0 はじめに
筆者らは、1997年度から1999年度にかけて、京都府の文化財保護課が実施した京都府民俗芸能緊急調査に参加し、祇園囃子の調査をおこなうことができた。残念ながら、その際は時間的な制約から、詳細な調査・報告は四条通りの一番東側からの3ヶ所(長刀鉾・函谷鉾・月鉾)のみとなった〔 田井・増田 2000〕。そこで筆者らは、京都府の調査の終了後も、個人的な形で調査を継続することにした。ほぼ毎年1ヶ所ずつ調査をすすめ、将来的には、祇園祭りにおいて、囃子をはやしているすべての山・鉾・傘鉾の調査を実施する予定である。
本稿はセンター紀要創刊号に発表した鶏鉾〔田井・増田 2004〕にひきつづき、2001〜2003年度におこなった菊水鉾の調査報告である。菊水鉾は、 元治元年(1864)に兵火によって焼失した後、昭和28年(1953)になって、88年ぶりに復活したという経歴をもつ鉾である。いわば昭和の鉾であるが、そのような経緯を背景にして、囃子を継承する新たなシステムを確立するなど、祇園祭りの他町とはちがった活動を展開してきたということができよう。 本稿では、囃子に関する基本的なデータを提出すると共に、そうした面にも注目することにしたい。