京都市立芸術大学
第1号 2001年3月
高橋 美都
1970年といえば、EXPO。大阪の中学生であった私は「人類の進歩と調和」という惹句に心躍らせていた。9月に父の転勤で東京に動いたのを機に、進路を考え直し「十有五にして楽に志した」とはおこがましい。音楽学というものを知ったのが、その頃である。にわかに、ピアノ・ソルフェージュ・和声・英文読解・小論文と、普通高校への通学のかたわら、西洋音楽を教える大学の門をくぐる技芸の習得に必死になった。入学した1974年は、東京芸大楽理科に、音楽美学と西洋音楽史の講座に加えて、日本・東洋音楽史という第三講座が開設された年である。副科での邦楽実技習得の道も開かれ、歴史上の人物と思っていた吉川英史、小泉文夫両先生をはじめ、放送や本で知る先生方の授業が受けられた。2年生で吉川先生の最終年度の演習を聴講、3年生から、修士修了後の助手期間も含めて、東京国立文化財研究所から着任された横道萬里雄先生のご指導を受け、四天王寺の舞楽で卒業論文、法隆寺の仏教行事で修士論文を書くことができた。
作曲家で西洋音楽史の研究者である柴田南雄先生と横道先生は小学校から同じクラスで、自然科学を修めた後に、人文科学への道をたどった共通点がある。横道理論といわれる、能の小段構造の分析、流派を越えるエスペラント語的な記譜の提案などは、まさにその軌跡の生んだものといえる。ワープロやパソコンが入れば真っ先にチャレンジし、70年代に、音楽学の学生にも、コンピューターの基礎を学ばせるべきだと提案されていた。横道先生の授業は、分析のための用語を新しく生みだし、装束をつけた役者の絵をさらさら書き、左右の素手で大鼓・小鼓の手を打ちながら、囃子の掛声までいっしょに入れて謡ってしまい、教卓に飛び乗って所作を示すという流儀で、ノートにとることは困難であったが、刺激に満ちていた。「科学する」という言い回しがはやったその頃、伝統芸能を科学しているという実感がたしかにあった。
大学院修了後、2000年5月に日本伝統音楽研究センターに採用されるまでの約20年は、早回しになるが、非常勤の助手・講師・研究員・調査研究員・嘱託というような形で、さまざまなところで働かせてもらってきた。おもに「日本音楽概論」とか「日本音楽史」という授業を担当したが、吉川先生の記念論文集にあやかると「日本音楽とその周辺」をさすらい、まわり道も多かった。もっとも長く、教養課程の移転直後から15年お世話になった青山学院大学の厚木キャンパスはこのほど、20年の歴史を閉じて再移転が決まった。また、第二の出身校と感じている、東京国立文化財研究所にも8年間お世話になったが、2000年に新庁舎に移転、2001年度からは独立法人化するのだという。まさに、月日は流れたと感じさせる。
日本伝統音楽研究センターで何をやりたいか、どんな抱負があるかと問われると、力を込めると弾けそうなぐらいである。勤務の隙間に研究する状況から、研究が仕事と変化したのである。研究用資料ストックとして詰め込んでいる段ボール箱を片っ端からあけて、やり直したいことがたくさんある。
卒業論文のテーマに、螺旋階段を一周したように回帰するなら、舞楽を、広い視野から扱いたい。外来音楽の日本化、中央文化の地方化、各地の伝承の独自性と共通性などの枠組を加え、20年あまりの間に恵まれた人脈を組織化できたら、すばらしいと思う。
また、ともに文化財研究所の名誉研究員である横道・佐藤道子という二人の恩師に導かれながら、停滞していた仏教法会の音楽構造分析は、関西に住むという地の利が加わったので、側溝にかかっていた轍を一歩ずつでも前に動かしたい。平安京文化研究会、唱導文学会など、活発な活動をしている関西のグループに学ぶことができるのも、力強い鞭と拍車になるであろう。
研究センターの一員として、自分に何ができるかという問いかけは、答えに窮する。「センターのためになることを何かしたい」という発言をした時には、顰蹙を買ってしまった。おそらく自分の頭の蝿も追えない人間が、生意気なということであったろう。自分がやりたい方向で、従来の研究の切り口と違って、未来志向のものへの抱負と言いかえて、センターの概要などに「日本音楽情報論」という聞き慣れない名称をあげた。情報の集積と二次加工というのは、少なくともいままでの、論文を業績としてみる学問体系の分野名にはあまりないと思う。やりたいことは、現在、そして未来に、京都市内、日本国内、世界各地から日本音楽に興味を向ける人に、知りたいことに容易に早く近づける高速道路のようなものを用意する手伝いをしたいということである。筆写していた時代から、刊本がでた時代、木版が活版になった時代、写真植字ができた時代、電算写植や電子コピーができた時代、コンピューターが研究機関に導入された時代、家庭に普及した時代、コンピューター同士がネットワークを組むようになった時代と、情報の集積や伝達のありようは大きく変わったと思う。文字情報と画像や音声、動画を一元的に扱えるようになった今、遠隔地の人とも共同作業ができるようになった。伝統音楽の研究にも科学の時代は到来している。
大学の同級である東京国立文化財研究所芸能部主任研究官の高桑いづみさんが、平成5年以来続けている楽器調査に加えてもらっているが、その延長で、楽器のデーターベースをまず試作し、各地の楽器所蔵先のご協力がいただけるようになるまでの道づくりを、私の当初の任期、平成16年度までに基礎工事完了ともっていきたい。
ホーム | 所報 | 第1号 目次 | ← 現在・将来の研究テーマについて:田井竜一 | 来日からの20年を振り返って:スティーヴン・G・ネルソン →