竹内有一
解 題
- 一、はじめに
- 二、浄書本の所在と公開準備
- 三、公開の障碍
- 四、常磐津節保存会との連携
- 五、浄書本の公開
- 六、浄書本の構成
- 七、浄書本の書誌
- 八、影印の作成と通し番号
- 影 印(PDFファイル版)
- 一、はじめに
- この資料は、町田嘉章が草稿を著し、それをもとに稀音家義丸が昭和50年(1975)に作成した浄書本「常磐津太夫芸歴列伝」「常磐津家元伝記」「三弦手列伝」を、影印(電子媒体)によって公開するものである。
ここでは便宜上、上記3篇を一括りとして「常磐津演奏家芸歴列伝」という仮称で呼び、その略称を「町田ノート」としておく。
本資料の概要は、すでに前原恵美(「常磐津節演奏家研究序論―町田嘉章の『常磐津太夫芸歴列伝』『常磐津家元伝記』『三弦手列伝』」『有明教育芸術短期大学紀要』第1号、2010年)が浄書本の複写物を用いて明らかにしているが、同論の中では「所在不明」とされている「義丸による清書」、つまり浄書本のオリジナルに該当するものが、この資料である。
残念ながら、町田自筆の草稿については、2009年度より日本伝統音楽研究センター共同研究の山田智恵子グループが、町田嘉章に由縁のある複数の資料所蔵機関を訪問して各種の草稿類の所在調査をおこない、筆者もこれに協力したが、この自筆草稿の所在はいまなお不明である。
ところで、この町田ノート浄書本が、前原によって「所在不明」とされた要因には筆者が深く関係しているので、そのお詫びと経緯説明を兼ねて、近年の所在状況等について次に補足しておきたい。
- 二、浄書本の所在と公開準備
- 町田ノート浄書本は、稀音家義丸の意向により、邦楽雑誌への連載による公開を目的として、ある時期から竹内道敬がその現物または複写物を所有し、竹内道敬によって公開のための準備が進められていた。
浄書本に添付され現存する、封筒・手紙およびワープロ印刷物によると、昭和63年(1988)から平成3年(1991)にかけて、当時竹内道敬が教鞭を執っていた国立音楽大学の学生ないし卒業生数名が、同氏の指導を受けながら、浄書本の記述を読みやすく意訳した公開用の原稿を作成していた。前述のワープロ印刷物がそれで、感熱紙に打ち出された太夫41名分の意訳が現存する。
平成3年、筆者は、竹内道敬の意向によってその未完成の原稿および原稿作成の作業を引き継いだ。また、竹内道敬から浄書本も預かることとなった。
筆者も氏の意向を汲み、浄書本の全丁をテキストデータ化するとともに記述内容の精査を進め、来るべき公開に備えた。また、常磐津実演家や研究者から、過去の演奏家について筆者宛に調査依頼があった折にはこの資料を活用し、この資料に基づくことを明記した上で、随時、データの提供も行ってきた。しかし、浄書本およびそのテキストデータの全面公開については、以下のような理由で見合わせざるを得なかったのである。
- 三、公開の障碍
- 町田ノート浄書本の公開が憚られた最大の理由は、多くの演奏者の三座出勤に関わるデータに、遺漏や不備が多いことであった。つまり、演奏者の初見年ないし初舞台をはじめとして三座出演の略歴など、芸歴の根幹となる記述が、その精度に問題を抱えていた。
もちろん、これは町田の責任ではなく、関連する興行史料類が十分に整理公開されていなかったという当時の時代背景が要因であった。しかし、そうした史料類が所蔵機関等で整理公開されマイクロフィルム等でも閲覧できるようになった1980年代以降となっては、そうした問題点を多少なりとも解決しないで公開することは学術的な作業とはいえないであろうし、安易な手法での公開によって世に益なき資料であると誤解されてしまったら、町田およびその意志を受け継いだ稀音家の意図に沿わないだろうと考えたのである。
管見によると、この浄書本に収録される三座出勤データの多くは、『近世邦楽年表 第一巻』(東京音楽学校編、明治45年)に依拠しているとみられ、歌舞伎の興行番付はもとより、常磐津流儀内部の出勤記録である『常磐種』(常磐津家元旧蔵、東京芸術大学に転写本が現存)の利用は部分的にとどまり、全面的には活用されていないことがわかった。
そのため、筆者は、歌舞伎番付と『常磐種』を利用した補訂作業を細々と続けていたが、全253名ものデータを全面的に更新するには及ばず、補訂と公開のための作業を中断させてしまっていた。
- 四、常磐津節保存会との連携
- 2011年秋、常磐津節の重要無形文化財保持者によって構成される常磐津節保存会の九世常磐津文字太夫会長より、文化庁補助事業の一つとして、創流以来の常磐津演奏家の経歴調査とその報告書を作成して先人たちの業績を顧みたいという熱い提案を受けた。そこで、この事業に協力させていただくために、この町田ノート浄書本および筆者によるこれまでの興行史料調査と新たな史料調査の成果をあわせて常磐津節保存会に提供し、それらを報告書『常磐津節演奏者名鑑』として編集執筆し、2012年3月より順次公開させていただく運びとなった。
筆者は、この調査および編集作業において、各演奏者の三座出勤データを、興行番付の悉皆調査と『常磐種』の記述に基づいて、一から精査し直した。現存するすべての番付を閲覧できてはいないが、常磐津連名を掲出する番付の8割方は閲覧することができたと見積もっているので、町田による調査よりもその精度を大幅に向上させることができたと考えている。
- 五、浄書本の公開
- 常磐津節保存会による経歴調査および報告書作成の進行にともない、その基礎資料の一つとして活用した町田ノート浄書本についても、この機会にその存在意義を明確にし、公開という形で一定の学術的・社会的責任を果たす必要があると考えた。また、常磐津節保存会による報告書と町田ノート浄書本をあわせて閲覧いただくことによって、報告書に盛り込んだ最新の調査データを参照しつつ、先学が苦心を重ねて作り上げた浄書本の学術的価値を広く顧みていただける機会を設けたいと考えた。
こうした考えを稀音家義丸に伝えたところ、公開の快諾のみならず、幅広い活用と公開に対する強い要望を承った。また、常磐津節伝承者全体に関わる資料でもあるので、常磐津節保存会の会長でもある九世常磐津文字太夫御家元に相談したところ、保存会による経歴調査とあわせて公開することに賛同を得た。こうして、町田ノート浄書本を日本伝統音楽研究センターに寄託保存するとともに、その公開準備に着手し、公開を実施することになった。
公開の方法は筆者に一任いただいたので、まずは、浄書本を電子媒体による影印版として、日本伝統音楽研究センターのwebサイト「伝音アーカイブズ」において公開することにした。
浄書本は、下記の通り鉛筆使用が多いので、資料保全のために非公開を原則とするが、使用の目的によっては、日本伝統音楽研究センター資料室内で閲覧等に供する準備がある。
- 六、浄書本の構成
- 町田ノート浄書本は、以下の253名の項目によって構成される。
(1)「常磐津太夫芸歴列伝」所収146名。
(2)「常磐津家元伝記」所収9名。
(3)「三弦手列伝」所収98名。
なお、(1)のうち幕末以降の項目には、「明治時代 岸沢派」「〔明治時代〕常磐津派」「第二回分裂岸沢派」「第二回分裂常磐津派」という小見出しが設けられている。
- 七、浄書本の書誌
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- (1)所蔵者
- 稀音家義丸の寄託により日本伝統音楽研究センターにて保管
- (2)筆記者等
- 筆記者は、稀音家義丸(長唄唄方、長唄研究家、元東京芸術大学講師)。昭和50年(1975)に町田嘉章の自筆草稿(現在は所在不明)に基づいて浄書したという。筆記者の署名や筆記年は、浄書本には一切記載されず、以上は稀音家による証言に基づく。なお、ごく一部分に、別人による書き込みがある。これについては(4)に記す。
- (3)用紙等
- 洋紙B5版、横罫ルーズリーフ、38枚。1枚ごとの片面(表面)に丸囲み数字が記入される。以下では便宜上、1枚を1丁と呼び、記入された丸囲み数字と用紙の表裏に基づいて「第3丁裏」のように記述する。第15丁は欠丁だが時代の区切りと対応しており、後年に散逸したものとはみられない。第24丁と第25丁の間に、「24A」と記された丁があるので、これを第24A丁としておく。
- (4)書式等
- 縦書き。用紙を横向きに使用。用紙の両面を使用しているが、第21、24A丁は片面(表面)のみ使用(これらの裏面は無記入のため、影印には加えなかった)。
第1〜24、25〜28丁は鉛筆使用。第24A、29〜38丁は万年筆使用。ただし、部分的に鉛筆使用と万年筆等の使用が混在し、鉛筆の部分的使用は、第29丁表の冒頭3行、第29丁裏の5行分、第30丁表の2行分、第32丁表の1行分、第36丁裏の3行分、第37丁表の6行分。ボールペンの部分的使用は、第24丁表の3行分。(「○盛岡より〜評にあり」)。この3行のうち、「六世式佐」、「林中段物語りにてはなしト岡鬼太郎評にあり」という部分は、稀音家の証言によると、別人による書き込みである。前掲前原論文での調査時には誰による書き込みか不明であったが、今回、筆者が再度、稀音家に確認を依頼したところ、稀音家と親交のあった常磐津慶蔵(1936-1981)が書き込んだという証言が新たに得られた。また、第35丁裏、初代常磐津文字兵衛項に「八十太夫?」と書き込まれたボールペンの書き込みも慶蔵によるという。
第33丁裏の一部に、書籍を電子複写した紙片が貼付される。第35丁裏、第38丁表の一部に、訂正を書き込んだとみられる紙片が貼付される。
これらの筆記用具の選択および紙片の貼付は、原本(現存未確認)から浄書・整稿する際の事情によるものとみられ、原本の内容とは大きくかかわっていないとみられるので、影印データ上では特に注記しなかった。
なお、影印の各項目上部にみえる手書きの通し番号は、以下に記すように、原本に記載された番号ではないので留意されたい。
- 八、影印の作成と通し番号
- 浄書本の原本には項目ごとの通し番号が付されていないので、今後の調査研究の便宜をはかるために、影印には通し番号を付加した。影印データは、以下の方法で作成した。
- A.原本を電子複写(A4用紙上に等倍コピー)し、複写物に通し番号を手書きで記入した。
- B.通し番号は、所載される全253名の項目について、1項目に1つの番号を付した。「常磐津太夫芸歴列伝」所収分は1〜146番、「常磐津家元伝記」所収分は201〜209番、「三弦手列伝」所収分は301〜398番とした。常磐津節保存会発行『常磐津節演奏家名鑑』においても、この通し番号を使用した。
- C.複写物をスキャナーで読み取り、パソコン上で複数のPDFファイルに分割して整理した。
- D.PDFファイルの分割は、1つのファイルで2丁分(4コマ)を基準としたが、内容の区切りを見計らって適宜コマ数を調整した。
影 印
(PDFファイル版)
この影印資料は、原資料を筆写した稀音家義丸氏の許諾を受けて公開するものです。閲覧に際しては、必ず「解題」をご一読ください。
本文中の芸歴に関する記述、とくに江戸三座等への出勤に関するデータについては、近年の調査研究の進展により、多数の遺漏や誤記が認められるので、閲覧利用に際しては十分注意してください。
そうした難点を補うため、常磐津節保存会発行『常磐津節演奏家名鑑』(9世常磐津文字太夫監修、竹内有一編著、2012年〜)において、芸歴データの全面的改訂を試みています。各人の芸歴について参照、考察される場合は、必ず、同名鑑をあわせて閲覧することを推奨いたします。
※上掲名鑑の入手については、竹内有一 ytake2395(アットマーク)gmail.comまでお問い合わせください。
※以下の本文データを個人的な学術的利用のために引用または転載する場合、許諾申請は不要としますが、「伝音アーカイブズ」を利用した旨を必ず表示して下さい。できれば、竹内までご一報ください。
- (1)「常磐津太夫芸歴列伝」所収146名
- PDFファイル1 第1丁表〜第2丁裏 通し番号1〜16
- PDFファイル2 第3丁表〜第4丁裏 通し番号17〜31
- PDFファイル3 第5丁裏〜第6丁表 通し番号32〜40
- PDFファイル4 第6丁裏〜第8丁裏 通し番号41〜57
- PDFファイル5 第9丁表〜第10丁裏 通し番号58〜73
- PDFファイル6 第11丁表〜第12丁裏 通し番号74〜86
- PDFファイル7 第13丁表〜第14丁裏 通し番号87〜99
- (第15丁は欠番)
- PDFファイル8 第16丁表〜第17丁表 通し番号100〜112
- PDFファイル9 第17丁裏〜第19丁裏 通し番号113〜134
- PDFファイル10 第20丁表〜第21丁表 通し番号135〜146
- (第21丁裏は白紙)
- (2)「常磐津家元伝記」所収9名
- PDFファイル11 第22丁表〜第23丁裏 通し番号201〜206
- PDFファイル12 第24丁表〜第24A丁表 通し番号207〜209
- (第24A丁裏は白紙)
- (3)「三弦手列伝」所収98名
- PDFファイル13 第25丁表〜第26丁裏 通し番号301〜312
- PDFファイル14 第27丁裏〜第29丁表 通し番号313〜329
- PDFファイル15 第29丁裏〜第30丁裏 通し番号330〜343
- PDFファイル16 第31丁表〜第32丁裏 通し番号344〜357
- PDFファイル17 第33丁表〜第34丁裏 通し番号358〜370
- PDFファイル18 第35丁表〜第36丁裏 通し番号371〜384
- PDFファイル19 第37丁表〜第38丁裏 通し番号385〜398