日本伝統音楽研究センター

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京都祇園祭り 菊水鉾の囃子

凡例

日本語要旨

0 はじめに

1 概況

2 担い手

3 曲目と旋律パタン

4 囃子の機会

5 楽器とその奏法

6 演奏の実際

7 口唱歌・譜

8 伝承過程

9 囃子の変遷と意味付け

10 菊水鉾における囃子の特色

謝辞

文献資料

音響資料

映像資料

English summary 英語要旨

 

 

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2 担い手

囃子をはやす者を囃子方といい、菊水鉾の保存団体である財団法人菊水鉾保存会の一組織である菊童会に所属している。祇園祭りにおいて囃子方は、鉦方・太鼓方・笛方の3つに大きくわかれるのが通常であるが、後述するように、菊水鉾ではどの人も鉦・太鼓・笛のすべてができるようにする、「三位一体論」のシステムを提唱・実践している。2001年度現在の囃子方の総数は75名であり、その内鉦をかなでることができる人数は75名、太鼓をかなでることができる人数は30名、笛をかなでることができる人数は37名、鉦・太鼓・笛のすべてをかなでることができる人数は30名である。その運営は、囃子方総代1名および世話役数名でおこない、運営費用は、財団法人菊水鉾保存会から支給される活動費でまかなっている。

囃子方に新たにはいれるのは、小学6年生以下の男子で(ただし、鉾の上にのるのは基本的に小学1年生以上)、町内の子供か町内の方の縁者、菊水鉾保存会および囃子方の紹介者のいずれかに該当する者である。現在の囃子方には、町内出身者は5名と少なくなっている。ただし、かつては町内にすんでいた人など、何らかの形で町内と関係をもっている。その居住地は、いくつかの例外をのぞいて、ほとんどが京都市内である(特に中京区と下京区が多い)。中には、3代にわたって囃子方をつとめている場合もある。なお、新たに囃子方に加入した者の家族は、吉符入りの日にお披露目として、日持ちのする菓子などを囃子方にくばる。

菊水鉾で実践している三位一体論のシステムは、どの人も鉦・太鼓・笛の全てができるようにするものであり(習得はこの順番でおこなう)、昭和50年(1975)からはじめられた。こうしたシステムが導入された背景には、派閥の解消ということがあった。かつての菊水鉾もふくめて祇園祭りの大方の鉾町では、鉦を習得した後、太鼓か笛のどちらかにすすむ。その際、それぞれの責任者や有力者が贔屓目にみるので自然と派閥がうまれ、それが囃子方の運営の障害となることが多かった。特に笛方は元々よそからきてもらっていてお客様扱いされていたため、その特権意識にはかなり強いものがあった。こうした弊害をとりのぞき、かつ囃子の口頭伝承を確実におこないその質をたかめるべく、三位一体論のシステムは導入されたのである。事実このシステムの導入により、派閥は解消されて組織はまとまりをもつようになり、また様々な楽器を習得することにより他者の痛みや苦労がわかり、囃子の質がたかまってきたという。

初心者が入会すると、まず鉦を習得する。それと同時に、規律・年齢に関係ない上下の縦割りの年功序列関係・行儀作法・言葉遣い等もしこまれる。このように鉦を習得する見習い期間は入会年より、昇格試験のうけられる150日の出席日数、もしくは15年経過した期間にかぎられる。この期間は、菊水鉾囃子の全曲の鉦の符、笛の旋律、そして笛の旋律にのせた太鼓と鉦の間合いを、頭におぼえこませると同時に身体にしみつかせる見習い期間であり、一人前の囃子方となるための準備訓練期間となる。通常、入会後5年で御池通りの鉦側欄縁を半面まかされ、初めて巡行時の鉾上にて正式に鉦をうつことができ、囃子方としてのデビューの第一歩をしるすのである。

そして、上述の見習い期間を習得した者のみ、一人前の囃子方への重要通過点である「昇格試験」をうける権利をえることができる。昇格試験では、仕込み期間に習得した菊水鉾囃子の実技と囃子理論および祇園祭りに関する常識をとうペーパーテスト(○×形式20問)が課され、仕込み見習い期間の総決算が評価される。これをクリアできた者だけに、太鼓のバチと笛をもつことがゆるされる。

ただし、昇格したからといって、直ぐに太鼓をうつことはできない。膝太鼓といって、自分の膝を太鼓にみたてて自分の手の平で膝をたたき、バチの運びと間合いをおぼえる(写真12参照)。太鼓をおぼえた曲から、笛の旋律にあわせて指孔の運びをおぼえ、笛を練習する。そして、おさらいの意味をかねて渡り囃子の鉦をうち、鉦方の指導もおこなう。ここで再び原点にもどって、太鼓と笛の仕込み期間をあゆみだすのである。太鼓と笛の習得期間は、大体10年から15年を要する。この期間をへて、囃子をはやす際の太鼓・笛のシン(真・芯、リーダー役)として君臨でき、一人前の囃子方としての称号をえることができる。鉦からはじめて一通り習得した後、最終的に太鼓あるいは笛のいずれを担当するかは、太鼓・笛のシンがきめ、本人が希望するということはない。

また、その年鉾にのれる資格は、正式練習日の16日中7日以上出席した者にあたえられ、はやす区間や鉾内のはやす位置(巡行する場所毎に、細かくきめられている)は、出席日数・技量・会運営への貢献度等を加味して、公正な形での判断が囃子方総代によってなされている。このため、従来あった不平不満や異議申し立てといったものはなくなった。なお、親・配偶者に不幸のあった場合は、巡行当日は遠慮してあるいての参加となる。

楽器のリーダーはそれぞれ、太鼓方・笛方はシン、鉦方はハナ(列の第一番目にいる者の意)とよぶ。鉾の上での位置は鉦と笛は先頭、太鼓方は進行方向左側(笛の側)である。太鼓方のシンはまた、囃子全体のリーダー役でもある。はやす曲目やその順序をきめる他、次曲にうつるタイミングもはかる。太鼓方のシンに必要なのは、技術・人望・統率力である。技術面では曲を熟知しているのはもちろんのこと、テンポの制御が重要である(特に遅い曲の場合)。また、統率力を発揮するためには、日頃の付き合いが大事である。

囃子方の衣裳は、揃いの浴衣に木綿の染め帯(皆川月華氏原画)をしめ、白鼻緒の草履をはく。浴衣・帯は財団で支給するが(4年に1回新調)、囃子方にはいって9年までは毎年実費をとっている。草履は自分持ちである。この他、寿手拭い、扇子は財団から支給する。笛の袋もかつては支給されたが、現在は自分持ちになっている(予備は囃子方で購入している)。

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