京都市立芸術大学

日本伝統音楽研究センター
所報

第1号 2001年3月

あれや、これや

久保田 敏子

 日本伝統音楽研究センターが開所して、早一年になる。

 本来なら、スタッフの目処が付いてから本格的な開設準備をし、それからオープンするのが順序である。ところが、この研究センターは事情が違っていた。箱が先にでき、次に人が決まって走り出したのだ。そして、中身は「走りながら考える」ことになった。まずは「研究所研究」から取り組む必要があった。当然、試行錯誤がある。行政側との調整がある。正直、この一年は大変だった。

 私がこのセンターの一員になったのは、不思議な縁、以外の何ものでもない。私に学歴があるわけではない。学問的に優れた業績があるわけでもない。ましてや行政的手腕があるわけはない。あるのは山盛りの好奇心だけである。もう一つ、理由を挙げるとすれば、廣瀬量平先生の超不思議な魅力の虜になってしまったからかもしれない。はみ出したシャツ、歪んだネクタイ、山のような書類がごちゃ混ぜに詰め込まれた鞄。そこからは想像もできない緻密で深淵な思考。研ぎ澄まされ、洗練された音の世界。冷たさの中に垣間見るハッとするような熱いプラーナ。私はいつしか、その不思議な魅力の虜になっていた。だから、「センターに来ませんか」というお誘いに、躊躇いながらも乗ってしまったのである。

 私は、戦後間もないというのに、何故か小さい頃から、舞を習い、ピアノを習い、箏を習っていた。これが今に至る「お稽古フリーク」の始まりである。長じては、小遣いを貯めては歌舞伎、文楽、舞踊会、邦楽演奏会などに通った。おまけに、私には悪い癖がある。見るだけで終わらないのだ。触ってみたくもなり、覗いてみたくなるのだ。特に音の出る物には興味があり、好奇心を擽られると、もう我慢ならないのである。

 そんなわけで、地歌、長唄、山田流箏曲、雅楽、篠笛、義太夫節、謡曲、声明、小唄に至るまで、チョビッと囓る「ねずみ稽古」をした。幾つかは今も続いているが、どれもこれもが中途半端。お世辞にも上手いとは言えない。だから人前では演らない。これがせめてもの公害防止の「掟」である。こんな不真面目な稽古を、師匠方はさぞや苦々しくお思いであろう。それは重々承知している。確かに邪道かもしれない。しかし、実際に少しでも体験すると、感じ方が違ってくるから不思議である。見えないものが見えてくるのだ。「囓ってみる」ことも大切なことである。そうした点からみると、平成14年度から実施される新指導要領における伝統音楽や民族音楽への姿勢は、出会いの場を提供するという意味において、大きく評価できよう。

 ところで、当研究センターが掲げる「日本伝統音楽」って何なのか。昔からあるものを新時代になっても継承していくのが伝統である、と言われる。果たしてそうなのか。今あるものをそのまま次世代に継承さえすれば伝統たり得るのか。否。それは単なるマンネリによる陳腐な因習ではないか。伝統は、時代の淘汰を経た良質の本質をもつもので、しかも周辺の変化に対応できる柔軟な力を備えているべきものである。

 今、この日本伝統音楽研究センターが、求められているものは何か。それは、日本のあらゆる音楽を研究するための「核」となることではなかろうか。そのためには情報発信の基地でもあらねばならない。所員自身の研究のためにも、また、諸研究の核たり得るためにも、研究成果を挙げねばならないが、そのためには研究資料を揃えなくてはならない。暴論かもしれないが、資料は原資料そのままでなくても良い。複写の類でも良い。文書も図像資料も、もちろん音資料も、記録資料も欲しい。そして、近い将来には、この研究センターにアクセスすれば、どんな資料が何処にあり、誰がどんな研究をしているかがわかるようにしたい。

 しかしながら、資料収集といっても、この緊縮財政下では、奇特家のご好意に甘えなければならない部分が多い。おかげざまで、少しずつではあるが、ご理解を得て、音資料、楽器、図書、楽譜類、パンフレット、プログラム、雑誌等、それぞれに貴重なものを御寄贈頂いている。幸いにして、当センターには、常温常湿の資料室を備えていて、まだまだ収蔵の余地がある。引き続き、暖かいご支援をお願いするとともに、これらを活用して研究者のニーズに応えられる日が1日も早く到来することを願いつつ、情報収集のアンテナの精度を高めている今日この頃である。

 幸い、当センターには、若い優秀な研究者が揃っている。外部からも、素晴らしい研究者がさまざまな形で協力して下さっている。しかしながら、そうした表舞台の研究を開花させ結実させるためには、見えない部分での協力が必要である。目下の私の願いは、可能な限り私自身がその蔭の力として、縁の下を支える力になれるように努力することである。

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公開日:2001.10.01
最終更新日:2001.10.01
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(C) Research Centre for Japanese Traditional Music, Kyoto City University of Arts