は無情というけれど
主さん月よりなお無情
月は夜きて朝帰る
あなた今きて今帰る
- 2. ひとつふたつは風車
三つ四つ五つは乳母車
こうして育てた坊やでも
末は芸者の膝まくら
- 3. 十五夜お月様雲の中
あなたと私は蔵の中
犬が吠えよが蚊がさそが
しかけたおそそはやめられぬ
- 解説
- 元歌は、1927年渋谷白涙・松崎ただし作詞。添田さつき作曲の歌謡曲。
- 1 番は元歌。2. 3. の他替歌多数あり。
- 語釈
- 冗談ソングの一つ。NHKの日曜娯楽版で歌われた。お座敷では春歌の一つで、宴会用のザレ歌。
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露は尾花
- 歌詞
- 1. 露は尾花と寝たという 尾花は露と寝ぬという
あれ寝たという寝ぬという 尾花が穂にでてあらわれた
- 2. 月は流水と寝たという 清水は月と寝ぬという
あれ寝たという寝ぬという 月が田毎にあらわれた
- 解説
- 端唄 うた沢。本調子 替手三下り
地歌 薄(すすき)より。芝居歌として「東海道四谷怪談」隠坊堀の場などのような世話狂言のだんまりにも使われる。「守貞謾稿」に"安政末年江戸に行る"とある。上方舞として山村友五郎(初世)井上八千代(四世)吉村ゆうが振付ている。替歌も多い。
- 語釈
- 尾花 ススキの花穂
田毎の月 長野県更級郡冠(かむり)着山(きやま) (伝説では姥捨山(うばすてやま))の山腹の段々に小さく区切った水田の一つ一つにうつる月
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ツーレロ節(シャンラン節)
- 歌詞
- 1. ツーツーレロレロツーレロ
ツレラレトレツレトレシャン
ツレラレトレ シャン ランラン
うちの父さん狐か狸 夜の夜中に穴さがす
- 2. ツーツーレロレロツーレロ
ツレラレトレツレトレシャン
ツレラレトレ シャン ランラン
うちの母さん洗濯好きで
夜の夜中に棹さがす
- 元歌
- 作曲者不詳
薫るジャスミン どなたがくれた
パパヤ畑の月に問え 月に問え
ツーツーレロレロツーレロ
ツレラレトレ ツレトレシャン
ツレラレトレ シャンランラン
- 解説
- 昭和18年(1943)。南国調のメロディに、兵隊達(南方戦線)が七五調の歌詞をつけて歌い始めた。従って替歌は数多い。
- 語釈
- 1も2もお座敷でつくられた、春歌に近い。
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デカンショ節
- 歌詞
- 1. デカンショ デカンショで
半年暮らす ヨイヨイ
あとの半年しや 寝て暮らす
ヨーイ ヨーイ デッカンショ
- 2. アマゾン河原で 昼寝をすれば
河馬がでてきて キスをする
- 3. 萬里の長城で しょんべんすれば
ゴビの砂漠に 虹が立つ
- 解説
- 明治末年(1905-10)頃の流行歌。兵庫県篠山付近の盆踊歌の変化したもので、一説によれば亘理章三郎(東京高師教授)より旧一高生徒に伝えられ、全国の学生、花柳界で流行した。この歌の替歌は多い。学生達によって全国に流布された関係で、いろいろと作り替えられた歌詞がもてはやされる。
- 語釈
- 巷間流布されている説に、デカンショはデカルト、カント、ショーペンハウエルの略との説があるが、定かではない。
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てるてる坊主
- 歌詞
- 1. てるてる坊主てる坊主 明日天気にしておくれ
坊やが寝んねしてお目々が覚めたなら ゴルフにゆけるようにしておくれ。
- 解説
- 元歌
- 1. てるてる坊主てる坊主 あした天気にしておくれ
いつかの夢の空のように 晴れたら金の鈴あげよ
- 2. てるてる坊主てる坊主 あした天気にしておくれ
私の願いを聞いたなら 甘いお酒を たんと飲ましょ
- 3. てるてる坊主てる坊主 あした天気にしておくれ
それでも曇って泣いてたら、そなたの首を ちょんと切るぞ
元歌は浅原鏡村作詞中山晋平作曲の童謡といわれる。
- 替歌
- 音源あり(最初のフレーズ省略)
- 1. お姉ちゃんが ねんねして お目が覚めたら 音楽会にゆけるようにしておくれ
- 2. お婆ちゃんが ねんねして お目が覚めたなら お寺詣りにゆけるようにしておくれ
- 3. お父ちゃんが ねんねして お目が覚めたなら 夜這いにゆけるようにしておくれ
- 語釈
- 難しい語句はない。お座敷での替歌では、歌の意味よりもアテ振りで楽しんだ。
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峠(上り下りの)
- 歌詞
- 登り下りの おつづら馬よ
さても見事な 手綱染かいな
馬子衆のくせか 高声で
鈴を便りに 小室節
坂は照る照る 鈴鹿は曇る
あいの土山 雨が降る
- 解説
- 小唄 本調子
"坂は照る照る"からは文楽の「恋女房染分手綱」の段切れで馬子の三吉が歌うので有名。
- 語釈
- つづら馬 背に葛籠をつけその中に人を乗せる。
小室節 小諸(長野県)、小室(茨城県)で作られた民謡。もともと馬子唄の一種。
江戸初期に流行した。
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どうぞ叶えて
- 歌詞
- どうぞかなえてくださんせ、
妙見さんへ願かけて帰るみちにも
その人に逢いたいみたい恋しやと
こっちばかりで先や知らぬ
エエしんきらしいぢやないかいな
- 解説
- 小唄。
- 語釈
- 妙見は妙見菩薩のこと、北極星を神格化した菩薩。
しんきは辛気のこと
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都々逸(ドドイツ)
- 歌詞
- 1. 都々逸は 野暮でも やりくりや上手 今朝も七つやで誉められた
- 2. 三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい
- 3. 渡辺の綱になりたや この片腕が 主と添い寝の邪魔になる
- 4. 吹き込む夕立 雨戸を閉めて 夜を早める 差し向かい
- 5. うたた寝すれば 風邪ひく 起こせば帰る、うたた寝してさえこの苦労
- 6. 今日も今日とて 柱であたま 逢いたかったと目に涙
- 7. 今逢うて すぐに惚れたは どうして悪い 思案してなら 惚れはせぬ
- 解説
- 明治(1874)、板垣退助(1837-1919)達による自由民権運動の教宣活動の一つとして、当時のはやり歌の替歌が作られた。その一環として都々逸の新作も数多く作られたという。
昭和初期(1930-1950)頃、柳家三亀松が寄席などで三味線片手に都々逸情話(漫談)を上演、一世を風靡。流行に拍車をかけた。
- 2. の作詞は高杉晋作と云われているが定かではない。
都々逸に節なしともいわれ、間(マー)さえ合えばよいとされる向きもある。
曲の性質上、途中に台詞や違う歌(アンコ)を挿入する場合もある
七・五調で、簡単に歌えるので替歌については数知れず、採取不能である。
その証左に自作の替歌を。
喧嘩して背中合わせに 寝たこと 寝た が足をからんで 仲直り
- 語釈
- 1~5いずれも後朝(キヌギヌ)の別れに情愛の切なさなど、お座敷の極めつけといえよう。
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どんたくお見舞い
- 歌詞
- どんたくお見舞い申そうか
これはこれは どんたくさん
そこは端近(ハシヂカ) いざ先ずこれへ
しからば御免といたそうか
してしてやぜんのお薬は
ちくりちくりと痛みます
ちくりちくりとするであろ
アハハ オホホ ハァー ヨイノヨイ
- 解説
- 俗曲。あて振り、二人で掛け合い、お座敷での余興として楽しむ。博多の新地で始められたという。作者、年代不詳。
- 語釈
- 端近はあがりはなのこと。やぜんは昨夜のこと
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ドンドン節
- 歌詞
- 1. 駕籠で行くのは お軽じゃないか。
私しゃ売られて行くわいな、
父さんご無事で また母さんも
勘平さんも折々は
便り聞いたり 聞かせたり ドンドン
- 2. 蒸気ポッポ波の上 汽車鉄の上
雷さんは雲の上 浦島太郎は(ジャンケンホイ)
あの亀の上 猫の色ごと 屋根の上
私と貴方は(ジャンケンホイ)
床の上 ドンドン
- 3. 見たか聞いたか 名古屋の城は
五重やぐらの絶頂で
金のしゃちほこ 雨ざらし
- 解説
- 明治5年(1872)1月、名古屋新聞第3号初出が、元唄と思われる。
いきな断髪 いやみな茶筅(ちゃせん) ドンドン
髪のあるのは野蛮人 ほんまかね。そうじゃないか ドンドン。
明治の始め頃の第1次から第2次と歌い替えられてきたドンドン節は、大正期には新どんどん節となり、後藤紫雲が太鼓にヒントを得て歌い大流行したという。昭和期に入っても新しい替歌が数多く作られた。
- 1 ~3 アテ振りがついている。3では二人の芸妓の逆立ちが見られる。
- 語釈
- 1. 仮名手本忠臣蔵のもじりである。
- 2. は、拳の一つ、踊りながらジャン拳で楽しむ。お座敷らしい振りである。
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最終更新:2016/2/10 | 公開:2014/11/6