日本伝統音楽研究センター
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上方座敷歌の研究

 上方座敷歌集成 目次 な―は行一覧


浪速の四季

歌詞
春の遊びは 門の門松 しめ飾り 
羽根や手鞠で 拍子よく
笑う門には 七福神のお礼者
たのもう どうれ
夏の涼みは 出船入船 屋方舟
音に名高い 天神祭
櫓太鼓や どうつくどんの花火
あげて しゅっぽん
秋の夜長は 月のお顔も 世の中も
まんまるまるく 治まりて
稲も十分 穂の穂が咲いて
踊れ やっとな よいよい
冬の寒さに 障子あくれば 銀世界
子供よろこぶ 雪遊び
兎 達磨さんに たどんの目鼻 おーつめた
解説
上方端歌 本調子。
語釈
春夏秋冬の四節からなり、大阪の正月、天神祭、月見、銀世界と四季をおりこむ。

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二上がりびんほつ

歌詞
1. 羽織り着せられ 行く先たずね
すねて 箪笥を 背なでしめ
ほんに お前さんァ エーマ 罪な人
解説
端唄小唄の「びんのほつれ」(本ページ「は行」に掲載あり)の変化したもの。
語釈
悋気(りんき)をやわらかく粋に表現すると、こんな歌詞に・・・・・・。

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主さんと

歌詞
主さんと 柳巷(サト)の浮名も立ちやすく
風の噂や うたてや辛(つら)や
流れの身こいて世をはなと
比翼連理のにちょう立ち、
とおして雪のはだと肌
恋の習いのしんふとく
切るという字は 習やせぬ
解説
江戸小唄。
語釈
柳巷は廓のこと、この場合、吉原、深川、向島あたりをいう。
比翼連理:比翼の鳥、比翼の枝の略。男女の深い契りのたとえ。

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濡れてみたさに

歌詞
濡れてみたさに つばくろは
柳の葉かげを くぐるではない
あれはあの羽がいで すういすういと
夏の景色を 運ぶとさ
解説
小唄 三下り。
語釈
夏の風物を燕に託してさらりと歌っている。

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猫じゃ猫じゃ

歌詞
1. 猫じゃ猫じゃと おっしゃいますが
猫が猫が 下駄(足駄)はいて
絞りの浴衣で 来るものか
オッチョコ チョイノチョイ オッチョコ チョイノチョイ
2. 蝶々 とんぼ やきりぎりす
山で 山でさいずるのが 松虫 鈴虫 くつわ虫
オッチョコ チョイノ チョイチョイ
解説
俗曲 文政十一(1828)頃江戸で流行したのが2番の蝶々で明治初年(1870)頃から猫じゃ猫じゃが流行した。元唄より替歌の方が有名になったもののひとつ。
語釈
ナンセンスソングの一つ。お座敷用のあてぶりあり。

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寝ながらに

歌詞
寝ながらに 煙管(キセル)であける連子窓
アレ見やしゃんせ この雪に
烏も塒(ねぐら)をはなりゃせぬ
解説
小唄。
語釈
煙管はきざみたばこを先につめて火を点じその煙を吸う具。
連子窓は格子のついた窓。
塒は烏の寝るところから我が家の意。

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ノーエ節

歌詞
富士の白雪や ノーエ 富士の白雪や ノーエ 
エエ富士のサイサイ 白雪や朝日にとける。
とけて流れて ノーエ とけて流れて ノーエ 
とけてサイサイ 流れて三島へ注ぐ
三島女郎衆は ノーエ 三島女郎衆は ノーエ 
エー三島サイサイ 女郎衆はお化粧が長い
お化粧長けりや ノーエ お化粧長けりや ノーエ 
エーお化粧サイサイ 長けりやお客が困る
お客困れば ノーエ お客困れば ノーエ 
エーお客サイサイ 困れば石の地蔵さん
石の地蔵さんは ノーエ 石の地蔵さんは ノーエ 
エー石のサイサイ 地蔵さんは頭がまるい
頭まるけりや ノーエ 頭まるけりや ノーエ 
エー頭サイサイ まるけりや烏がとまる
烏とまれば ノーエ 烏とまれば ノーエ
エー烏サイサイ とまれば娘島田
娘島田は ノーエ 娘島田は ノーエ 
エー娘サイサイ 島田は情けでとける。
解説
元歌は文久年間(1861-63)に、横浜の野毛山から外人部隊の軍事訓練を見て歌われた「のうえ節」である。その後静岡県三島の色街、つまりお座敷で土地の歌となり「農兵節」と名づけて全国に広がった。
語釈
女郎衆 遊女のこと。

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覗き(一番列車)

歌詞
一番電車に乗り遅れ 二番電車は満員で
三番電車にとび乗って 着いたところが 新開地
格子の向こうで 姉ちゃんが
おいでおいでと 招き猫
唾(つば)をごくりと 飲みこめば
遣手(やりて)婆が 肩たたく
酒もほどよく 気をもませ
トロリした目で せきたてる
肩の矢がすり すべり落ち
肌はほんのり 桜色
あなた上より 下がり藤
わたしゃ下より 百合の花
一汗かいた その後で
あわれこの身を 語(かた)ろうか
わたしゃもともと 女郎じゃない
お家貧しき そのために
生まれた家を あとにして
売られて来ました 二百両
解説
覗き(八百屋お七)」(本ページに掲載あり)で既出。
遊治郎の女郎買いをテーマに覗き仕立にしたもの。お座敷だけで歌われた。

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よりを戻して

歌詞

1. よりを戻して 逢う気はないか
未練でいうのじゃ なけれども
鳥も枯木に 二度止まる チト 逢いたいね
2. 可愛がられる 座敷をぬけて
逢いきたのに 水臭い
浮気するにも ほどがある チト おかしゃんせ
解説
江戸小唄 本調子
語釈
よりを戻す 別れた男女がまた一緒になること
1. も2. も、男と女の切ない気持ちが歌われる。

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覗き(八百屋お七)


歌詞
ここは駒込吉祥寺 離れ座敷の奥座敷 ご書見なされし その後で 
膝をちょいとつき目でしらす どうぞ察して頂戴な 女の好きな長なすび 
もとから先まで毛の生えた 玉蜀黍(とうもろこし)を売る八百屋 いっそ八百屋を焼いたなら 
愛(いと)し恋しの吉さんと おへそくらべも出来よもの それが女の浅はかさ 
いちわの藁(わら)に火をつけて ポイと投げたが火事のもと 誰知るまいと思うたに
天知る地知る人ぞ知る。
隣のチョン兵衛さんに見つけられ 訴人せられて捕らえられ いよいよ裁きの庭となる
一段高いがお奉行さま 七寸下ってお七殿 紅葉のような手をついて 
申しあげますお奉行さま 私の生まれは丙午(ひのえうま) 十四といえば助かるに
十五というたばっかりに 百日百夜があけたなら 裸の馬に乗せられて
泣く泣く渡るは日本橋 品川女郎衆のいうことにゃ あれが八百屋の色娘
目もとパッチリ色白で 髪は烏の濡れ葉色 女の私が惚れるのに
吉さん 惚れるの無理はない 
人里離れた尼でさえ バナナのむき身で思い出す
人里離れた坊主でも木魚の割れ目で感じだす
これが世の常 人の常
解説
覗きの"於七吉三恋緋桜"が座敷芸になったもの。
覗きはのぞきカラクリのことで、箱の表面に数個の穴を開け、レンズ、ガラスをはめこみ、箱の絵を覗き見るもので、物語の進展によって絵が変わるようになっている。これにあわせて、からくり節を歌った。そのからくり節が、お座敷向になったものの一つが、八百屋お七である。

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のんき節

歌詞
1. 学校の先生は えらいもんじゃそうな、えらいから なんでも教えるそうな
教えりや生徒は 無邪気なもんで それもそうかと 思うげな
ハアー ノンキだね
2. 軍艦沈めて なにするのかと ルーズベルトに 尋ねたら 
日本の兵隊さんに沈めてもろて 太平洋を埋めたてするそうな
ハアー ノンキだね
解説
元歌は、演歌ダイナマイト節を歌い替えて「アー、ノンキだね」をつけたもの。
大正7年(1918)頃に添田亜蝉坊によって歌われた。
「元歌」
学校の先生は えらいもんじゃそうな、えらいから なんでも教えるそうな
教えりや生徒は無邪気なもので それもそうかと思うげな
ハアー ノンキだね
のんき節は、亜蝉坊の弟子の石田一松(1902-56)に受け継がれ、バイオリン片手に演じ、一世を風靡した。石田一松は後に国会議員に当選した。風刺歌謡として替歌は沢山作られ、採取不能。
語釈
1も2も戦時中(第2次大戦初期)にお座敷で歌われたもの。

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白頭山節

歌詞
1. 白頭み山に テンツルシャン 
積りし雪は ヨーイヤナ 
とけて流れて アリナレの
あー可愛いい テンツルシャン
乙女の化粧の水 テンツルシャン
2. 泣くな嘆くな 必ず帰る
桐の小箱に 錦着て あー逢いに 
来てくれ 九段坂
3. 国の御為 咲いたる桜
み国に嵐の吹く時は あー見事
散りましょう 国の為
解説
白頭山節は朝鮮の白頭山を歌ったもので、昭和初期、日本軍の満州進出以後、流行(はや)りだした。作詞は植田国境子。
1番は元歌(元歌は3番まで)。2. 、3. 番は替歌。
替歌も数多く作られた。
語釈
アリナレは鴨緑江(鴨緑江)のこと。
2、3 は戦争中に作られたもの。

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初出見よとて

歌詞
初出見よとて 出をかけて
先づ頭取の 伊達すがた
よい道具持 意気なポンプ組ええ
ずんと立ったる 梯子(はしご)のり 腹亀ぢや
吹流し さかさ大の字 ぶらぶら
谷のぞき
解説
小唄 三下がり。
元唄は上方端歌の"桜見よとて"元唄は端唄、うた沢、小唄にも。
文政4年(1821)3月大阪角の芝居で三津五郎が七変化「染模様難波土産」を演じその中の傾城(けいせい)へ歌いこんだ曲(摂陽奇観)。
語釈
火消しの初出の勇壮なサマが歌われている。

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春風がそよそよと

歌詞
1. 春風がそよそよと 福は内へとこの宿へ
鬼は外へと梅が香 そゆる雨か雪か
ままよ ままよ 今夜も あした(明日(あす))の晩も ゐつづけしよう 玉子酒
2. 逢いたさに来てみれば 酔うてそのまま寝てしまい 
後は泣くやらじれるやら 愚痴を並べて
ままよ ままよ 今夜も 明日の晩も 飲みあかす 茶碗酒
解説
小唄 本調子
1 は元歌2 は替歌
語釈
ゐつづけ お茶屋や妓楼などで遊びにほうけて帰らぬこと。

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春雨

歌詞
春雨に しっぽり濡るる鶯の羽風に匂う
梅が香や 花に戯れしおらしや
小鳥でさえも一筋に 寝ぐら定めぬ気はひとつ
わたしや鶯主は梅 やがて身まま気ままになるならば
サアー 鶯宿梅ぢやないか 
サアーサ なんでもよいわいな
解説
上方端歌(歌沢にも)嘉永2年(1894)刊の「大会吾妻調」(よくよせたあづまのひとふし)
二編に所収。
1853年頃江戸でも流行。
この曲の成立については肥前小城の藩士柴田花守が長崎丸山の料亭花月に遊んだとき作詞。
丸山の芸妓が作曲したという説もある。
語釈
鶯が一羽、梅の香のふくいくとした香りが漂うなか春雨にうたれている、といった美しい情景を歌ったもの。

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晴れて雲間に

歌詞
晴れて雲間に あれ月の影 さしこむ腕に 入れぼくろ
もやい枕に 入れぼくろ いつか願いも オヤ 
もし雪さんの 引き合わせ
解説
小唄 本調子
語釈
入れぼくろ 心中立てに腕に情人の名などを「・・・・・・命」と小さく入れ墨すること。
もやい枕 つなぎ合った二つの枕

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晩に忍ばば

歌詞
晩に忍ばば 背戸屋の小窓
うつや砧の 浮き拍子
様はきたかと 窓から見れば
さまはさまじゃが お月さま しょんがえ
解説
小唄 二上り。
語釈
背戸屋(家) 他の家の裏に建ててある家。
砧 槌で布をうち、やわらげてつやをだすのに用いる木。またはそれをうつこと。
恋人の訪れを待つ女心を歌っている。

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ひえつきくずし

歌詞
ませんぼ ならして いななくあおよ
せめて(すねて)ひと節 ひえつきくずし
又もなるかよ(負けてきらめく) 椎葉(しいば)の風(星)が
庭の山椒にや ヨーホイ 風ばかり 風ばかりよ
解説
昭和34年(1959)頃に流行。3番まであり、伊野上のぼる作詞 山下五朗作曲。
稗搗節をもとにして作られた。
語釈
ませんぼ 馬塞棒のこと。厩の入口を塞ぐ棒。
椎葉 宮崎県北西郡の隔絶山村。

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ひとつのこんたん

歌詞
ひとつのこんたん こりゃどうじゃ
ひとめ見た時 よかちんちん
よーかちんちん よかちんちん(以下同じ)
ふたつのこんたん こりゃどうじゃ
太いところが よかちんちん
みっつのちんちん こりゃどうじゃ
みればみるほど よかちんちん
よっつのこんたん こりゃどうじゃ
横から見ても よかちんちん
いつつのこんたん こりゃどうじゃ
いついつまでも よかちんちん
むっつのこんたん こりゃどうじゃ
むけたところが よかちんちん
以下省略(テープ)
ななつ・・・・・・ななめに見ても
やっつ・・・・・・山よりでっかい
ここのつ・・・・・・こんばん間に合う
とおーの・・・・・・とめてもとまらぬ
解説
ビール瓶又は一升瓶を使うアテ振りあり。数え唄の流れの一つだがバンカラ気風の学生達
軍隊生活などの余興として広がったようだ。
歌詞もいろいろとあるようだ。
語釈
お座敷でも、三味線などではやしたてながら歌った春歌の一つ。

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びんのほつれ

歌詞
1. びんのほつれは 枕のとがよ
それを おまえに 疑られ 
つとめじゃ えー 苦界ぢや 許しゃんせ
2. 宵は横から 夜中にゃ まとも
明方頃には、後からさす窓の月 
流す エー 流す筏は渡月橋
解説
端唄、小唄。安政6年(1859)以前の出版になる「端唄部類」に、"びんのほつれは枕のとがよ 勤めする身はぜひもなし 苦界じゃ苦界じゃ、許さんせ"とある。この歌詞をもとにして現行の歌詞が作られた。
語釈
1. は遊女の苦労を歌っている。
2. は月にかけて男・女の営みを描いている。

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深川くずし

歌詞
1. 丸髷(マルマゲ)に 結われる身をば持ちながら
意気な紫島田や、ほんとにそうだわネ
チョイト 銀杏(イチョウ)返し取る手も
恥かし 左褄 デモネ
2. 丸橋が 堀の深さは幾尺と
計るところへ ほんとにそうだわね
チョイト 伊豆守知られちゃならぬと 千鳥足 デモネ
解説
俗曲。元歌の深川は、芝明神や湯島天神といった社寺の境内で演じられた「大神楽」の流れを汲んでいる。明治20年(1887)頃から寄席やお座敷で歌われるようになった。
歌詞と旋律によって「姉さん本所」「かっぼれ」「奴さん」などと同じ範疇に入る。
語釈
1. は廓での芸子の成長を物語る。
2. は「慶安太平記」を詠っている。丸橋は丸橋忠也。伊豆守は時の老中松平伊豆守のこと。

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船に船頭

歌詞
船に船頭 ささやいて
今朝に出汐に 首ったけ
惚れて通えば 千里も一里ぢゃえ
解説
小唄 本調子。
語釈
出汐 月の出とともに満ちてくる潮
千里も一里 恋しい人の所へ行く時は遠い路も短く感じられて苦にならない。

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へらへら(赤い手拭い)

歌詞
お竹さんお前はね宗右衛門町で見た顔じゃァ見た顔じゃ見た顔じゃ
其の時に嬉しい話を聞いたげなァ聞いたげな聞いたげな
ヘフヘフーヘパフハフーハヘフヘノヘー
赤い手拭いの始まり始まり
ドンが鳴ったらオマンマだよホントにそうならすまないネ
コラセノドッコイセノヘラヘノへー
赤い手拭い赤地の扇それを聞いてお目出度や
トコドッコイドコイナ本当にそうならすまないネ
ヘラヘッタラヘラヘラヘ
ハラハッタラハラハラハ

へらへら(合羽や)

歌詞
城の馬場で日和が良うて合羽やが合羽干す
にはかに天狗風合羽舞上がる
合羽や親爺がうろたえ騒いで堀えはまる
あげておくれつめたいわいなオオキにはばかりさん
一里二里ならてんまでかよう五里とへたづりやマァ風便り

へらへら(獅子は)

歌詞
獅子はセツホンカイナ
獅子はくわねど獅子くいくいと
雨や霰やかんろばい
ぞろりやぞろりやぞんぞろり
目出度いな目出度いな
橋のセツホンカイナ
橋の欄干(らんか)に腰打ちかけて
向ふはるかに見渡せば弁天
松坂小松島にりゅうりゅうと立ったは
ありゃなんじゃ
アレカイナアレカイナ昔昔その昔
ズウト昔のその昔
九郎セツホンカイナ
九郎判官義経さんは
静御前をつれて逃げ
夜も昼も抱いて寝て
ヨンボシヨンボシヨヨンボシ
烏帽子(えぼし)狩衣(かりぎぬ)たてえぼし
目出度いな目出度いなシャンと立て
首を振ります親爺や
真面目で笛をふく

へらへら(すててこ)

歌詞
トコドッコイドッコイドッコイ
向う横丁のお稲荷さんへ
一銭なげてチャット拝んで
おせんがお茶屋で腰をかけたら
シブ茶をだしてシブ茶ヨクヨク
横目で見たれば土の團子か
お米の團子かお團子團子團子
そんなこっちゃ仲仲シブ茶にならない
トコドッコイドッコイドッコイ市川團しゅうの十八番
かっきょのかまほりオレレノレ
円太郎ラッパで婆さん
危ない円遊のステテコ
ドウドウさかえはおきなの
ピイピイトコドッコイ
ドツコイドツコイ
逢いたさ見たさにしたさに
来たのじゃ我が身の体と思い
ちゃいけないあんやを
たたいてせっせとおやりよ
トコドッコイドッコイドッコイ
解説
へらへら踊りは三代目大和屋阪口祐三郎が、大正7年(1918)頃お座敷用の座興の一つとして創作したもの。川上音次郎丈のオッペケペ節をヒントに高座や宴席での落語家達の寄席芸を集大成してアレンジを加え、大和屋独自の宴席芸を完成した。その後、門外不出の「大和屋のへらへら節」として人気を博した。
時代の流れとともに、名妓たちによって練りあげられ、瓢逸なフリにも気品が溢れ貴重な上方芸の一つとして評価されている。

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べろべろの神様

歌詞
べろべろの神様は 正直な神様で おささの方へとおもむきやれ、おもむきやる
解説
もともと遊戯の一つで、こよりか割り箸の先を少し折り曲げて両掌ではさみ、歌に合わせてそれを揉み、その先が指した所に座っている者が、芸を披露したり、酒を干す。
語釈
べろべろの神様はへひりの神のこと。
おささは、酒の意。

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惚れて通う

歌詞
惚れて通うに 何こわかろう
今宵も逢うと 闇の夜道を ただひとり
先きや さほどにも 思やせぬのに
こちゃ のぼりつめ エエ 山を越えて 
逢いにゆく どうした縁で かの人に
毎晩逢うたら うれしかろ ササ 
どうすりや 添われる 縁ぢゃやら じれったいね。
解説
端唄 小唄 三下り。
文政5年(1822)の「浮かれ草」に掲載された「恋の闇」の後へ歌詞を付け足した曲
語釈
一途な恋心を歌う。軽快なのでよく歌われた。

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最終更新:2016/2/10 | 公開:2014/11/6