京都市立芸術大学

日本伝統音楽研究センター
所報

第1号 2001年3月

番組情報から学術情報へ…

長廣 比登志

 日本の伝統楽器による、伝統をいかしたあたらしい創造的な作品群を、「現代邦楽」とよんでいる。伝統音楽というと、やれ保存だ育成だ継承だ、と世間はいう。伝統音楽など、まったく眼中にない若者も、「日本人の伝統遺産だから、保存すべきだ」、という。その反面、伝統楽器は昔の楽器で、アメリカの音楽がはいってからすたれた、とおもっている。他方、若手の三味線奏者や太鼓グループなどの、クロスオーバーなセッションに、若者が接すると、「邦楽はすごい」、などと、きいたようなことをいう。たとえその音楽が、現代邦楽作品であっても、ロック系やポップス系であっても、聴衆の評価では、「邦楽はすごい」となる。だから、演奏会のチラシには、「邦楽レボリューション」とか、「新感覚刺激型三味線ライブ」など、ビックリマークのキーワードがならぶ。

 4年前、それまで30有余年つとめたNHKを、定年退職した。音楽番組制作現場のディレクターとして、定年の2日前まで、テープ編集の鋏を手にしていた。最後の放送は、1996年9月28日(土)11時からのFM番組「邦楽百番」。現代邦楽作品を放送した。64年に入局して、最初にスタジオできいたのも、現代邦楽の作品だった。NHK生活のはじめとおわりを、現代邦楽にたずさわれたこと、この上もないしあわせであった。

 放送マンは、なによりジャーナリストでなければならない。その上で、国民がほんとうに必要とする番組情報を、適切に提供していく能力が、要求される。そのためには、「今」の一歩先をみすえる眼を、やしなわなければならない。「今」の追随でなく、将来展望の予測能力に欠ける仕事は、番組を枯渇させる。そのためには、徹底した現場主義でなければならない。音楽行為、芸能行為の場に居合わせずして、どんな番組が企画できるだろうか。現場で情報を収集し、問題提起をし、もういちど現場で検証し、そして企画するという一連の流れは、野外調査につうじる。わたくしは、いろいろな現場で、番組情報の最先端に立ちあっている実感を、なんども経験してきた。

 わたくしが担当した現代邦楽の番組は、毎週放送の定時番組「現代の日本音楽」という。64年4月からはじまり、72年3月で終了した。その間、実数で500曲を越える作品が放送され、その75%が新作であった。廣瀬量平氏の作品は7曲。延べ19回放送した。わたくしが接した作品は、400曲を越える。その後、現代邦楽の番組は、名称をかえて今もつづいている。が、年間20数曲程度にとどまる。

 新人職員のころ、あたらしい作品が出るたびに、現場に直行した。レコードもカセットテープも、楽譜もほとんどなかった。初演が連続した。伝統音楽にない楽器編成の作品や、洋楽器との室内楽作品、一見伝統的なスタイルでありながら、伝統音楽がうみださなかった響きなど、多種多様な作品誕生に立ちあった。あたらしい素材と切り口、あたらしい表現手段をもとめて、作品開発にみんな懸命であった。

 当時、現代邦楽の放送記録はなかった。番組担当者が、独自で作成したものもなかった。あとで知ったことだが、戦後まもなくから、現代邦楽作品は、紹介されていた。しかし、その実態について、当時しらべる手だてがみつからなかった。だから、おこがましいのだが、番組をつくりながら、ドキュメンタリーを綴っている気分であった。番組の将来を予見するためにも、番組記録作成は、どうしてもやらざるをえなかった。

 もともと、ディレクターは、番組企画の段階で、放送記録に目をとおすということはしない。前述のように、「今」に重点をおいた仕事をしていく上で、過去の放送を引用例として、番組に再利用したりはしない。番組は学術論文ではない。放送記録は、番組がつづくかぎり、担当者のもとに保存され、放送終了数年後、だれにもわからなくなる。では過去の放送記録は、どのように調べればよいのか。公式記録の「放送番組確定表」だけである。一か月ごとにファイルされ、放送時間、放送範囲、メディア、番組名、内容、出演者、番組担当者名が、列記してある。わたくしは、68年に、「現代の日本音楽放送記録」を、さらに70年にその後のデータを追加した「作品目録」(作曲家別・楽器編成別)を、部内資料として作成した。これは、NHK内部の情報管理のあり方に対する、危機感を背景とした、いわば自衛手段であった。さらに、録音物については、すべてではないが、できるだけ保存手続きをとった。放送初演の貴重なテープや、二度と録音できない作品が、ストックされた。

 番組情報を提供する側にいたわたくしが、今度、研究センターに赴任することとなった。放送という、本質的に一回性の情報産業。つかいすてにされやすい番組情報。そのなかで、放送記録だけが、放送時における、ある作品ある演奏家の、たしかな存在を証明してくれる。そのドキュメント作成を、現代邦楽論の基盤整備作業として、起動させてみようとおもう。音楽放送文化のなかで、「現代邦楽は、なにを伝えてきたのか」、という問題提起の、基盤にはなることだろう。記録の紙背から、なにかをよみとってみたいとおもう。NHKの書庫の奥で、わたくしの眼にふれるのをまっている「番組確定表」。そのなかに潜む、音の出ない現代邦楽を、まだまだ探しつづけなければならない。

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公開日:2001.10.01
最終更新日:2001.10.01
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